表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「連載版」婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました 〜ざまぁのその先は、宰相閣下と甘い政略ライフ〜  作者: 夢見叶
第1部 断罪の舞踏会と宰相婚約者の誕生

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/31

第7話 お茶会と毒入りティーカップ

「では、陛下のご健康と、わたくしたちの友情に――」

 ローゼンベルク伯爵夫人の声が、薔薇の東屋に薄く響いた。

 白いクロス。銀のスプーン。揃いすぎた笑顔。全員が同じ角度でカップへ手を伸ばす光景は、祝杯というより儀式だ。


 わたくしの指先は、取っ手へ届く直前で止まった。

 香りが違う。

 同じ茶葉のはずなのに、紫の小花のカップだけ、甘さの奥に湿った土が混じる。


 クロード様の声が耳の奥で硬く鳴った。

 飲み物から目を離すな、君自身もだ。


 給仕のメイドが盆を抱え、卓の端を回り込む。

 手首がわずかに震え、いったんわたくしの前で止まる。

 置く。置きかける。けれど刹那、視線だけを夫人へ送り、カップの位置を指先で直した。

 間違えたのか、直したのか。

 わたくし以外、誰も気づいていない顔をしている。


「……侯爵令嬢様?」

 右隣のベルノワ伯爵夫人が、唇だけで笑った。

「乾杯の前から怯えていらっしゃるの?」

「怯えているのではなく、香りを楽しんでおりますの」

 喉の奥だけが乾く。


 伯爵夫人の胸元、赤い薔薇のブローチが太陽を刺すように光った。

 棘の意匠。飾りにしては攻撃的だ。

 その棘が、わたくしの喉元へ向けられている気がする。


 乾杯の輪が完成する。

 細い腕、白い手袋、宝石の指輪。

 誰の手も美しい。だからこそ、毒が似合ってしまう。


「さあ」

 伯爵夫人が笑って促す。


 わたくしはカップを持ち上げないまま、微笑んだ。

 盾は必要だ。けれど盾だけでは、相手の手札が見えない。


 わざと扇子を落とす。

 布が膝へ滑り、手袋の指先がクロスをなぞった。

 拾い上げる動作に紛れ、紫の小花のカップを、隣の金縁の蔦模様のカップとそっと入れ替える。

 音は立てない。視線も動かさない。社交界で身に付けた、優雅な悪意の技だ。


 入れ替えた瞬間、ベルノワ伯爵夫人の瞳が細くなった。

 伯爵夫人は笑みのまま、わたくしの手元を見た。

 向こう側の商家の娘は、カップではなくメイドの手を見ている。

 中立派と噂の夫人は、扇子の影からこちらを短い間だけ覗いた。


 候補は3人。

 主催者の伯爵夫人。

 王太子派に取り入りたい商家の娘。

 どちらにも顔を出す中立の夫人。

 そして、震えるメイド。


「乾杯をなさらないの?」

 伯爵夫人が、優しく問う。

 優しさの形をした圧だ。


「すぐに。少しだけ香りが強くて」

 笑顔のまま返した瞬間、ベルノワ伯爵夫人が先に喉を鳴らした。


「――っ」

 彼女はひと口も飲まない。

 カップを戻そうとして指が滑り、白いクロスに紅茶が広がる。

 蔦模様の金縁が横倒しになった。


 甘い香りが、土の匂いへ変わった。


「……気分が」

 声がかすれ、目が泳ぐ。

 次の瞬間、肩が大きく揺れ、椅子の背に爪が立った。


 笑い声が切れる。

 息を吸う音。椅子を引く音。

 そして最悪の囁きが生まれる前に、わたくしは立った。


「皆さま、そのカップから離れてくださいませ」

 自分でも驚くほど声が通った。

 悪役令嬢の仮面は、場を止める時だけは便利だ。


「レティシア様、あなた……!」

 伯爵夫人が目を見開く。

 驚きか、演技か。判断する暇はない。


「伯爵夫人、侍医を」

「給仕の方は手を洗って戻って」

 短く指示する。

 誰かが言いかけた。

「大げさな、ただの貧血では――」

 その言葉が空気を決める前に、わたくしは首を振った。


「事実より先に空気が決まるのが社交ですわ」

「今は空気を止めるべきです」


 胸の奥が熱くなり、次の瞬間に冷えた。

 前世の画面がよぎる。倒れる貴婦人。悲鳴。濡れ衣。追放。

 怖い。喉が乾く。指先が冷える。

 けれど、この怖さを利用しないと、また台本に飲み込まれる。


「失礼いたします、薬の家の者が居合わせておりますわ」

 左隣の子爵夫人が静かに言った。

 彼女の背後に控えていた若い令嬢が、小さな硝子瓶を取り出す。

 さきほどから紅茶の香りを確かめていた、視線の子だ。


「少しだけで結構です」

「布に染みた分を」

 令嬢が紙片をこぼれた紅茶に触れさせ、瓶の滴を落とす。


 淡い色が、鈍い灰へ沈んだ。


「これは……」

 令嬢が息を呑む。


「毒、ですのね」

 わたくしが言うと、場の空気が凍った。

 扇子が落ちる音。口元を押さえる手。

 ベルノワ伯爵夫人は青ざめたまま、浅い呼吸を繰り返す。


「だ、誰が……!」

「今それを叫ぶのは、犯人に時間を与えるだけですわ」


 給仕のメイドが戻ってきた。

 顔色が白い。目が潤み、唇が震える。

「わ、わたしは……間違えてません、ちゃんと……」

 説明は、罪か恐怖のどちらかを連れてくる。


「大丈夫」

「今はあなたを裁きません」

 言葉を短くする。長い優しさは、疑われる。


 遠くで庭の門が開く音がした。

 足音が規則正しく近づき、黒い服の男が東屋へ入る。

 眼鏡の奥の目が鋭い。


 宰相付き執事、オスカー。


「エルネスト侯爵令嬢様、閣下より命を受けております」

「異常時は即時保全いたします」


 その瞬間、視線の矢がわたくしから外れた。

 空気の主導権が、わたくしの手から別の手へ移る。

 そしてその手は、味方だ。


「ベルノワ伯爵夫人を日陰へ」

「水は与えないで」

「口を濯ぐ布だけ」

 指示を重ねても、声が震えない。

 心臓は暴れているのに、声だけが冷たい。


 けれど安心より先に、胃の底に硬い石が沈んだ。

 入れ替えたカップを見てしまったからだ。

 蔦模様の金縁。わたくしが触れたはずのカップ。

 そこにわたくしの指紋は残る。


 毒殺だけでなく、濡れ衣の台本まで用意されていたなら。

 わたくしの動きは餌になり得る。


 伯爵夫人が、そっと笑った。

 優雅な笑み。目だけが花鋏みたいに冷たい。


「さすが宰相閣下の婚約者様」

「……お強いのね」

 褒め言葉の形をした刃だ。


「強いのではありませんわ」

「生き残りたいだけですの」


 その瞬間、ベルノワ伯爵夫人が苦しげに咳き込み、指先でクロスを掴んだ。

 爪の間に、赤い染みが滲む。

 紅茶の色ではない。


 令嬢が震える声で呟く。

「この反応は……夜薔薇草の抽出液に似ています」

 その毒名が、脳の奥を叩いた。

 前世で読んだ攻略本の小さなコラム。

 ファンディスクの追加シナリオ。

 庭園で始まる連続毒殺編。

 そこで使われた毒の名と、同じ響き。


 背筋が冷えた。

 誰かが、わたくしと同じ資料を読んでいる。

 この世界は、わたくしの記憶だけのものではない。


 ふと、皿の縁に指が触れた。

 紫の小花のソーサーの裏に、薄い紙が貼られている。

 剥がすと、甘い匂いが指先に絡みついた。


『庭は剪定される。棘に触れた者から。』


 文字がにじんで見えた。

 怖さの形が変わる。

 これは予告だ。次の章は、もう始まっている。


 わたくしは紙を握りつぶし、笑顔のまま顔を上げた。

 伯爵夫人の薔薇の棘が光った。

 そして理解する。


 このお茶会、ゲームではここから連続毒殺編に突入したのだった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。お茶会の棘はまだ序章。次話では、予告文の出どころと犯人の手口に一歩迫ります。続きが気になったら、ブックマーク&広告下の【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ