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「連載版」婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました 〜ざまぁのその先は、宰相閣下と甘い政略ライフ〜  作者: 夢見叶
第1部 断罪の舞踏会と宰相婚約者の誕生

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第4話 戦場のような朝と、ぎこちない朝食

 目を覚ました瞬間、宰相邸が燃えているのかと思った。

 壁の向こうで走る足音、廊下を切る指示の声、紙束の擦れる音。

 まだ陽が昇りきらない時刻なのに、空気だけが昼間の速度で動いている。


「婚約者様、失礼いたします」

 扉の外から控えめな声がした直後、間髪入れずに別の声が重なる。

「食堂の準備は間に合うの? 閣下の予定表、赤字が増えてるわよ!」


 わたくしは寝台から身を起こし、髪をまとめる前にガウンを羽織った。

 昨日まで客人扱いだった部屋が、今日はもう戦場の後方拠点だと告げられている気がする。


 扉を開けると、若いメイドが盆を抱えたまま硬直していた。

 わたくしの顔を見て、息を呑む。

 噂の「悪役令嬢」が、ここで目を開けた。そう思ったのだろう。


「ご心配なく。わたくし、噂よりはずっと打たれ強いのですわ」

 笑ってみせると、彼女は慌てて頭を下げた。


「申し訳ございません。閣下の朝は……その……」

「速いのですね」

「はい。速すぎます……!」


 廊下の向こうでは、書類箱を抱えた執事が、門番に何かを叫んでいる。

 来客の馬車が増えた、と。

 新聞売りが屋敷前に張りついた、と。

 わたくしの名が見出しに踊るのは、きっと今日もだ。


 曲がり角を曲がったところで、黒い上着の影とぶつかりそうになった。

 ぶつかる寸前、影が肩を引き、避ける。

 眼鏡の銀縁が、薄暗い廊下の光を拾った。


「……早いな」

 クロード様だった。髪はきちんと整っているのに、目元だけが寝不足の色を隠せていない。


「宰相邸の朝は、優雅とは程遠いのですね」

「優雅に見せる余裕があれば、国庫も黒字だ」

「なるほど。優雅は財政の余白、ですわね」


 返した瞬間、クロード様の視線がこちらに向く。

 声色は変わらないのに、空気の温度が少しだけ上がった気がした。


「朝食に遅れるな。使用人が困る」

「承りましたわ」


 彼はそれだけ言うと、廊下の奥へ消えていった。

 背中が、紙と鉄の匂いをまとっている。

 なのに、その背中に追いつきたいと思う自分が、少しだけ怖い。


 食堂は長いテーブルが中央に置かれ、窓から冷たい光が差し込んでいた。

 席は端と端。距離が、儀礼として固定されている。


「おはようございます、クロード様」

「おはよう、レティシア」


 互いの声が重なることはなく、ずれて着地する。

 パンの香りと湯気だけが、居心地の悪さを誤魔化してくれる。


「昨夜は……眠れましたか」

 わたくしが口にした瞬間、言葉の浅さに気づいてしまった。

 眠れたかどうかを聞いて何になる。眠れるわけがないのに。


「眠る必要がある時は眠る」

 クロード様は淡々と答え、紅茶に手を伸ばした。

 嘘ではない。けれど、真実の形でもない。

 そういう男だと、もう分かり始めている。


 沈黙が落ちる。

 使用人の気配が、壁紙の模様に溶けていく。

 視線だけがこちらの会話を拾おうとしているのが分かった。


 救いを求めるように、わたくしは新聞を手に取った。

 社交欄の文字が、容赦なく目に刺さる。

 悪名高き令嬢。宰相を籠絡。野心の化身。

 どれも、昨日の舞踏会の後から何度も浴びた噂の焼き直しだ。


 胸の奥がひやりとする。

 破滅ルートを折ったはずなのに、別の形で首に縄が掛かる感覚。

 わたくしは紙を畳み、微笑みの形を作った。

 笑っていられる方が、まだ安全だ。


「随分と、筆が元気ですわね」

「筆が元気なうちは、街はまだ平和だ」

「では、平和の指標として毎朝読めと?」

「役に立つ部分だけ拾え」


 そこでわたくしは、別の欄に目を留めた。

 王太子派の奥方主催の茶会。薔薇園。慈善の名目。

 綺麗な単語が並んでいるのに、紙面の匂いだけが妙に冷たい。


「……これ、開催が近いのですね」

 指先で行をなぞると、クロード様の視線が同じ場所に落ちた。


「君の方が先に気づくとはな」

「筋書きの匂いがしますもの」

「その言い回しは便利だな。説明が要らない」


 そこから先、会話の歯車が噛み合った。

 茶会の名目と実態。招待客の顔ぶれ。王都の物価の揺れ。税の取り方の穴。

 パンが冷める速度より速く、話が進む。

 わたくしの中の緊張が、別のものに変わっていく。

 興奮だ。高揚だ。生きている実感だ。


 不意に、クロード様が紙面から目を上げた。


「……顔色が悪い」

 その言葉が、胸の奥に刺さった。

 政務の話の延長でしかないはずなのに、見られていたという事実が熱になる。


「大丈夫ですわ。慣れておりますので」

「慣れた顔色は、長持ちしない」


 言い切るように言って、彼は紅茶を置いた。


「噂は放っておけ。必要なら私が切る」

 その瞬間、わたくしの心が大きく揺れた。

 守られるのは苦手だ。守られると、甘えが生まれる。

 甘えは、破滅より危険だと前世が教えてくる。

 それでも、喉の奥が痛くなるほど嬉しいのは、どうしようもない。


 朝食が終わると、わたくしは立ち上がった。

 椅子はまだ、ここでは家具のままだ。

 でも、隣の執務室にある空席の椅子は、家具ではないのだろう。


「少しだけ、お仕事を見学しても?」

「見学で済むとは思わんが」

「では、手が余っているところだけ」

「余っている仕事などない」


 返答が冷たいのに、拒絶ではない。

 そういう温度を、この男は持っている。


 執務室に入った瞬間、紙の山が視界を塞いだ。

 机の上だけではない。棚にも、床際にも、封蝋の赤が点々と並ぶ。

 わたくしは息を整え、山の前に立った。


「急ぐものから分けますわ」

「好きにしろ。ただし、勝手に処分はするな」

「処分するのは、今のところ噂だけにしておきます」


 仕事になると、身体が軽い。

 部署名、期限、差出人。指先が紙を走り、頭が勝手に整理していく。

 クロード様の視線が刺さる。けれど、それは監視ではなく計測だ。

 この速度でどこまで動けるか、測っている。


 しばらくして、彼が短く息を吐いた。


「……合格だ。今日はここまででいい」

「もうですか」

「慣らしだ。明日からは、本格的に頼む」


 言われた瞬間、嬉しさが先に来てしまい、すぐに自分を叱った。

 喜ぶな。浮かれるな。ここは椅子の上ではない。

 でも、胸の奥で何かが灯るのを止められない。


 その時、扉が叩かれた。

 執事が入ってくる。手には厚い封筒の束。


「閣下、社交の招待状が到着しております。中に……王太子派からのものが」

 クロード様の表情が、さらに静かになる。


「上に置け」

 束のいちばん上の封蝋が、薔薇の形に見えた。

 白く整った花弁の輪郭が、なぜか棘の匂いを連れてくる。


 わたくしは、目だけで封筒の端の会名を追った。

 息が止まる。

 文字面は優雅なのに、前世の画面みたいに冷えて見えた。


 クロード様は封筒に触れず、執事へ言う。


「差出人は」

「王太子派の奥方にございます。日時は3日後、会場は薔薇園と」

「分かった。下がれ」


 扉が閉まる音が、やけに大きい。

 クロード様はようやく手袋を外し、封筒を机の端へ滑らせた。

 わたくしの方へ。


「これを断れば、向こうは別の形で来る」

「受ければ、わたくしが標的になりますわね」

「標的になるのは今に始まったことではない」

 淡々とした声音が、逆に残酷だった。


 わたくしは封蝋の薔薇を見つめた。

 破滅ルートは折った。けれど、世界はまだ筋書きの続きを要求してくる。


「行くべき理由は、ありますか」

「ある。向こうの手札を見せてもらう」

「わたくしの手札も?」

「君は自分で切れ」


 その言葉で、怖さの底が少しだけ固くなる。

 わたくしは封筒から視線を外し、微笑みを作った。

 震えを隠すのではない。整えて、前へ出すための形だ。


「承りましたわ。婚約者として、きちんと笑ってみせます」

 クロード様の目が、ほんの僅かに細まった。


「そうしろ。私の隣で」

ここまで読んでくださりありがとうございます。レティシアは3日後の薔薇園へ――次話、噂が形になります。続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価&ブックマークで背中を押していただけると嬉しいです。


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