第9話 革命の炎と、改革の灯り
ヴァレンシュタイン公爵が、笑ったまま拍手した。
裁判広間の高窓の向こうで、松明の光が揺れている。遠くから「レティを守れ」という叫びが混じり、次の瞬間には「処刑を止めろ」が、獣のうなりみたいに増幅した。
わたくしの名が、救いと暴力の両方の合図になっている。
「侯爵令嬢、続けよ」
陛下の声は低い。視線だけが、わたくしの手元へ落ちた。
机の上に、紙を3枚並べる。
平等をうたうビラ。孤児院支援金の捏造帳簿に添えられていた依頼書。帝国への送金を命じる密書。
どれも紙質が違う。筆跡も、わずかに違う。
けれど――句読点の癖が同じだ。言い回しが同じだ。敬語の丁寧すぎる角度が同じだ。
「この文体は、王都の民が自然に書けるものではありませんわ」
「なら誰が書いた」
「貴族です。しかも、書き慣れた貴族」
監査局長バルトロメウスが、紙の端を指で弾いた。
「帳簿の書式も同じ傾向です。小計の位置、線の引き方、数字の丸め方。帳場を持つ家の癖だ」
裁判広間が、静まり返る。数字は嘘をつかない。嘘がつくのは人だけだ。
わたくしは最後の紙を差し出した。
黒い蝋。薔薇紋。棘が強調された印。
封を切った瞬間、あの短い文言が出てきた。
『根に報せよ。花弁は動かすな。棘は静かに笑え。』
セラフィヌス大司教の喉が鳴った。祈りの所作の途中で、指が止まる。
ヴァレンシュタイン公爵の拍手も、止まった。
「大司教、その言葉をご存知ですか」
「神の言葉を、勝手に切り貼りするな」
「神の言葉ではありませんわ。合図です。教団の内輪言葉」
わたくしは視線を公爵へ戻した。
あの人は、いつも正しい顔をしていた。貴族の理想を語り、施しの演説をし、戦災孤児に慈愛の眼差しを向けて。
だからこそ、もっとも見たくなかった。
「黒薔薇・ゲオルグ・フォン・ヴァレンシュタイン公爵。あなたが、薔薇の使徒の貴族部門の頭目ですね」
ざわめきが弾けた。
公爵は、笑みだけを保ったまま立ち上がる。
「面白い。だが君は、紙で世界を変えられると信じているのか」
「信じていますわ。紙で嘘を撒いたなら、紙で裂けますもの」
クロード様が、席を蹴って前へ出た。形式より早い。
その声が、珍しく荒い。
「拘束しろ。国家反逆と横領、加えて帝国への通謀だ」
兵が踏み込む。公爵の護衛が動きかけ――ラグナード将軍の剣が鞘から半分だけ抜けた。
鋼の音は、短いのに効く。
「王の御前だ。剣を抜くなら、俺を斬ってからにしろ」
将軍の視線が、公爵を刺す。怒りより、悔しさが濃い。
公爵は小さく肩をすくめ、両手を差し出した。
「民は飢えている。誰かが火を灯す。君たちがその火を消せるかな」
「燃やす火は、消します。照らす灯りは、守りますわ」
言い返した声が震えたのは、自分でも分かった。
そのとき、外の叫びが近づいた。
窓の下で、松明が揺れ、石が石畳を転がる音がした。
わたくしの胃が、冷える。
救った相手に、殺されかける。そういう物語が、前世の画面には平然と載っていた。
――でも、今は違う。
拘束された公爵と大司教が連れ出されるのを見届け、わたくしはクロード様の袖を掴んだ。
「外へ出ます」
「駄目だ」
「このままでは、誰かが死にます」
「君が死ぬ」
「それなら、ここに居ても同じですわ」
クロード様の手が、わたくしの手首を強く掴んだ。痛いほど。
その目が、冷たい色から外れている。怒りと恐れが混ざっている。
「そなたを、餌にするなど論外だ」
「餌ではありません。――責任です」
言った瞬間、胸の奥が熱くなった。
わたくしは、改革の椅子に座った。なら、責任からも立ち上がらない。
クロード様は、息を吐いてから、低く言った。
「離れるな。半歩でも、私の前へ出るな」
わたくしは頷き、指先を絡める。短い接触なのに、心臓がうるさい。
外の鐘が鳴った。祝福ではない。警鐘だ。
王城前広場は、火の海の手前だった。
松明。赤い薔薇の旗。石を握る手。怯えた顔。興奮した顔。
そして、わたくしの名。
「レティを守れ!」
「処刑を止めろ!」
「貴族の遊びに、もう付き合えるか!」
耳が割れそうだった。
前世で見た炎上CGが、瞼の裏に重なる。炎の粒が、王都を舐める。逃げ惑う人。倒れる人。
喉が詰まり、足が止まる。
「お嬢ちゃん!」
人混みの端から、女の声が飛んだ。
ミーナ・バルク。南側の雑貨屋兼酒場の女主人。いつもは強い笑い方をする人だ。
今日は笑っていない。けれど目は、泣いていない。
「ここで燃やしたら、明日も暗いだけだよ!」
その言葉が、わたくしの足を動かした。
石段へ上がる。松明の熱が顔を撫でる。咳が出そうになる。
クロード様の影が、わたくしの背に重なる。
わたくしは両手を上げた。
「皆さま。わたくしは、レティシア・ローゼンベルクですわ」
「今さら名乗るな!」
「そうですわね。名は、もう足りるほど使われました」
わたくしは息を吸う。
説明はしない。言い訳もしない。
必要なのは、因果を切らないことだ。
「わたくしの改革で、損をした方がいる。苦しくなった方がいる。そこは、わたくしの落ち度です」
声が震える。けれど止めない。
「だから、直します。税の仕組みを見直し、学びの場を増やし、病に倒れる前に手当てが届くようにします」
「口だけだ!」
「なら、紙にしますわ」
懐から小さな紙束を出す。議会で使った草案の写しだ。
端に、薔薇紋はない。棘もない。
白い紙だけだ。
「この場で約束を書きます。署名も押します。明日から、役所前に掲示します」
「信じろってのか!」
「信じなくて構いません。読んでください。言葉で殴ってください」
わたくしは、広場を見渡した。
石を握る指が、汗で光る。
幼い影が、石を抱えているのが見えた。孤児院の子だ。トマ。隣にリナ。
マリアが、2人の肩に手を置いている。口は動くのに、声は届かない。
でも、その手は震えていない。
わたくしは両腕を広げた。
「それでも、わたくしを許せないなら。石を投げて」
沈黙が落ちた。
石が投げられれば、たぶん死なない。けれど物語は死ぬ。
この国が、燃える。
石段の横で、クロード様が動きかけた。
わたくしは、彼の袖を掴んで止めた。
半歩前へ出るな、と言った人の袖を。
トマが、石を見た。
リナが、トマの袖を引いた。
マリアが、短く言った。
「石じゃなくて、手紙にしよう」
誰かが笑いそうになり、やめた。
その代わり、誰かが泣きそうになり、堪えた。
トマは、石を落とした。
代わりに松明の柄を両手で握り、石畳へ突き刺した。
火が、立ったまま揺れる。
「これは壊すためじゃなくて、夜道を照らすためだ」
その言葉が、胸に刺さった。
火は、燃やすだけではない。
照らす。道を示す。帰れる場所を作る。
広場の端で、誰かが鐘の綱を引いた。
警鐘ではない。短く、澄んだ音。
祝福に似た音が、まだ怖い。
クロード様の指が、わたくしの手を握り直す。
その温度だけが、確かな未来だった。
駆け込んだ伝令が、息を切らして跪いた。
「宰相閣下、陛下より、明日大聖堂にて婚礼を」
松明の火が、今度は祝福の光に見えるかどうか。
わたくしは、クロード様の手を握ったまま、答えをまだ持っていなかった。
ここまでお読みくださりありがとうございます。次話は明日の婚礼命令の真相と、クロード様の独占欲が一気に牙をむきます。面白い、続きが気になった、と思っていただけたら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで応援いただけると執筆の励みになります。感想も大歓迎です。




