第8話 証言台の王子と聖女
「次の証人、元王太子アーサー殿下。ならびにマリア・ベル」
書記官の声が落ちた瞬間、広間の空気がひっくり返った。さっきまでわたくしへ投げられていた視線が、獲物を変える獣みたいに動く。
誰かが笑い、誰かが舌打ちし、誰かが祈る。
「呼ぶつもりだったのね」
隣の椅子でクロード様が口元だけ動かした。
「驚きました?」
「君の手札はいつも遅れて出る」
「わたくしは慎重なのです」
「君は残酷だ。真実に対してだけは」
法廷の奥、王の前に置かれた鐘が鳴り止み、扉が開く。
現れたのは、豪奢さを削いだ青年だった。肩の線は細く、けれど立ち方に逃げがない。かつて「殿下」と呼ばれた人間が、今はただの「証人」として立っている。
検察役の貴族が即座に声を張り上げた。
「証言資格はありません! 罪人の言葉など――」
反論の拍が合うように、傍聴席からもざわめきが起こる。誰かが「操り人形」と吐き捨てた。
クロード様がゆっくり立ち上がり、視線だけで場を切った。
「罪状は審理済みだ。今この場で問うのは、侯爵令嬢の冤罪の有無。証言の価値は内容で測る」
王が短く顎を引き、鐘の横の衛兵が動きを止めた。
アーサー様は、わたくしを見ない。見る資格がないとでも言うように、木目の床を見つめたまま口を開いた。
「……わたしは、利用された」
それだけで、胸の奥がざらついた。軽い言葉は、刃になる。
「わたしは、あなたを悪役にした。自分が正しい物語の中心にいると信じたかったからだ」
ざわめきが減る。貴族席の笑いが引く。庶民席の息が詰まる。
この人の告白は、わたくしの名誉のためではなく、自分の首を絞め直すための言葉だ。
「あなたは……断罪の夜、わたしの前で止まった」
「止まった?」
「わたしを壊すための台詞を、あなたは壊した。帳簿と手紙を出し、王を動かした。あの瞬間、王都は血を流さずに済んだ」
わたくしの指先が、膝の上で震えた。思い出したのは歓声ではない。音が止まった舞踏会の床。息を飲む群衆。あの静けさだ。
胸が熱くなり、すぐ冷えた。感情は今、武器にならない。けれど、感じないふりも出来ない。
アーサー様は続けた。
「その後もだ。闇商会を潰した。帝国の圧を受け止めた。税を変え、流通を整えた。わたしは遠くから見ていた。見て、恐れていた。自分が何を壊したのかが、遅れて見えたからだ」
検察役が唇を噛む音が聞こえた。
「だが、孤児院の支援金は――」
「それも、わたしの名で動いた金だ」
アーサー様が初めて顔を上げる。視線はわたくしではなく、王へ向いた。
「孤児院への基金は、わたしが署名した。処罰の後も、わたしは贖罪として続けた。だが、その帳簿は……わたしの書式ではない」
クロード様の指が、わたくしの手首に触れた。止めるのではない。ここから始めろ、と合図する触れ方だ。
次の証人が呼ばれる。
マリア・ベル。かつて「聖女」と呼ばれた少女は、今は質素な衣で、髪も飾らない。けれど目だけが、よく見える人の目をしている。
庶民席から小さな声が漏れた。
「裏切り者」
別の声が返す。
「違う、あの子は……」
マリアは深く頭を下げ、宣誓の言葉を噛まずに言った。
「罪は消えません。でも、だからといって、事実を歪めていい理由にはなりません」
綺麗な台詞なのに、綺麗に聞こえない。生活の土が混じっている。
「孤児院の子たちは、支援が途切れたと聞いて泣きました。わたくしも泣きました。……疑いました」
胸の奥がきしむ。あの夜、帳簿を握っていたマリアの指先を思い出す。子ども達の名前を数えるように書く指だ。
「でも、帳簿の数字は、子ども達の顔と噛み合いませんでした。食糧は届いていた。薬も届いていた。冬の毛布も」
傍聴席の空気が動く。怒りが、迷いに変わる速度は遅い。けれど確かに変わる。
「配達に来た人が言いました。『君達は助けられる価値がある』と」
わたくしは息を止めた。その言葉は、わたくしの口から出した覚えがない。教会の説教にも似ていない。
マリアが続ける。
「その人の封筒に、小さな薔薇の印がありました。花弁の形が……黒かった」
クロード様の視線がわずかに鋭くなる。わたくしは、唇の裏を噛んで血の味を確かめた。焦れば、相手の筋書きに乗る。
王が杖で床を打った。
「被告、発言を許す」
広間が静かになる。静けさの中で、わたくしの鼓動だけがうるさい。
わたくしは立ち上がり、椅子の背を押した。被告席ではない。宰相の隣の椅子。その距離が、わたくしの背骨を支える。
机に置かれていた紙束へ手を伸ばす。ペンを握る。紙の白は怖い。だが白は、書けば味方になる。
「皆さまが見ているのは、帳簿という名の物語です」
声は落ち着いていた。落ち着かせた。
「本物の帳簿と、偽物の帳簿。並べれば、癖が出ます。書式、余白、線の引き方、インクの重さ」
検察役が苛立ちを隠さずに言う。
「癖など主観だ!」
「では、主観ではないものにしましょう」
わたくしは紙へ短い線を引き、数字の列を書き写した。筆圧の癖を再現しながら。
「監査局長バルトロメウスは、数字の番犬です。番犬は匂いで嘘を嗅ぎ分ける」
ざわめきが戻る。けれどこれは、さっきの嘲りの音ではない。期待と恐怖が混じった音だ。
わたくしは次の紙を開いた。王都で拾ったビラ。端に小さな薔薇紋。
「帳簿と同じ癖が、ここにもあります。煽り文句の切り方、言葉の間の置き方。わたくしは紙を見過ぎました。なので、似た手つきが分かります」
最後に、押収された計画書の写しを広げる。火を放つ地点の列。混乱を利用する段取り。わたくしの脳裏に、燃える王都の幻がよぎる。
喉が冷える。怖い。けれど今は、怖さを手綱に出来る。
「これらは別々に見えます。でも同じ人間の作法が滲んでいます」
わたくしはペン先で、黒い印の形をなぞった。花弁の角度。線の癖。
「改革を遅らせる正論と、扇動を煽る毒と、慈愛で裁く祈り。それらを同じ手で配る者がいる」
そして、口にした。
「ヴァレンシュタイン公爵ゲオルグ」
名前が落ちた瞬間、貴族席の奥で穏やかな微笑が揺れた。
鐘が鳴る前に、わたくしは確信した。
次に揺れるのは、視線だけではない。
ここまでお読みくださりありがとうございます。公爵ゲオルグの名が出た今、次は証拠の核心へ進みます。続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】で評価、【ブックマーク】で応援いただけると執筆の力になります。ひと言感想も大歓迎です。




