第6話 悪役令嬢、ふたたび断罪される
王城の白い石段を上がりきったところで、革手袋の音が増えた。
気づいた時には、左右から伸びた腕がわたくしの肘を挟み、逃げ道を消していた。
背後の門前広場がざわめく。視線が刺さる。あの夜と同じだ。音楽の代わりに、冷たい風が耳元で囁いた。
「レティシア・エルネスト侯爵令嬢。国家反逆ならびに公金横領の疑いにより、身柄を拘束する」
宣告の文言が、紙から読み上げられる。
紙の端に、棘のついた薔薇の刻印。わたくしはそこから目を離せなかった。
「……誤認ですわ」
声は不思議と震えなかった。
「誤認かどうかは、法の場で判断する」
兵士は淡々としている。淡々としているからこそ、理不尽が骨に食い込む。
わたくしの視界に、黒い影が滑り込んだ。
クロード様だ。いつもなら人混みを割って歩かない人が、今だけは真っ直ぐ来る。
その銀縁眼鏡の奥の目が、周囲の誰よりも先に状況を計算して、そして――計算を捨てた色を帯びた。
「令状を示せ」
「宰相閣下であっても、王命だ」
「王命ならば尚更、手続きは守れ。ここは見世物小屋ではない」
わたくしを挟む腕が強くなる。
背後で、貴族たちの小声が泡のように立った。
「やはり悪役令嬢は……」
「改革の名で金を……」
「平等を煽って、王に刃を……」
言葉の形は違うのに、矢の先は同じ場所へ向く。
あの舞踏会で、わたくしの存在が台本の都合で悪にされたように。
クロード様は視線だけで兵士の階級章を読み取り、次に紙へ手を伸ばした。
指先が令状の角を押さえる。わたくしは、そこに触れてはいけないものが混ざっていると直感した。
「……署名は陛下だな」
「はい」
「ならば、護送先は王城内の留置室にしろ。地下牢は認めん。病気が出れば王の名に泥を塗る」
冷酷な正論の形で、わたくしを守る言葉。
それでも胸の奥が軋んだ。守られているのに、足元が消える感覚があった。
「クロード様、わたくし……」
「喋るな。今は」
その短い制止が、逆に優しかった。
わたくしの手首に、金属が嵌められる。
鎖は長くない。歩幅を奪うための長さだ。
石段の下で、どこかの鐘楼が低く鳴った。祝福ではない合図が、王都へ流れていく。
王城の扉が開き、わたくしは中へ押し込まれた。
背中で民の声が途切れ、代わりに自分の鼓動だけが響いた。
留置室へ向かう廊下の途中で、書類係が待っていた。
机の上には帳簿が開かれている。紙の匂いと、乾ききらないインクの匂い。
わたくしは鎖を引かれたまま、そこへ立たされた。
「こちらが、横領の根拠となる帳簿です」
書類係は丁寧に言う。丁寧すぎる言葉は、刃物に似ている。
帳簿の表紙には、福祉基金の名。
孤児院への支援金。マリア様が、夜に子どもの名前を書き込んでいた帳簿と同じ種類の紙だと、指先が覚えていた。
「……見せて」
わたくしの願いは許され、帳簿が少しだけ近づけられる。
そこにあるのは、わたくしの署名だった。
しかし、筆圧が違う。線がやけに揃いすぎて、迷いがない。わたくしの癖――急ぐ時ほど最後の払いが鋭くなる、それがない。
息が止まった。
安心ではない。怒りでもない。
孤児院の窓の灯りが、頭の中で揺れた。
「院長が……泣いていたそうです」
書類係が、紙をめくりながら小さく付け足す。
「支援金が消えたと聞いて、子どもたちに説明できないと」
兵士の誰かが、気まずそうに視線を逸らした。
門前で、孤児院の子がわたくしを見つけて叫んだらしい。嘘つき、と。
胸の奥が熱くなり、次に冷えた。怒りの矛先が、子どもに向きそうになる自分が怖かった。
わたくしは息を整え、視線を帳簿へ戻す。
憎まれ役は慣れている。だが、子どもの明日を盾にされるのは別だ。
わたくしは改革の数字を弄ぶ人間ではない。あの子たちの名前を、背景の点として扱ったこともない。
なのに今、わたくしはその子たちの明日を奪った犯人として、紙の上に固定されている。
「……わたくしは、盗んでいない」
言った瞬間、周囲の空気が固くなる。証明できない否定は、弱く聞こえる。
わたくしは歯を食いしばり、帳簿の端を見た。
欄外に、細い追記がある。
帳簿の数字とは別の字。小さな癖。書き手の呼吸の跡。
そして、そこにだけ、薔薇の棘のような小さな印が付いていた。
説明はできない。今は。
けれど、覚えた。
この筆跡は、わたくしのものではない。
留置室の前で、兵士が足を止めた。
扉は鉄で、蝶番の音が嫌に大きい。
わたくしは中へ押し込まれる前に、後ろを振り向いた。
クロード様が、廊下の端に立っている。
人前で寄り添うことはしない人が、ここまで来ている。
その事実だけで、胸が揺れた。強く、危険に。
「……ごめんなさい」
口から出たのは謝罪だった。国を巻き込みたくない。あなたの椅子を危険にしたくない。
でも、謝罪はすぐに飲み込まれた。今それを言えば、わたくし自身が台本に戻る。
「謝るな」
クロード様の声は低い。けれど、刃ではなく、支えだった。
「必ず覆す。これだけは約束する」
わたくしは頷いた。
あの夜のわたくしは、孤立の中で笑ってみせた。
今日は違う。鎖はわたくしの手首にあるが、孤独はここにはない。
「わたくしも、覚えますわ」
「何を」
「ここで、誰が呼吸を乱したか。誰が紙を握りしめたか。誰が目を逸らしたか」
クロード様の口元が、ほんの少しだけ動いた。
笑みではない。決意の形だ。
兵士が鎖を引く。
扉が閉まり、外の音が遠ざかる。
薄暗い部屋の奥に、小さな椅子が見えた。
被告席に似た、固い木の椅子。
けれど、そこに座るべき誰かの気配がない。空席のまま、ただ影だけが落ちている。
わたくしの脳裏に、次の光景が差し込んだ。
鐘の音。紙の擦れる音。群衆の熱。
そして――宰相の隣の椅子が、また空いている未来。
息を呑んだところで、鍵の回る音が響いた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。レティの再断罪はここから逆転の起点です。次話で真犯人の影と、クロードの手が一気に動きます。続きが気になったら、広告下の【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆】評価で応援して頂けると執筆の励みになります。




