第3話 落ちた王子と、祈り続ける聖女
元王太子が、玉座ではなく畑の泥をつけた靴のまま、歪んだ木の椅子に腰を下ろしていた。
「殿下はもう居ない、ここではアーサーだ」
礼の角度を決めかねた私の横で、クロード様が息を落とす。
「今の呼び名に従え、彼はそれを望んでいる」
理不尽だと思った。あれほどの場所に居た男が、こんな椅子で息をしている。けれど、理不尽を言い訳にする時期は終わっている。
小さな集会所は木の匂いが濃く、窓からは冬の畑が見えた。村長らしい老人と、土の付いた手の若者たち。彼らはアーサーを守るように立ち、同時に監視するようにも見えた。
「久しぶりですね、殿下。いえ――今は、ただのアーサー様とお呼びすべきでしょうか」
「皮肉か」
「確認ですわ、呼び名で距離が決まりますもの」
口にしてから気づく。私自身が、距離を怖がっている。
アーサーは笑わなかった。代わりに、視線だけが揺れた。
「君は……あの夜、俺を断罪した」
「事実を並べただけですわ」
冷たすぎる返しだと分かっていても、引っ込められない。王都では、感情の先に群衆が居る。弱さは燃料になる。
「君が居なければ、俺はもっと深く落ちていた」
意外な言葉に、胸の奥がきしんだ。私の中に残っていた彼の姿が、塗り重ねた絵みたいに崩れていく。
クロード様が短い報告書を机に置いた。ビラの文言、街の演説、妙に耳障りな鐘の音。私が拾った薔薇の紋の写し。
アーサーは紙を見つめ、指先で縁を押さえた。王子の指ではなく、土仕事の指だ。
「また誰かが、物語を欲しがっているのか」
「欲しがるのは構いません。けれど、他人の命で書くのは許しませんわ」
言い切った瞬間、背中に熱が走った。自分の声に、自分が押される。
村長の背後で、痩せた青年が口を開いた。
「でも……アーサー様が戻れば、民は安心します」
その言葉は優しさの形をして、鎖の音がした。
「安心のために、また飾りにするおつもり?」
私が向けた笑みは社交のそれに似ていて、自分でも嫌になる。
「あなたが求めているのは、真実ではなく看板ですわ。看板は燃えます。燃えた後に残るのは灰だけ」
青年は黙った。村長が目を伏せる。
アーサーが、私ではなく青年を見て、首を振った。
「戻らない。ここで働く。俺が出来るのは、壊した分の土を耕すことだけだ」
木の椅子が、きしりと鳴った。
「ただ、必要とあらば……また人前に出よう、今度は裁かれる側ではなく証言する側として」
逃げない目だった。
私は喉の奥の息を呑み込み、静かに頭を下げた。
「その言葉だけで、足りますわ」
「王都で、その言葉を聞かせてください、あなた自身の声で」
帰りの馬車で、クロード様は窓の外を見ていた。
「強い、だが危うい頼み方をしたな」
「分かっています、利用だと受け取られてもおかしくない」
「だからこそ、私が同行している」
淡い怒りが混ざる声音。私の指先を、彼が覆う。
「今度は、そなたを群衆の前で独りにしない」
その言葉の重さに、息が詰まった。守りの誓いは、時に痛い。
孤児院の扉は、昼間の喧騒を吸い込んで夜の静けさを吐き出していた。
廊下の先で小さな笑い声が弾ける。子どもたちが輪になり、その中心にマリアが居た。
淡い色の髪は乱れ、袖口は擦り切れている。けれど、彼女の目は真っすぐだった。舞台の光ではなく、生活の光だ。
「マリア様」
呼ぶと、彼女は肩を震わせた。それでも逃げずに頭を下げる。
「……レティシア様」
名前を呼ばれただけで胸が痛む。あの夜、彼女は泣いていた。私は笑っていた。
「レティお姉さま? えらいひと?」
年長のトマが私を見上げ、口を尖らせる。
「えらい、ではありませんの。約束を守りに来ただけ」
リナがマリアの裾を握っている。指先が白い。
マリアは子どもたちの頭を撫で、私へ向き直った。
「ご用件は分かっています、王都が……揺れているのでしょう」
説明をしなくても届く言葉が、逆に怖い。
子どもたちが寝室へ消え、廊下の灯が落とされると、孤児院は別の顔になる。暖炉の火が小さく揺れ、木の床が乾いた音を立てた。
マリアは机に帳簿を広げ、羽根ペンを取った。紙に触れる仕草が、祈りに似ている。
「名前を書いているの」
「名前?」
「ここに居る子たちの。今日、泣いた子も笑った子も。明日、忘れないために」
ペン先が走り、字が並ぶ。トマ。リナ。ほかにも、短い名が続く。
その横に、小さな欄があった。寄付。食糧。毛布。医薬。
レティシア名義、と書かれた行を見つけて、指が止まる。私の改革が流した水の跡が、ここで形になっている。
「ゲームの中では、きっとこういう人たちが背景だったんだと思う」
マリアが、ぽつりと言った。
返事が遅れた。前世の画面では、背景は息をしない。台詞も持たない。燃えても、数字が減るだけだ。
けれど今は、名前がある。息がある。眠りがある。
自分が昔、彼らを背景として見ていた事実が、喉を締めた。
私は淡々と告げた。淡々としないと、声が割れそうだった。
平等の名を借りた言葉が増えていること。貴族を吊るせと叫ぶ声。福祉は搾取だと断じる声。
マリアは顔を上げ、揺れる火を見た。
「怒りは……正しい場所を探して彷徨うのね」
「彷徨わせる手が居ます」
クロード様が低く言う。彼の影が暖炉の光で長く伸び、床に黒い線を引いた。
「お願いがあります」
私は息を整え、マリアを見た。
「駒としてではありません、証言者として真実を語ってほしい」
言った瞬間、自分の胸がえぐられる。都合がいい。そう思われても仕方がない。
マリアは帳簿を閉じず、指で紙の端を押さえた。
「怖いです」
正直な言葉に、救われる。
「でも……逃げると、また誰かが子どもたちの名前を消します」
彼女の声が震え、次の瞬間に固まった。
「背景ではなく、責任を負う前景として立ちたい」
その宣言は、私の胸の痛みを別の形に変えた。赦しではない。責任だ。だからこそ、信じられる。
外に出ると夜気が頬を刺した。クロード様が私の肩へ外套をかける。
「顔色が悪い」
「見たくないものを、見ただけですわ」
「見たくないからこそ、見たのだろう」
彼の指が留め具を確かめる。触れられる場所だけが温かい。
「私は、そなたの正しさで国を救う気はない」
不意の言葉に心臓が跳ねた。
「私は、そなたを救う、結果として国も救う、それでいい」
甘い言い方ではない。けれど、私の背骨を支える言葉だった。
門を出る前に、私は振り返った。孤児院の窓に、小さな炎が灯っている。風に揺れ、薄い硝子の向こうで揺らめく。
その炎が、私の目の奥で別の光へ変わる。広場。怒号。松明の列。誰かの顔が燃えるように赤い。
私は視線を逸らさなかった。あの光を、ただの灯りのまま終わらせるために。
ここまでお読みいただきありがとうございます。落ちた王子と祈る聖女、そしてレティの覚悟が動乱の火種に触れました。続きが気になったり、少しでも「面白い」と思って頂けたら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで応援をお願いします。反応が次話の更新燃料になります。次は王都で、炎が灯りになるかが試されます。




