第2話 決まらない会議と、バルコニーの宰相補佐
扉が叩きつけられ、伝令の息が紙の端を震わせた。
「王城の南門前で、ビラ配りが揉み合いになりました。負傷者が出ています。あと……城内の物置からも同じビラが見つかりました」
王城の内側で見つかった、平等のビラ。
わたくしの背筋に、昨夜の鐘より冷たいものが走る。
宰相執務室の長卓には、軍部と文官の顔が並ぶ。
机上の地図より、目線のほうが鋭い。
「見せしめが必要だ。下町を封鎖し、煽動者を片端から検挙しろ」
鎧の肩章が光る将官が、拳で卓を叩く。
「民の不満を力で押さえれば火種に油だ。静観し、教会に説教を頼むべきだ」
反対側の官僚が、紙束を抱えたまま顎を引く。
わたくしは、伝令から受け取ったビラを机に置いた。
紙は安いのに、墨だけが妙に濃い。
「文体が、以前押収した教団文書と似ています。煽り方が同じですわ」
言い切った瞬間、部屋の温度が落ちた。
視線が、紙からわたくしへ移る。
「教団だと? それは憶測だろう」
「憶測ではありません。……この端をご覧になって」
ビラの隅には、花弁を模した小さな紋が押されている。
薔薇だと気づけるほど丁寧ではない。
けれど、わたくしには足りる。
「ならば早く叩くべきだ」
将官が吐き捨て、別の誰かが続けた。
「そもそも、平等だの救済だの、最近声高に言い始めたのは誰でしたかね」
軽い笑いが混じった。
悪意の音だ。
わたくしの喉が、乾く。
胸の奥で、昔の音楽が鳴り出す。
あの広間。
あの視線。
あの断罪。
ここでまた、同じ役を押しつけられるのだろうか。
椅子の軋みが止まり、クロード様の声が落ちた。
「責任転嫁の前に、事実を数えろ」
笑いが消えた。
「負傷者の内訳。誰が何を持っていた。どこから現れ、どこへ消えた。城内の物置に、なぜ同じ紙がある」
冷えた刃みたいな列挙だ。
けれど、わたくしには救いの響きだった。
「情報が足りない。今日この場で結論は出さない」
将官が眉を吊り上げる。
「宰相、時間稼ぎか」
「誤爆を避ける。まず動線を洗え」
クロード様の指が、わたくしの置いたビラを軽く押さえた。
「それに、彼女の報告は価値がある。文体と紋、城内に入った経路、そこからだ」
誰かが舌打ちし、誰かが渋々うなずく。
決まらない。
決めない。
苛立ちが残るはずなのに、わたくしの胸の重りが少しだけ軽くなった。
わたくしが吊るされる前に、クロード様が糸を切ったのだと分かったから。
会議が散ったあと、クロード様は机の端を指で叩いた。
「今夜、舞踏会がある」
「……今夜に?」
「王が沈静化の意思を示す。貴族に安心を与え、民に混乱がないと見せる」
安心。
見せる。
どちらも紙の言葉みたいに薄い。
「踊れと言われたら踊りますわ」
わたくしがそう返すと、クロード様は目を細めた。
「踊らなくていい。見る役でいろ」
夜、王城の大広間は断罪の舞踏会と同じ装いだった。
天井の星形の飾りも、壁の金の縁取りも、そして曲まで同じ。
音が始まった瞬間、わたくしの足が止まる。
身体は覚えているのに、心が拒む。
「宰相の婚約者様、今夜はお美しいこと」
甘い声。
けれど言葉の裏に、刃がある。
「お優しいのね。下町に粥を配ったとか」
「平等を掲げるのは結構。でも、貴族の椅子を奪うのはどうかしら」
噂が踊る。
音楽より軽く、毒より速い。
わたくしは笑みを崩さず、杯の縁だけを指でなぞった。
踊らないぶん、観察ができる。
舞踏の輪の外側で、若手貴族が肩を寄せていた。
聞こえる言葉は、今朝のビラに似ている。
「高い塔が影を落とす。南側の土は踏みにじられ続ける」
詩みたいな言い回し。
けれど、誰かの台本の匂いがする。
輪の中心にいた男の胸元に、赤い花弁の意匠がちらりと見えた。
わたくしの背中に、冷たい汗が浮く。
「レティシア」
背後から呼ばれ、振り向く。
クロード様は人混みの奥で、こちらへ真っ直ぐ歩いてきた。
踊りの輪が、わずかに避ける。
宰相の歩幅は、許可証だ。
「噂の速度が速い夜だな」
「速度だけは優秀ですわね。内容は粗雑ですけれど」
口にした皮肉で、胸の中の震えが整列する。
曲が繰り返されても、断罪は起きない。
それが逆に恐ろしい。
決断も裁きもないまま、空気だけが腐る。
わたくしは踊らず、クロード様の隣で静かに立っていた。
舞踏会が終わり、人の波が薄くなったころ、クロード様に腕を引かれた。
扉の先は、冷えた夜気のバルコニーだった。
王都の灯が、遠くまで散っている。
美しいのに、どこか不安定で、揺れて見えた。
「会議では言い切れなかった顔をしている」
クロード様の声が近い。
外は冷たいのに、その近さだけが熱を持つ。
「顔を隠す癖は、直りませんの」
「直せ。今夜は特に」
短い命令。
けれど責める響きではない。
クロード様の外套が、わたくしの肩に落ちた。
重さが、妙に安心をくれる。
「王都動乱ルートを知っています」
言葉が自分でも驚くほど低く出た。
クロード様の目が、わずかに細くなる。
「誰かが平等を口実に火をつける。最初はビラ、次に演説、次に……」
喉が詰まり、続きを飲み込む。
炎の匂いが、まだ鼻に残っている気がした。
「次に、わたくしが吊るされます」
クロード様が手袋を外し、わたくしの指を握った。
「今度こそ、そなたを群衆の前で1人にはしない」
その言葉が胸に落ちた瞬間、わたくしの中で何かが崩れた。
怖い。
悔しい。
腹立たしい。
全部が混ざって、涙になる前に、息で押し戻す。
「誰かが用意した台本より、今ここにいる人たちの顔色の方が大事ですわ」
自分の決め台詞が、今夜は刃ではなく支えになった。
クロード様は指を離さず、王都を見下ろした。
「ならば、台本の書き手を引きずり出す」
「……その前に。駒を、駒のまま置いておきたくありませんの」
わたくしは視線を上げた。
言葉の先にいるのは、元王太子と、かつての聖女だ。
「落ちた王子と、祈る聖女の今を確かめに行きましょう」
「証人にするつもりか」
「ええ。物語の主役ではなく、真実を語る役として」
クロード様の親指が、わたくしの手の甲をゆっくり撫でた。
「危険は増える」
「危険は、放っておいても増えますわ」
わたくしは笑ってみせた。
今夜の笑みは、舞踏会のためではない。
ふと、遠くの街並みに、小さな灯が残っているのが見えた。
孤児院の窓だ。
遅い時間なのに、消えていない。
その光の横で、赤い何かが揺れた気がした。
ビラの隅の花弁が、脳裏で重なる。
あの灯りは、祈りか。
それとも、花弁か。
ここまでお読みいただきありがとうございます。城内に入り込んだ花弁の痕跡、そして孤児院の灯——次話で誰が糸を引くのかが一気に動きます。続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価と【ブックマーク】で応援いただけると励みになります。




