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「連載版」婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました 〜ざまぁのその先は、宰相閣下と甘い政略ライフ〜  作者: 夢見叶
第3部 隣国帝国編・皇太子妃候補とシリーズ最大の揺らぎ

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第6話 歪んだ宮廷と、妃候補の席順

「遠き隣人が、我が子の隣を訪ねてくれたか」


 玉座の間に響いた声は柔らかいのに、逃げ道がなかった。

 わたくしは膝を折り、視線を上げないまま呼吸の深さだけを整える。王都の大広間に似た構図。なのに壁の紋章は棘のある薔薇で、軍旗の色が濃い。鏡の国。そう言ったのは、父だったか。


 背後でクロードが同じように礼を取った。わたくしの肩に落ちる彼の気配が、いつもより静かで硬い。


「レティシア・エルネストでございます。ルーベンス王国の特使として、謹んでご挨拶申し上げます」


「特使、か。よい名だ」


 皇帝陛下は微笑んだ。文化人の顔。けれど瞳の底にだけ、長い夜の疲れが沈んでいる。


「だが、席は言葉より正直だ」

「我が子よ。客人は椅子で迎えよ。言葉ではなく、席で」


 椅子。

 その単語だけで胸の奥が冷えた。宰相執務室の、空席が脳裏を掠める。あの場所に座れるのは、誰か。わたくしは、どこに座るのか。


「父上、もちろん」


 皇太子ユリウス殿下が軽く笑って、まっすぐこちらを見た。恋愛に素直で、政治には冷たい――船の上で聞いた評判が、視線の温度だけで裏返りそうになる。


「王国の黒薔薇令嬢。君が来てくれて嬉しい」


 その言い方が、もう社交の罠だ。嬉しい、の裏に条件が潜む。


 玉座の脇から滑るように進み出たのは、細身の男。黒に近い官服、銀の鎖。目が笑っていない。


「帝国宰相、ハインリヒ・クロイツでございます」


 次に、同じ場所へ歩を進めた白衣の聖職者が、静かに十字を切った。白の中に、刺繍の黒薔薇が混じる。目元だけが冷たい。


「大司教セルジオ・メルカド。主の祝福が、あなたの旅路にありますように」


 最後に、皇太子の少し後ろで腕を組んでいた女性が、わたくしへ小さく顎を上げた。背筋がまっすぐで、瞳が理屈の光をしている。


「皇女リディア。……あなた、噂より面白そうね」


 政治、軍、宗教、皇族。

 たった今、帝国の骨格が並べられた。わたくしの足元に、見えない盤面が敷かれていく。


 ハインリヒ宰相が、クロードへ視線を投げる。


「ラグランジュ卿。久しいな」

「帝国の宰相殿。ご健勝そうで何よりです」


 クロードの敬語が、やたら丁寧だ。丁寧すぎて、角が立つ。

 ……嫉妬の時の癖に似ている、と気づいてしまった自分が腹立たしい。


 皇帝陛下は手を上げた。


「今宵は歓迎の晩餐を用意した。まずは謁見の儀を終えよう。話は席で続ける」

「席で、ですか」


 わたくしが口にした瞬間、ユリウス殿下の口角が少し上がった。


「君は理解が早い」


 その言葉が褒め言葉なのか、諦めろという命令なのか。判別する暇はなかった。


 


 謁見を終えて控えの間へ下がると、クロードが無言で紅茶を差し出してきた。甘い香りが濃い。


「……砂糖が多くありませんこと」


「そうか」

「そうか、ではありませんわ。わたくし、これでは頭が回りません」


 クロードの目が、ほんの少しだけ細くなる。


「では、陛下の前で回す必要はない」

「回さないと、座る椅子を選べなくなるのです」


 わたくしが笑うと、クロードは返事をしない。代わりに、カップの縁を必要以上に整えて置いた。その几帳面さが、胸に刺さる。


 そこへ、皇女リディアが扉を開けた。


「堅い空気。王国の宰相って、こんなに無表情なの」

「皇女殿下」

「いい。今は仕事抜き。……庭、行きましょう」


 


 庭園は白薔薇が多い。王国の庭は色で誇るのに、帝国の庭は形で誇る。剪定が完璧で、棘の向きまで揃っているように見えた。


「帝国って、もっと華やかだと思ってましたわ」

「華やかよ。外側だけはね」


 リディアは歩きながら、指先で葉の縁を撫でる。棘に触れない距離感が、彼女の政治そのものみたいだった。


「父は穏やかに見えるでしょ。あれは本当。でも穏やかだからこそ、軍と神殿に舐められる」

「……軍と神殿が強いのですね」

「強い、というより、勝手」


 吐き捨てるのではなく、事実を置く声。理系の冷静さが、妙に安心をくれた。


「良いところもあるわ。議会は面倒だけど、決まったことは速い。法は、言い訳を減らす」

「羨ましい響きですわ」

「羨ましいなら、持って帰れば」


 冗談めかして言いながら、リディアの瞳が一瞬だけ鋭くなる。


「あなた、特使の顔で来たのに、妃候補の顔を被せられる。腹が立たないの」


 胸の奥が跳ねた。

 ……腹が立つに決まっている。けれど、それを顔に出した瞬間、椅子は奪われる。


「腹が立ちますわ」

「素直でよろしい」

「ただし、利用できる怒りだけにします」


 リディアが口元を緩めた。


「好き。そういうの、帝国では希少」


 その時、庭の向こうから軽い足音が来た。


「姉上、また王国の客人を攫ってる」

「攫ってない。連れてきただけ」

「同じだよ」


 ユリウス殿下が、こちらへ手を振る。手のひらの軽さと、目の奥の計算が同居している。


「レティシア。今夜の席、緊張してる顔だ」

「殿下が緊張させるからですわ」

「それは光栄だな」


 ……この人、堂々と口説く。

 わたくしが返す言葉を選ぶ間に、ユリウス殿下の視線がわたくしの背後へ流れる。


「クロード卿は」

「仕事」

「即答だね、姉上」


 ユリウス殿下は笑ったまま、けれど声の温度を落とした。


「今夜は、君の席が君の言葉になる。君の隣に座る者も、君の言葉だ」

「椅子が喋る国なのですね」

「うん。だから、君の言葉を僕の隣に置きたい」


 胸の奥が、すうっと冷える。甘い言葉の形をした政治。

 リディアが、わざとらしく咳払いをした。


「はいはい。今夜は晩餐。口説くなら、乾杯の後」

「姉上は本当に邪魔が上手い」

「褒め言葉として受け取る」


 


 晩餐会の広間へ通された瞬間、わたくしは理解した。

 ここは玉座の間より、露骨だ。


 長い卓。左右に並ぶ椅子の背もたれは揃っている。けれど、中央だけ違う。皇帝陛下の椅子は高く、皇太子の椅子も同じ高さで、そして――その右隣に置かれた椅子だけ、背が少しだけ高い。


 装飾が過剰ではない。だからこそ怖い。

 棘の薔薇。白い木肌。座面の布は、王国の宮廷にはない深い黒。


 妃候補席。

 誰も言わないのに、椅子が言っている。


「こちらへ」


 ユリウス殿下が自然に誘導する。わたくしの足元から、床の模様が喉元へ絡みつく気がした。

 特使と呼ばれる。けれど座る場所は、政治でも外交でもなく――婚姻の場所。


 感情が大きく揺れた。

 怒り。恐れ。焦り。背中に汗が滲む。前世の画面がよぎる。選択肢。強制イベント。座ればルートが固定される、という錯覚。


 わたくしは、息を吸った。

 ここはゲームの画面ではない。わたくしは駒ではない。椅子も、わたくしを縛る鎖ではない。


「……失礼いたします」


 椅子の前で立ち止まり、わたくしはあえて笑みを作った。


「皇太子殿下のお隣。これは、帝国が和平を最優先に置くという宣言と受け取りましたわ」

「宣言」

「ええ。椅子が喋る国なのでしょう」


 周囲の視線が、少しだけ揺れる。

 妃候補、という読みを、特使の読みで上書きする。小さな逆転。これで場の意味が、わずかに変わる。


 ユリウス殿下が目を細めた。


「君は本当に……面白いね」

「褒め言葉として受け取ります」


 皇帝陛下が静かに頷いた。


「良い。言葉を椅子に縫い付けたな」


 その反対側、少し離れた位置にクロードの席がある。距離は礼儀の範囲。なのに胸が痛い。

 クロードがこちらを見る。表情は変わらない。けれど視線だけが、少しだけ鋭い。


 乾杯前。ユリウス殿下がグラスを持ち上げる手を止めた。


「ところで、王国の宰相は愛をどう扱う」

「唐突ですね」

「唐突が好きなんだ」


 クロードが、やたら端正に口を開く。


「宰相として申し上げるなら、愛は政治の障害にも燃料にもなり得ます」

「冷たい」

「冷静です」


 ユリウス殿下が楽しそうに笑う。


「じゃあ、レティシア。君は」

「……わたくしは」


 視線が集まる。皇帝、宰相、皇女、大司教。帝国の盤面が、わたくしの返答を待っている。


「愛は、政治の言い訳にもなりますわ」

「言い訳」

「愛を掲げると、人は勝手に美談にしてくれる。逆に愛を隠すと、陰謀にしてくれる。なら――言い訳の形を選ぶのも、政治です」


 リディアが小さく笑った。


「王国、怖い」

「褒め言葉として受け取ります」


 クロードの指が、グラスの脚を少しだけ強く押さえた。ほんの少し。けれど、わたくしには分かる。

 甘い紅茶より、はるかに甘くない嫉妬。


 その時、大司教セルジオが立ち上がった。広間の空気が、ふっと軽くなる。軽くなるからこそ、背筋が冷える。


「主の御名において、この宴を祝福いたします」

「今宵は序章。正しい終幕へ向けて、役者が揃う夜」

「脚本は慈悲深く、しかし厳格です。与えられた筋を踏み外せば、物語は濁る」


 脚本。終幕。役者。

 言葉の選び方が、祈りではなく宣言に近い。わたくしの喉が乾いた。誰も咎めない。誰も違和感を口にしない。だから余計に怖い。


 セルジオの指に黒い印章が見えた気がした。棘を強調した薔薇の形。光に溶けて、確信にできない。


「では」


 ユリウス殿下がグラスを上げる。


「隣人に」

「和平に」

「そして――」


 視線が、わたくしへ刺さる。


「選び直す未来に」


 乾杯の声が広間を満たした。


 


 音楽が流れ、料理が運ばれ、笑い声が増える。けれど、椅子は黙らない。わたくしの背中に張り付いたまま、ひたすら役割を囁く。


 食卓の端から、銀のトレーが近づいてきた。白衣の神官が、跪いて差し出す。封蝋は帝国神殿の紋。薔薇の棘が、やけに鋭い。


「大神殿より。浄化儀礼の式次第でございます」


 ユリウス殿下が受け取り、わたくしの前へ置いた。


「君も見るべきだ。君の席は、もう君だけのものじゃない」


 封蝋の赤が、血の色に見えた。

 指先が冷える。前世の記憶が、紙の匂いと一緒に立ち上る。


 わたくしは、封を切るためにナイフへ手を伸ばした。


 その瞬間、クロードの視線が、椅子より重くわたくしを縛った。

読んでくださってありがとうございます。椅子が語る帝国で、レティは特使の言葉を縫い付けました。次話、神殿から届いた式次第の封が開きます。続きが気になったら、下の【ブクマ】と【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると励みになります。感想も一言でも嬉しいです。


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