表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「連載版」婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました 〜ざまぁのその先は、宰相閣下と甘い政略ライフ〜  作者: 夢見叶
第3部 隣国帝国編・皇太子妃候補とシリーズ最大の揺らぎ

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/29

第4話 船上の夜と、帝国使節の影

「帝国は、王国ほど王様の顔色を気にしませんので」


 湯気の立つ皿の向こうで、帝国側の文官が涼しい顔で言った。船の食堂は昼でも薄暗く、波のうねりが床板をゆっくり押し上げる。

 私はスプーンを止めた。王の言葉に怯え、宰相の判断に救われてきたこの国で育った身には、軽く投げられたその差が刺さる。


 隣にいるクロードは黙っている。黙り方が、いつもより硬い。彼は私の皿の手前に置かれた白い布を、必要以上に丁寧に折り直した。


「顔色を気にしない、というのは羨ましい響きですわね」


 微笑んで返す。口角だけで。

 文官は、こちらの反応を値踏みするように目を細めた。


「羨ましい、ですか。では王国は楽でしょう。命じる者が明確だ」


「明確なぶん、歪みも明確に溜まりますの」


 クロードの視線が私の横顔に触れた。ほんの少し、息が浅くなる。


 軍服の男が大きく笑い、食器を鳴らした。


「歪みなら帝国にもあるさ。議会の連中は、剣を握ったこともないくせに戦の話をする。口は達者でな」


 その言葉に、私の背筋が冷える。戦。

 潮の匂いより先に、古い記憶の匂いが鼻を刺した。前世で遊んだ、あの物語の分岐点。平和が、音もなく戦に変わる瞬間の手触り。


 私はスープを飲んで、胃の底に落とした。落ち着け。ここはゲームの画面じゃない。私は駒じゃない。


「帝国は軍拡を進めていると聞きましたわ」


 私がそう言うと、軍人は肩をすくめた。


「進めているのは隣の小国も同じだ。海の向こうは広い。守るなら、備えるしかない」


 文官が口を挟む。


「守る、という言い方が気に入らない議員も多い。皇帝陛下の権威は強いが、帝国は陛下だけで回っていない。貴族も商会も宗教も、みな席を欲しがる」


 席。

 その単語だけで、胸の奥に椅子の背もたれが浮かぶ。帝国で用意される席は、私にとって居場所なのか、それとも檻なのか。


 私は敢えて、話を数字へ引き寄せた。


「席を欲しがるなら、税の配分は揉めますでしょう。航路税と港湾税、帝国はどちらを重く見ますの」


 文官の目が見開かれた。スプーンが止まる。軍人が「なんだそれ」と笑いかけて、途中で口を閉じた。


「……王国の令嬢が、その切り口を?」


「宰相の隣にいると、嫌でも耳に入りますの」


 クロードが小さく咳払いをした。

 その音だけで、文官の背筋が伸びる。


「失礼。王国特使代表、ラグランジュ公爵閣下でしたね」


「形式は船の揺れに弱い。呼び方は簡略でいい」


 淡々とした声。けれど、その淡々が刃物みたいに鋭い。

 文官は汗を拭い、慌てて言い直した。


「では、ええ……港湾税が主です。帝都の議会は海運に口を出したがる。ですが、殿下は」


 殿下。皇太子ユリウス。

 私の鼓動が、波と別のリズムを刻み始める。


 若い神官が、祈るように両手を組んだ。


「殿下は、民の飢えを嫌います。光薔薇教も、飢えは心を荒らすと説きますから」


 光薔薇教。王国でも名は聞く。だが帝国では、宗教は礼拝堂の外まで影を落としている。


「神官さま、船でも説教ですか」


 軍人が茶化す。神官は頬を赤くしながらも、真面目に続けた。


「説教ではなく……歴史の話です。帝国には昔、世界を変えると叫んだ古い教団があったそうで。今は伝説ですが、神殿の奥では今も……」


 言葉が途切れた。神官が自分の舌を噛みそうになり、目を泳がせる。

 その瞬間、クロードの声が半音だけ低くなった。


「神殿の奥で、何がある」


 神官は慌てて首を振った。


「い、いえ、ただの昔話です。光薔薇の教えは穏やかで、帝国の秩序を守っていて」


 秩序。守る。

 軍人の笑い声が消えて、食堂の空気が少し重くなる。私は息を整え、話題を料理へ逃がした。


「この香辛料、海沿いの都市の名物でしたわね。酸味を強くして、保存を優先する」


 神官がぱっと顔を上げた。


「ご存じなのですか」


「書で読んだだけですの」


 嘘ではない。前世の、薄いフレーバーテキストで。

 文官は困ったように笑い、私の皿を見た。


「王国の黒薔薇令嬢は、随分と準備がいい」


 黒薔薇。

 その呼び方が、からかいなのか称賛なのか分からない。分からないまま、私の胸をかすめる。帝国に来た瞬間から私は名前で切り取られ、物語の役を与えられるのだろうか。


 クロードが私の茶杯に手を伸ばした。砂糖の香りが、いつもより濃い。


「甘すぎますわ」


「海の塩気が強い」


 言い訳が下手すぎる。

 私は笑いそうになって、笑えないまま口を閉じた。甘いのは、茶ではなく彼の警戒だ。


 食堂の話題は再び政治へ戻り、私は必要な言葉だけ拾って飲み込んだ。議会。軍。神殿。椅子の取り合い。

 それらが、静かに私の足元へ網を広げてくる。


     *


 夜。甲板へ出ると、風が頬を切った。

 海は黒く、星は白い。水面は鏡みたいに空を映し、船の軋みが遠い呼吸のように続く。


 私は手すりに指を置き、冷たさで意識を固定した。


「帝国は、この水面に映る王国みたいなものかもしれませんわね」


 隣で、クロードがゆっくり息を吐いた。


「映っている空は同じでも、沈むのは水の方だ」


 その比喩が、胸の奥に沈んだ。沈むのは水。揺れるのは海。けれど、本当に沈むのは。


「……私が、沈むとでも」


 言葉が勝手に出た。

 クロードが私を見た。視線が真っ直ぐで、逃げ場がない。


「沈ませない」


 短い断言。宰相としての命令みたいで、男としての祈りみたいでもある。

 胸が熱くなって、同時に怖くなる。私は彼の言葉に甘えたいのに、甘えた瞬間に足元が消えそうだ。


 風向きが変わる。潮の匂いに、灯油の匂いが混じった。

 遠くで、点のような光が増えていく。海の向こうに、帝国港の灯りが浮かび上がった。


 そのとき、背後から靴音が近づく。

 振り向く前に、クロードの体が僅かに前へ出た。


「公爵閣下、黒薔薇令嬢。帝都より急使です」


 船員が差し出した筒には、黒い蝋で封がされていた。押し型は薔薇ではない。けれど、私の心臓は嫌な跳ね方をした。


「殿下が……今夜の入港後、直々にお迎えになると」


 海が鏡なら、ここから先は誰の物語だ。

 私は答えられないまま、帝国港の灯りを見つめた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。帝国港に灯が近づくほど、レティとクロードの距離も、危うく甘く揺れていきます。次話は殿下の直々の迎えから一気に波乱へ。続きが気になったら、ブックマーク&広告下の【☆☆☆☆☆】評価で応援いただけると、執筆の燃料になります。感想も一言でも嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ