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「連載版」婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました 〜ざまぁのその先は、宰相閣下と甘い政略ライフ〜  作者: 夢見叶
第3部 隣国帝国編・皇太子妃候補とシリーズ最大の揺らぎ

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第3話 出航の日と、鏡の水面

「皇太子妃候補レティシア・エルネスト様、乗船を確認」

 港の書記が淡々と読み上げた肩書きが、潮の匂いより先に喉を刺した。

 宰相の婚約者になったはずの私が、いつの間にか帝国の妃候補として数えられている。

 王国の岸が、鏡の向こう側に沈んでいく。


 桟橋は霧と人の熱でざわついていた。

 荷を運ぶ男たちの掛け声、帆の軋む音、軍靴の乾いた足音。

 全部が現実なのに、私の足元だけが薄氷みたいだった。


 レオンハルト陛下が護衛の輪を割って歩み出る。

 王冠はなくとも、海風が勝手に膝を折るみたいな圧がある。


「忘れるな。これは政略である前に、和平のための旅だ」


 命令ではなく、釘だった。

 私は息を吸って、頷く。


「陛下の釘は、痛いほど効きますわ」


 言ってしまったあとで、自分の声が震えているのに気づく。

 笑いに変える余裕なんてないのに、癖で口が動く。


 父は私の手を握ったまま離さない。

 侯爵の手は温かいのに、爪先は冷える。


「目で戦うな。戻る場所は、まだ王国にある」


 母は私の髪を整えるふりをして耳元で囁いた。

 香の匂いが、子どもの頃の寝室を連れてくる。


「椅子はね、座るよりも……降りる時のほうが勇気が要るのよ」


 胸の奥が、ぐらりと揺れた。

 宰相の隣の椅子。

 王国のために座ると決めた椅子。

 なのに今、私はその椅子ごと船に載せられている。


 舷側へ向かう途中、視線を感じて足が止まる。

 桟橋の端、少し離れた場所に馬車がある。

 幌の影に、見慣れた金髪が揺れた。


 アルノルト。

 元王太子。


 私が想像していたのは、憎しみか、嘲りか、あるいは自分勝手な呼び戻しだった。

 けれど彼は、ただ帽子のつばを押さえ、深く頭を下げた。

 私のほうへ、ではなく。

 王国そのものへ、という角度で。


 それが、最悪だった。

 私の中で終わったはずの過去が、音もなく立ち上がる。

 心臓が、嫌な速さで打つ。


「見るな」


 クロードの声が、背後から落ちた。

 肩に外套がかかり、視界が半分隠れる。

 いつもより早い手つきだった。


「……見ていませんわ」

「見ていた」


 否定が、言葉じゃなく呼吸の乱れでばれる。

 クロードは私の背をそっと押して、船室への階段へ誘導した。

 優しさの形をした、過剰な配慮。

 それが、今はありがたいのに悔しい。


 船室は思ったより整っていた。

 荷はすでに積み替えられていて、机の上には航路図と封筒が並ぶ。

 封蝋に混じる黒い意匠が、薔薇に見えた。

 見間違いだと決めつけた瞬間、背筋が冷える。


「顔色が悪い」

「船が揺れているだけですわ」

「揺れているのは船だけではない」


 クロードは小さな箱を開け、茶葉の香りを立たせた。

 湯気の向こうで、彼の目だけが冷静だった。


「船酔いティーだ。飲め」


 差し出されたカップを受け取る指が震える。

 熱いのに、指先だけが冷たい。

 口に含むと、薬草の苦みの奥に、ほんの少し甘さがあった。


「……甘い」

「吐き気止めだ。余計な感想は要らん」


 そっけないのに、視線は私の喉元から離れない。

 私が飲み込めたのを見届けて、ようやく彼は息を吐いた。


 その瞬間、私は理解してしまう。

 私は帝国に行くのが怖いのではない。

 怖いのは、私の隣の男が宰相の顔でしか私を守れなくなることだ。


「クロード」

「何だ」

「もし……帝国が、私を本気で奪うつもりなら」


 言いかけて、喉が詰まった。

 奪う。

 その単語だけで、さっきの肩書きが蘇る。


 クロードは椅子に腰掛け、私を見上げた。

 その視線が、政治の計算ではなく、感情の重さを帯びている。


「奪わせん」

「でも、和平のためなら……」

「和平のために、そなたを差し出す王ではない」


 言い切る声が、陛下の釘より強い。

 私の中の何かが、ぐしゃりと潰れて、かわりに熱いものが湧いた。

 泣くのは、今は違う。

 そう思っても、目が勝手に滲む。


 クロードは立ち上がり、私の手首に触れた。

 掴むのではなく、確かめるように。


「そなたは、椅子ではない」

「……私は椅子になったつもりでしたのに」

「つもりで済むなら、国は楽だ」


 冷たい言い方なのに、私を人として扱ってくれる。

 その矛盾が、胸の奥で痛いほど甘い。


 甲板へ出ると、海は鏡だった。

 水面に映る空が、現実なのか幻なのか分からない。

 王都の塔影が遠ざかり、輪郭が溶けていく。


 私はふと、前世の画面を思い出す。

 地図の端に立つと、足元の境界線が薄く震えて、別のマップに切り替わる。

 あの感覚に似ていた。

 選択肢を押す前の、息が詰まる感じ。


 背後で足音がした。

 振り向くより先に、ノックが船室の扉を打つ。


「失礼します。帝国の使節にございます」


 クロードの肩が、ほんの少し硬くなる。

 扉の向こうの声は丁寧で、どこか余裕がある。


「帝国は、王国ほど王様の顔色を気にしませんので」


 その言葉が、海風より冷たく私の頬を撫でた。

 私は扉へ歩きながら、甲板の端へ視線を滑らせる。

 水面の向こう側に、見たことのない大陸が、薄い影で浮かんでいた。


ここまでお読みいただきありがとうございます。鏡の国・帝国編、レティの席はどこへ着地するのか――次話から使節との初手が始まります。続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで背中を押していただけると嬉しいです。感想も一言でも励みになります。


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