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「完結済」婚約破棄された悪役令嬢の私は前世持ち。断罪の舞踏会で王太子ざまぁしたら、腹黒宰相様に溺愛求婚されました 〜ざまぁのその先は、宰相閣下と甘い政略ライフ〜  作者: 夢見叶
第3部 隣国帝国編・皇太子妃候補とシリーズ最大の揺らぎ

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第1話 帝国からの招待状と、揺らぐ椅子

 陛下の声は、紙より冷たかった。


「帝国から、皇太子妃候補として――そなたを寄越せと書いてある」


 わたくしの喉が、ひゅ、と鳴る。

 豪奢な謁見の間で、空気だけが先に凍った。扇子を閉じる音さえ、刃物みたいに響く。

 差し出された招請状には帝国の双頭の鷲、その下に薔薇の意匠が押されている。


 妃候補。

 その単語は、剣よりも遠慮なく人を刺す。


 横を見る。

 クロード様は眼鏡の奥の目だけで紙面を読み切っている。表情は動かない。けれど指先が、ほんの少しだけ固い。


 わたくしは口角を上げた。癖みたいな微笑みだ。

 生き残るために身に付けた、悪役令嬢の仮面。


「陛下。帝国は、わたくしを欲しいのですか。それとも王国を試したいのですか」


「どちらもだろう」


 陛下の答えは短い。

 その短さが、政治の現実そのものだった。


 紙面の端に目が留まる。飾り罫の角。インクの盛り方。折り目。

 脳裏で、金環会の裏帳簿がめくれる。あの帳簿にも、同じ角飾りがあった。神殿宛ての請求書にだけ使われていた書式。

 背中に冷たい汗が走る。


 続編のタイトルが、嫌な音を立てて蘇る。

 王都動乱と黒薔薇の皇子。

 あの物語で、帝国はいつも綺麗な笑顔で、平和の名札をぶら下げて近づいてきた。


 陛下が言う。


「帝国の皇太子は、理想主義者だと聞いている。表向きは和平の象徴として、そなたを求めるだろう」


 表向き。

 つまり裏がある。


 わたくしは招請状に指を伸ばしかけて、止めた。

 紙が怖いのではない。紙の向こうに、誰かの筋書きが透けて見えるのが怖い。


 そのとき、クロード様が静かに息を吐いた。


「陛下。拒否は、帝国に口実を与えます」


「受諾は」


「王国に楔を打たれます」


 楔。

 その単語が胸の奥に刺さる。わたくしは、いつまで駒のままなのだろう。


 陛下が玉座の肘掛けを叩く。


「ならば、策を言え。宰相」


 クロード様は招請状を閉じ、わたくしの方を見た。

 その視線は、政治ではなく人を見ているはずなのに、言葉だけが冷たい。


「侯爵令嬢。帝国へ行けますか」


 胸の奥が、どんと揺れた。

 行けますか。

 行くな、ではない。


 わたくしは唇を噛み、笑みを崩さずに答える。


「行けますわ」


 自分の声が、思ったより澄んでいた。

 震えているのは、心の方だ。


 謁見の間を出て、控えの小広間へ移る。

 机の上には地図と文書が並び、窓からの冬光が、紙の白さを残酷に際立たせた。


 執事が紅茶を運ぶ。クロード様が砂糖壺に手を伸ばし、気づかぬまま角砂糖を落とした。

 もう1つ。さらにもう1つ。


 甘い香りが広がる。

 わたくしの胸の内は、まったく甘くないのに。


「特使として渡航し、帝国の狙いを探る。留学生の名目も付ければ、拒否より角が立ちません」


 クロード様の声音は丁寧すぎる。

 まるで距離を測る定規みたいに、正確で、冷たくて。


 わたくしはカップに口を付けた。甘さが舌に張り付く。


「……妃候補と書いてあるのに、特使で通りますか」


「通すのです」


 言い切り。

 それが、宰相の強さ。


 陛下が腕を組む。


「帝国側は飲まぬだろう」


「飲ませます。こちらの返書に条件を付ける。妃候補の話は、留学の成果を見てから。そう書けば、帝国も体裁を保てる」


 政治の言葉が重なっていく。

 わたくしの名前が、外交の札として机上を滑る。


 堪えきれず、言葉が漏れた。


「……わたくしは、王国の物ではありません」


 静寂が落ちる。

 陛下の目が鋭くなる。叱責が来る。そう思った。


 けれどクロード様の方が先に、目を伏せた。


「その通りです」


 あまりにも素直で、逆に息が詰まる。


「宰相として申し上げるなら、反対です」


 心臓が跳ねた。


「しかし……私情としては、もっと反対です」


 その言葉は、刃ではなく熱だった。

 わたくしは視線を逸らした。顔が熱い。悔しい。


「なら、止めてみせてくださいませ」


「止める方法はあります。ですが、その方法は王国を傷つけます」


 クロード様の指が、机の端を軽く叩く。


「貴女が守ろうとしてきたものを、貴女のために壊したくはない」


 胸が痛む。

 守ってきた。

 そう言われると、逃げ場が消える。


 わたくしは深呼吸し、背筋を伸ばした。


「分かりました。なら、わたくしが選びますわ。行く。ただし、妃候補としてではなく」


 陛下が短く笑う。


「よい。娘よ。これは政略である前に、和平のための旅だ。忘れるな」


 和平。

 その文字が、紙の上で踊る。

 紙の角飾りが、わたくしを見返す。


 その日の夕刻。

 大広間に帝国使節が通され、正式な招請状が読み上げられた。

 儀礼は静かで、だからこそ残酷だ。


 使節の背後で、従者が椅子を運び込む。

 豪華な彫刻。薔薇の背もたれ。王国の広間には似つかわしくない高さ。

 それは、誰の隣でもない場所に置かれた。

 わたくしの正面。


 椅子が、ひとりでにわたくしの未来を主張してくる。

 宰相執務室の空席が、脳裏で揺れた。


 使節が笑う。


「レティシア・エルネスト侯爵令嬢。皇太子殿下は、あなたの聡明さに強い関心をお持ちです」


 関心。

 その言い方が、求婚より怖い。


 使節が礼をして、椅子へ手を差し伸べる。


「こちらへ」


 わたくしの足が止まる。

 座れば、帝国が用意した筋書きに足を踏み入れる。

 座らなければ、外交の場で王国の面子を落とす。


 空気が重い。

 薔薇の彫刻が、棘を光らせる。


 その瞬間、クロード様の手が、わたくしの手首に触れた。

 強くはない。ただ、逃げられない温度。


 耳元で、低い声が落ちる。


「……座るのは、まだ早い」


 わたくしが返事をする前に、使節が続けた。


「船は7日後の暁に王都を発ちます。皇太子殿下は、帝都でお待ちです」


 7日後。

 期限が、音を立てて現実になる。


 わたくしは椅子の背に視線を上げた。

 薔薇の中心に、見覚えのある角飾り。

 金環会の帳簿と同じ書式の印。


 わたくしは、笑みのまま息を飲んだ。

 これは招待ではない。

 宣告だ。


 椅子の影が床に落ちる。そこだけ、舞台の灯みたいに濃い。

 使節の指先が、背もたれの薔薇をなぞった。


 その薔薇の中心で、紙の角飾りと同じ形の印が光る。

 見つめた途端、頭の奥で、読めない文字列が走った気がした。

 意味は掴めない。けれど確かに、次の選択肢が開いた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。次話では帝国の招待状に刻まれた印の正体と、7日後の出航までに迫る決断が動きます。続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで応援いただけると励みになります!


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