第6話 囮作戦前夜、破滅ルートは拾わない
宰相執務室の机に、乾きかけた血の跡つきの紙片が置かれていた。粗雑な薔薇の印と、短い文だけが残っている。
「白い棘を剪定せよ。黒い葉は後回し――」
読み上げた瞬間、クロードの指が紙片を押さえ潰した。
「そなたはこの国の未来を担う者だ。餌にするなど論外だ」
怒りが冷えた金属みたいに室内へ落ち、誰も息を継げなくなる。
地図台には山道の線が引かれ、駒がいくつも置かれていた。襲撃地点には黒針、次に狙われる地点には赤針。赤針の位置は、前世で見た誘拐イベントのマップと気味悪いほど重なる。
私は椅子に座らず、地図の端に指を置いた。指先の震えは袖で隠す。
「囮は軍で用意いたします」
騎士団長が即答した。
「目立つ荷を積んだ馬車なら、我々の方が――」
軍務卿が続ける。
王の視線が私へ刺さる。レオンハルト陛下は、止めたいのに止め切れない顔をしていた。
私は息を整え、言葉を数字みたいに並べた。
「相手の狙いは荷ではありません。目立つ馬車そのものです。捕まえれば身代金が取れる、交渉材料になる。こちらが軍の囮を走らせた瞬間、山賊は引きます」
「なら、襲うほどの価値を見せればよい」
軍務卿が言う。
「価値は、私が最も高い」
私は淡々と言った。
空気が凍った。椅子がきしむ音だけが響く。
「それは違う」
クロードが低く言った。
宰相の椅子の背に置かれた手が、ゆっくり握られる。彼は私を見ず地図だけを見るのに、拒絶の熱が分かる。
「宰相として申し上げるなら、その提案は合理的だ。だが、却下する」
「合理的なら通すべきですわね」
私は笑いもせず返した。
「君が囮になる必要はない」
その呼び方だけが、胸に刺さった。
反対は連鎖した。使用人までもが口を挟む。護衛の者の視線は命令なら従うが嫌だと訴えていた。
私は紙片へ目を滑らせた。白い棘。黒い葉。意味が分からないのに、背中が冷える。
「時間がありません。次の輸送を止めれば、工房と畑が止まり、下町が先に飢えます。襲撃を待つより、こちらで盤面を作るべきです」
「盤面などと言うな」
クロードの声が鋭くなる。
「これは人が死ぬ話だ」
「だから、死者を増やさない策を出しています」
陛下が重く息を吐いた。
「レティシア。そなたが囮となれば、王国は得をする。だが、失えば取り返しがつかぬ。代案を示せ」
代案はある。完璧ではないが、現実的だ。けれど口にした瞬間、クロードがさらに硬くなるのが見えた。
「……人払いを」
クロードが言った。
それだけで会議は切り上げられた。陛下も軍も使用人も、悔しそうに退く。最後に閉まる扉の音が、裁定みたいに響いた。
室内に残ったのは、私とクロードと、地図と、座らないままの私だ。
座ったら、ここで負ける気がした。
「どうしてそこまで、危険を選ぶ」
クロードが言う。
机の上の紙片を指で弾く。薔薇の印が揺れる。
「私が守るべきは国だ。君を守れなくなれば、国も守れない」
胸の奥が痛い方向へ傾いた。言い返すべきなのに、喉がうまく動かない。
「閣下」
私は声を小さくした。
「私は怖いです。今さら、怖くないふりも出来ません」
言った途端、肩の力が抜けた。恐怖が体の外へ落ちる。
「でも……怖いからこそ、決めましたの」
私は彼を真っ直ぐ見た。宰相の顔の奥に、男の顔が見えた気がして、心臓が跳ねる。
「1度捨てた破滅ルートを、今さら拾い直すつもりはございませんの」
短く区切って、震えを隠す。
「攫われて泣いて、誰かに助けられる筋書きは要りません。囮になるのは、私が生きて戻るためです」
「……言葉遊びだ」
クロードが吐き捨てる。
「君が生きて戻る保証はない」
「保証はありません」
私は頷いた。
「だから条件を出します。囮馬車は私が乗る。周囲は見えない距離で精鋭が囲む。御者も護衛も、こちらの手の者だけ。襲撃が始まった瞬間、包囲を閉じて逃げ道を潰す」
彼の目が細くなる。合理性を理解した目だ。だからこそ、苦い。
「宰相としては通せる。だが男としては全力で反対だ」
彼は椅子の背を掴んだまま言う。
「この先、そなたを何度も危険に晒すかもしれん」
自責の混じった告白みたいに聞こえた。
「それでも、君を盤面の駒にはしない」
「駒になるかどうかは、私が決めます」
クロードの瞳が揺れた。私の言葉が、彼の計算を少しだけ狂わせたのだと思う。
それが怖くて、少しだけ嬉しい。
扉の外で気配が動く。私たちの感情より、明日の朝が先に来る。
「会議を再開する。……代案は、私が出す」
クロードが扉へ向き直った。
再び人が入ってくる。陛下、軍務卿、騎士団長、控えの者たち。空気が張り詰めたまま、誰も椅子に深く座らない。
「では囮役は――」
騎士団長が言いかけた。
「私だ」
「いえ、私です」
声が重なった。私とクロードの。
室内が真空みたいに静かになる。陛下の眉が上がり、軍務卿が咳払いをした。誰も笑わない。笑えない。
けれど、その沈黙が妙に甘い。私の方が先に視線を逸らした。
「結論を述べる」
クロードが淡々と言う。
「囮馬車にはレティシアが乗る。だが囮は囮だ。餌ではない。周囲を精鋭で囲み、私は見えない距離で護衛しつつ全体指揮を執る。包囲開始の合図は私が出す」
「宰相が前へ出るのか」
軍務卿が声を荒げる。
「宰相が倒れれば国が止まる」
「数字は嘘をつかない」
クロードが即答した。
「襲撃が続けば国はもっと止まる。ここで終わらせる」
陛下が私を見る。重さの違う視線だ。
「レティシア。生きて戻れるな」
「戻ります。帰って、明日の反省会で叱られますわね」
軽口に見せて、私は息をつないだ。
駒が進み、針が打たれ、命令が紙へ落ちていく。私はその流れを追いながら、机上の血の紙片を思い出していた。
あれは山賊の言葉ではない。誰かが、庭の外から私たちを見ている。
部屋を出る直前、控えの者が小さな包みを差し出した。
「襲撃現場で拾ったものです。紐でまとめられておりました」
包みの外側にも、粗雑な薔薇の印が押されている。
中から出てきたのは、煽動ビラの束と、もう1枚の小さな紙片だった。
そこには短い暗号文が書かれている。
「北側の庭へ、白い棘を誘え」
背中を冷たいものが走った。明日の囮が、もう囮ではなくなっている気がした。
「では、出発までに荷を軽くいたしますわ」
言い聞かせの言葉が、私自身へ刺さり続けた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。明日の囮でレティが庭へ誘われるのか、クロードの包囲は間に合うのか――次話で一気に動きます。面白かった・続きが気になったら、読み逃し防止にブックマーク、そして広告下の【☆☆☆☆☆】から評価を入れていただけると執筆の励みになります。




