第5話 輸送隊襲撃と、書き換えられた誘拐イベント
――新商品輸送隊、山賊に襲撃されました!
執務室の扉が弾け、息の上がった伝令が膝をついた。
机の上の帳簿より先に、その言葉がわたくしの胸を刺す。
クロード様の指が、羽根ペンを止めた。
「被害を報告しろ」
「荷車3台が焼かれ、積荷の半分を奪われました。護衛2名が死亡、4名が負傷。御者は行方不明です」
「……名前は」
「死亡したのは、近衛から派遣されたマルクと、荷役のヨアンです」
ヨアン。昨日、馬車の横で笑っていた青年の顔が、脳の裏で勝手に浮かぶ。
妹を学校へ通わせたい、と。薬代が要る、と。そんな話を、わたくしは聞いた。
数字の欄に並ぶ損失が、急に血の匂いを持つ。
クロード様は表情を動かさない。けれど、眼鏡の奥の瞳の焦点が、ほんのわずかに鋭くなった。
その変化が、わたくしの中の冷静を引き戻す。
「襲撃地点は」
「北西の山道です。旧街道へ入る手前、崖の影で」
伝令が地図を差し出す。指先が震えている。
地図。駒。ここ数日、わたくしたちが睨み続けてきた戦場の形。
クロード様が机の端の椅子を顎で示したが、わたくしは座らず、地図の上へ身を乗り出した。
赤い印が打たれた地点は、妙に、妙に……見覚えがある。
前世のわたくしが、攻略サイトとにらめっこしながら「ここで来る」と覚えた、あの曲がり角と重なる。
嫌な汗が背を滑った。
「……ここ、ですのね」
「何がだ、レティシア」
「山賊の出没地点と、金環会が以前使っていた輸送ルート。重なり方が不自然ですわ」
クロード様の視線が、わたくしの指先を追う。
地図の上で、点と線がつながっていく。偶然にしては整いすぎた配置。
わたくしは喉の奥で、笑いにならない息を吐いた。
これ、前世のゲームなら――誘拐イベントの舞台だ。
あの「庶民の少女が攫われ、王太子が駆けつけて英雄になる」甘い見せ場。
マリアが泣いて、アルノルトが剣を振るって、観客席のわたくしが拍手した、あの場面。
現実では、拍手の代わりに死体が転がる。
視界の端で、伝令が口を開きかけて閉じた。空気が重すぎるのだろう。
クロード様が低く命じた。
「監査局と騎士団に連絡。負傷者の治療、遺族への手当も最優先で手配しろ」
「はっ!」
伝令が下がる。扉が閉まった瞬間、執務室が静寂を取り戻す。
けれど、静かなのは音だけだ。机の上の紙も、壁の時計も、全部こちらを責める顔をしている。
「……わたくしの策で、彼らは動いた」
口から漏れたのは、独り言みたいな罪悪感だった。
新商品で流通を変える。金環会の喉元を絞める。そのための輸送隊。
分かっていたのに。狙われると。
「そなたの策ではない。敵がそう選んだ」
クロード様の声は冷たい。なのに、そこに刺はない。
それが余計に苦しい。
わたくしは、地図から目を離せずに言った。
「次も来ます。ここで味をしめたなら、次はもっと大きく」
「根拠は」
「……筋書きですわ」
言ってから、ひどく愚かに聞こえた。
筋書きなんて、信じたくない。けれど、わたくしの頭の中には、ルートの骨格が残っている。
世界が脱線しても、敵は「こう動けば儲かる」を知っている。
クロード様は短く息を吐き、机の端に置かれた別の書類束を引き寄せた。
「襲撃現場から回収されたものがある。……これだ」
布切れ。粗い麻布に、雑な薔薇の印。
花びらが歪み、棘だけがやけに目立つ。上手い紋章ではない。真似事の落書きだ。
それなのに、胸の奥が冷える。
薔薇。
あの教団の名が喉の裏に浮かびかけて、わたくしは飲み込んだ。
誰かが真似たのか。誰かが持たせたのか。
確かなのは、この落書きが「ただの山賊」を名乗るには、都合が良すぎる印だということだけ。
山道の襲撃を、ただの偶発だと呼べなくなった。
ここには資金が入り、道筋が引かれている。
相手は「偶然の悪意」ではなく、「設計された悪意」かもしれない。
だから、こちらの打ち手も変えなければならない。
わたくしは地図の上で、次の点を指した。
「ここを狙うはずです。旧街道の合流地点。視界が開け、逃げ道が多い」
「……なぜ、そう言い切れる」
「山賊が欲しいのは、荷だけではありません。流通そのものを握りたい。なら、ここで押さえれば次の季節の値が動く」
数字の話をするときだけ、心が硬くなる。
ヨアンの笑顔が遠のき、代わりに「まだ死なせない」だけが残る。
クロード様は黙って、駒を動かした。
わたくしの指が示した地点に、黒い駒が置かれる。敵。
その周囲に、白い駒。味方。
紙の上で戦が始まる。
そのとき、執務室の外廊下が騒がしくなった。
別室から連れて来られた者がいるらしい。泣き声が混じる。
扉が開き、護衛の騎士が、夫人服の女を支えながら入ってきた。
髪は乱れ、指先が黒く汚れている。商人の妻だとすぐ分かる。
彼女は膝をつき、声を絞り出した。
「宰相閣下……お願いします。夫が、御者として……連れて行かれたまま戻りません」
涙が床に落ちる。
「子どもが2人おります。上の子は、来月から職人の見習いに出す予定で……その金を、あの輸送で……」
言葉の端が、生活の形をしていた。
帳簿の数字より、よほど重い。
クロード様が立ち上がり、女の前に膝を折った。
宰相が膝を折る姿を、わたくしは初めて見る。
声は変わらず静かで、だからこそ、誓いのように響いた。
「必ず取り戻す。生きて帰す努力を尽くす」
女は何度も頭を下げ、護衛に連れられて去った。
扉が閉まる。
わたくしの中で、何かが決まった音がした。
ここで止めるのは、簡単だ。
危険だからと身を引き、机の上で策だけを練り、誰かの勇気に賭ける。
前世のヒロインみたいに、「攫われて救われる」のを待つ。
でも、待つ側が払う代金は、もう見た。
「囮を走らせましょう」
わたくしの声が、思ったよりはっきり出た。
クロード様が顔を上げる。
「……囮」
「目立つ馬車です。ここへ向かうと見せかけて走らせれば、山賊は食いつきますわ。金環会の連中も、焦って手を出す」
「それは罠だ。罠にする荷はどうする」
「荷は空で構いません。必要なのは、彼らが『狙う価値がある』と思う餌」
餌。言葉にして、自分の喉が乾く。
人を餌にしたくない。けれど、もう誰かが餌にされている。
だから、ここで引きずり出す。
「そして、その馬車に乗るのは――わたくしですわ」
言い切った瞬間、執務室の空気が凍った。
クロード様の椅子が、床を擦る音を立てた。
立ち上がった背が、いつもより大きい。
「却下だ」
「合理的ですわ。わたくしが乗れば、彼らは確実に食いつく」
「合理の話なら理解している。だが――」
クロード様が机を叩いた。低い音が、胸の奥まで響く。
眼鏡の奥の瞳が、怒りと恐怖で揺れている。
「そなたはこの国の未来を担う者だ。餌にするなど論外だ」
その言葉は、拒絶ではなく、護りの形をしていた。
わたくしは唇を噛んだ。泣きそうになるのを、理性で押し込める。
泣けば負ける。ここで折れれば、次の犠牲が出る。
「クロード様。未来を担うなら、今の命を拾わないといけませんの」
「……この先、そなたを何度も危険に晒すことになるかもしれん。だからこそ、今は駄目だ」
静かに落ちた言葉が、怒鳴り声より痛い。
わたくしは地図に手を置いたまま、顔を上げた。
椅子には座らない。
まだこの席に甘える資格はないと、自分に言い聞かせるために。
「では、代案を出してくださいませ。死者を増やさない代案を」
クロード様は答えない。答えられない。
それが、わたくしの中の確信を、さらに硬くした。
沈黙の中で、外の鐘が鳴った。夜の始まりを告げる音。
わたくしは、次の襲撃までの時間が、もう多くないと知っている。
わたくしがこの国の未来を担うのなら。
その未来は、誰かの死の上に立つものではいけない。
だからこそ――わたくしは、囮になる。
ここまでお読みいただきありがとうございます!レティが選んだ「囮」の一手、クロードは止められるのか――次話、襲撃の裏にある薔薇の匂いが濃くなります。続きが気になったら、広告下の【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆評価】で応援して頂けると励みになります。




