第3話 市場争奪戦と、好感度バグってる敵幹部
封筒を開いた指先に、油の匂いが移った。
紙は上質なのに、インクだけがやけに黒い。文面は丁寧で、内容は乱暴だった。
新商品が安すぎる。流通を乱す。撤回しろ。
差出人は、王都の生活必需品を握る闇商会――金環会の名だった。
「閣下、新商品が……安すぎるとお叱りを受けました」
机の向こうで、クロード様の羽根ペンが止まる。
「誰からだ」
「……独占価格で儲けてこられた方々から、ですわ」
「正しい仕事をして叱られるのは、いつものことだ」
淡々とした声なのに、机上の空気だけが冷えた。
国庫の赤線を減らすために灯りを作り、石鹸を回し、保存食を試した。誰かの夜を伸ばすつもりで。
なのに、次に伸びるのは敵の影だ。
クロード様が封筒の封蝋を指でなぞった。
薔薇の輪郭と、硬貨の縁取り。甘い香りはないのに、棘だけは確かに刺さる。
「向こうは商談の席を用意した、断れん」
「ええ。こちらも椅子を用意いたしましょう」
わたくしが言うと、彼の視線が短く揺れた。
「君は笑うな、今は」
「笑わないと折れますわ」
「折れるな」
命令の形をした、支えだった。
王都南の路地で、ミーナの店先に新しいランプが吊られていた。
硝子越しの灯りが、石畳の凹みまで照らす。暗い角が、今日は残っている。
「ほら、こわくない」
子どもが胸を張り、妹の手を引いた。
「暗いとこ、追いかけてくるもんがいるもんね」
「いるのは影だけだよ」
胸がきゅっと詰まる。影だけで済ませたい。けれど影を作るのは、灯りではなく人だ。
「姫さん、昼から倉の鍵を買いに来る連中が増えたよ」
ミーナが腕を組む。
「みんな焦ってる。焦りは金になるんだろ」
「……金環会」
「名前は出さない。でも匂いは同じさ」
交渉の場は宰相府の応接室だった。
机は長く、椅子は高い。上座に王国側。下座に金環会の代表団。
椅子の背の高さが、先に結論を語っている。
金環会当主は指に宝石を並べ、笑みだけを置いて座った。
その斜め後ろに、若い男が控える。控えめな装い。目だけが異様に冷静だった。
「本日はお時間を賜り、感謝いたします。ロイと申します」
名乗りの声が、妙に耳に残った。
昨夜、反省会で読んだ抗議文の言葉遣いと、同じ角がある。丁寧すぎる棘。
クロード様が口火を切る。
「市場への圧力と買い占めの疑いについて、説明を」
「圧力とは心外ですな。われらは民のために安定供給を守ってきた」
当主が笑う。
「急に安い品をばら撒かれては、秩序が乱れます。暴動が起きたら誰が責任を取るのです」
暴動。前世の画面がちらつく。正しいことをしたのに、石を投げられる分岐。
息が浅くなる。けれど、ここで黙れば台本が勝つ。
「秩序の名で、欠品を作るのはどうかしら」
わたくしは笑みを作った。悪役の仮面は、必要な時だけ被る。
「石鹸と灯油が消えたのは偶然ではない。南の倉が空になっております」
当主の眉がわずかに動く。
ロイだけが、視線を落とした。こちらの数字を読んでいる目だ。
「侯爵令嬢は、数字に強いと聞き及んでおります」
ロイが穏やかに言う。
「ただ、安価すぎる価格設定は……便利で世界を塗りつぶす、というやり方にも見えます」
背中が冷えた。抗議文の文句と同じだ。
わたくしがロイを見た瞬間、彼もこちらを見返した。
敵が、こちらの理屈を理解している。――その事実が、怖い。
「塗りつぶすのは市場ではなく、赤線ですわ」
わたくしは契約書の束を机に置いた。紙の角が鳴る。
「公平競争ルールと、上限価格。これを王国の基準として公布します。参加する商会は、帳簿の提出と監査を受け入れること」
「監査だと」
当主の笑みが薄くなる。
「平等だの改革だのと叫ぶ輩を黙らせてきたのは誰だと思っている。王都の腹を満たしてきたのは我々だ」
「腹を満たす方法が、喉を締めるやり方なら、いずれ国が窒息します」
言い返した声が、自分でも驚くほど低い。
クロード様が視線だけで合図した。
わたくしは別紙を差し出す。入札条件。供給量。罰則。透明な文字の列。
当主が紙を叩く。
「こんな縛り、飲めるか」
「……当主」
ロイが言う。声が小さいのに、空気が動く。
「民が困るのは長期的には損です。いま値を吊り上げれば、次は怒りが吊り上がります」
当主の肘が後ろへ伸びた。鈍い音。ロイの肩が揺れ、言葉が途中で切れる。
胸の奥が熱く跳ねた。怒りと、奇妙な同情が同時に来る。
「若手の方が、先を見ていらっしゃるのね」
わたくしは当主の目を見た。
「金環会が基準を飲めば、国は流通を止めません。飲まなければ、王国は自前の供給網を作ります。時間はかかりますが、こちらは止まれます」
当主は笑った。けれど笑みは乾いていた。
「貴族の遊びで市場を作れると思うな」
「遊びではありません。民の夜を延ばす仕事です」
震えを隠すために、机の端を指で押さえる。
クロード様が淡々と追い打つ。
「期限をやろう。基準に署名するか。拒否して監査局が動くか」
沈黙の末、当主は封蝋印を取り出した。
薔薇と硬貨の紋。机に押し付ける音が、嫌に大きい。
署名はした。だが、終わった気はしない。
退室の際、ロイがわたくしの横をすれ違った。
彼は顔を上げず、低い声だけを落とす。
「……お見事です。ほんとうに」
褒め言葉が、刃物みたいに背中へ刺さった。
夜の宰相執務室は、昼より狭い。机の灯りが、書類の山だけを照らす。
「今日は勝ったか」
クロード様が茶を注ぐ。湯気の向こうで表情が読めない。
「勝った形にしただけです」
「形がなければ、国は動かん」
皿の上に置かれたのは、試作品の保存食だった。硬い。噛むと、希望だけが歯に挟まる味がする。
「……微妙です」
「正直でよろしい」
「当主の言葉が気になります」
「平等だの改革だの、か」
「はい。脅しというより……癖みたいでした。枝を落とす、とでも言いたげな」
扉がノックされた。見張り役の補佐官が、薄い包みを差し出す。
「南門の倉の裏で拾いました。投げ込みです」
包みの角に押された印がある。薔薇と硬貨。
中から出てきたのは、小さな地図だった。輸送路。橋。峠。赤い墨の印。
その横に短い文句。
『夜明け前に、枝を落とす』
紙の匂いが、昼に触れた油の匂いと重なる。
怖さの形が変わる。次は市場ではない。運ぶ列を、切りに来る。
「始まったな」
クロード様が地図の端を押さえた。
わたくしは頷いた。椅子に座っていられるのは、ここまでだ。
地図の赤い印が、次の章を指していた。
ここまでお読みくださりありがとうございます。金環会が動き、次は『夜明け前』。レティとクロードがどんな手を打つか、次話で一気に進みます。面白かった/続きが気になったら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで応援いただけると励みになります。感想も一言でも大歓迎です。




