第9話 公開裁きと宰相の隣の椅子
「――侯爵令嬢レティシア・エルネスト。貴女にも発言の機会を与える」
呼び上げられた瞬間、白薔薇の香りが肺の奥で刺さった。王城の大広間。舞踏会の夜と同じ場所なのに、音楽だけがない。代わりにざわめきが拍を刻む。
視線が集まる。断罪の夜に浴びたものと、形が似ているのが腹立たしい。
絨毯の中央へ歩く。国王陛下の玉座、その下段に宰相席の列。クロード様の黒と白は控えめなのに、そこだけ空気が締まる。
反対側。被告席の伯爵夫人が、涙の膜越しにこちらを見た。エリザベート・ローゼンベルク。鎖だけが異物みたいに光っている。
係官が指すのは証人席。だが指先が、ほんのわずか被告側の椅子へ揺れた気がした。濡れ衣の椅子は、ここにも用意されている。
喉が乾く。けれど私は笑みを作った。短い冷たさは武器になる。
「承りました、陛下」
裁きが始まる。書記官が読み上げるのは毒殺未遂の経緯。お茶会の席順。カップの柄の違い。給仕の動線。私の手元で入れ替わった蔦模様の金縁。あの日の光景が、言葉の列になって広間へ撒かれていく。
「わたくしは……平等のために……」
伯爵夫人が泣き声を整える。
「古い貴族社会のせいで、どれほど多くの者が声を奪われてきたか。わたくしは、庭を整えたかっただけなのです」
庭。整える。剪定。指先に残った甘い匂いがよみがえる。
『庭は剪定される。棘に触れた者から。』
伯爵夫人は濡れた瞳を上げ、私へ向けて囁く。
「レティシア様はお強い。お強い方ほど、弱い方の痛みを知らない」
胸の奥が熱くなった。怖さが遅れて来る。断罪の夜の冷えが、今さら皮膚の下を走る。
クロード様の指が肘掛けを軽く叩いた。呼吸を戻せ、と聞こえた。
「痛みを知らないわけではありませんわ」
私は息を吸い、続ける。
「痛みを理由に、他人の口を毒で塞ぐつもりもありませんの」
伯爵夫人の唇が僅かに歪んだ。
「陛下。わたくしが提示したいのは、理想論ではなく手順です」
侍従が押収品を運ぶ。棘を強調した薔薇の印章。革表紙の薄い帳簿。表題の端に金の輪の刻印。
「伯爵夫人の私室から見つかった印章です」
「そしてこちらが金銭出納帳。闇商会『金環会』との取引が記されています」
ざわめきが走る。金環会。噂だけが先に太る名だ。
「毒は感情で混ざりません。混ざるのは手です。手は、金で動きます」
書記官が帳簿の記載を読み上げる。日付。支払い。品名。『庭師代』と書かれた欄。
「庭師代とは、誰に支払ったのですか」
国王陛下の声が低く落ちた。
「それは……」
伯爵夫人が言い淀む。私はもうひとつ、盆を示す。
「お茶会の直後、ソーサーの裏に薄い紙が貼られていました」
係官が紙片の写しを掲げる。文字は充分に刺さる。
『庭は剪定される。棘に触れた者から。』
「比喩なら、毒は要りませんわ」
私は少し間を置いて、伯爵夫人を見る。
「昨夜の取り調べで、貴女はこう仰いました。『薔薇の使徒の庭では、それが当然ですの』と」
単語が落ちた瞬間、空気が変わった。誰もが同じ単語を知らないのに、同じ単語を恐れている。
「……わたくしは、そんなこと」
「ならば訂正を。貴女の口から」
伯爵夫人の瞳が揺れた。計算が狂った時の揺れだ。やがて、息を吐く。
「ええ。薔薇の使徒。そう呼ぶ者もおりますわ」
自白だ。小さな逆転が、胸の奥で音を立てた。
国王陛下が広間を制する。
「ローゼンベルク伯爵夫人エリザベート。毒殺未遂、ならびに闇商会との不正取引、教団への関与を疑うに足る証拠は揃った」
宣告は淡々としていた。爵位の剥奪。財産の没収。関係者の拘束。金環会への本格捜査。言葉は冷たいのに、私の胸の奥の鎖だけが外れていく。
囁きの断片が、ようやく私の背中を刺さない形になる。
「怖い女だ」
「いや、頼もしい……」
その時、クロード様が立ち上がった。広間の視線が自然に集まる。
「陛下。最後に」
クロード様は私の隣へ歩み、間合いを揃えた。近い。白薔薇ではなく、紙とインクの匂い。
「侯爵令嬢レティシアは、私の婚約者であるだけではありません。この国の未来を共に担う者です」
頬が熱くなる。なのに足がすくまない。彼の言葉が盾になる。
国王陛下が頷いた。
「宰相とその婚約者の働きにより、大事に至らずに済んだ。レティシア・エルネスト。そなたの名誉はここに回復される」
名誉回復。単語が胸の奥へ落ちて、ゆっくり溶けた。
私は礼をし、顔を上げる。
「陛下。わたくしは……誰かが用意した台本より、今ここにいる人たちの顔色の方が大事ですわ」
裁きは終わる。人が流れ出す。けれど私の足はまだ広間に残っていた。舞踏会の夜に、音楽が止まった瞬間を思い出す。あの時は足元が崩れた。今夜は崩れない。
クロード様が私の横で、短く息を吐いた。
「よく持ちこたえた」
「持ちこたえるしかありませんでしたの」
「違う。君は、持ちこたえた上で勝った」
夜。宰相執務室は静まり返り、机の上には押収資料が山になる。
クロード様は無言で、例の椅子を引いた。隣の席。何度も触れ、何度も座らなかった場所。
私は手袋の指先を肘掛けへ置く。木の冷たさが掌へ移る。怖い。嬉しい。両方だ。
ゆっくりと腰を下ろした。椅子がきしむ音が、部屋の静けさに吸い込まれる。
書類の表題に並ぶ文字が見える。
薔薇の使徒。
金環会。
帝国。
最後の単語で、背筋が冷えた。盤面が外へ広がる匂いがする。
クロード様が紙片を私の前へ置いた。王城の封蝋。中身は短い。
「港から報せだ。金環会の船が、今夜入港する」
椅子に座った瞬間に、次の戦場が来る。向こうはずっと動いていた。私たちが裁きをしている間も。
「では、次の台本を燃やしましょうか」
「いいや。燃やす前に、奪う。君の席で」
机の上の『帝国』の文字が燭台の光を跳ね返した。白薔薇の香りのない夜が、これからの物語の匂いに変わっていく。
前世で見たどの結末にも、この椅子も、この隣もなかった。ならばここから先は、ゲームではなく、わたくしたち自身の物語だ。
読了ありがとうございます。レティがついに「隣の椅子」へ――でも机の上には「金環会」「帝国」。次は港の入港から本格的に動きます。スカッと&ニヤッとできたら、広告下の【☆☆☆☆☆】評価とブックマークで応援いただけると励みになります。感想も一言でも大歓迎です。




