図書館での待ち合わせ
定期試験の結果が貼り出される日、学園の廊下はいつも以上にざわついていた。
掲示板の前には人だかりができ、誰もが自分の名前を探している。
ミオは少し離れた場所からその様子を眺めていた。
胸の奥がざわつく。
試験の手応えは悪くなかった。
でも、今のミオの心は勉強よりも、ソーのことでいっぱいだった。
――近づかないで。
――好きじゃない。
あの言葉が、まだ胸に刺さったまま抜けない。
それでも、ミオは机に向かい続けた。
泣きながら、何度もページをめくった。
ソーのことを考えないように、必死に文字を追った。
だからこそ、結果を見るのが怖かった。
「ミオ、見に行かないの?」
友人のユナが声をかける。
「うん……行く」
ミオは深呼吸し、掲示板へ歩み寄った。
人混みをかき分け、視線を上へと向ける。
――そこに、ミオの名前があった。
1位 ミオ・ハルネ
「……え?」
思わず声が漏れた。
周囲の生徒たちがざわつく。
「ミオが1位?」
「すごいじゃん!」
「いつも上位だけど、今回はトップか……!」
ユナがミオの肩を叩いた。
「やったじゃん、ミオ! 本当にすごいよ!」
「……うん……ありがとう」
ミオは笑った。
でも、その笑顔はどこか震えていた。
――ソーにも、見てほしかった。
その瞬間、背後から視線を感じた。
振り返ると、廊下の端に黒い影が立っていた。
ソーだった。
人混みから少し離れた場所で、
翼を畳み、静かにミオを見つめている。
ミオと目が合うと、ソーは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
そして、ほんのわずかに――
誰にも気づかれないほど小さく、口元が緩んだ。
誇らしげに。
嬉しそうに。
でも、すぐにその表情を消し、視線を逸らす。
ミオの胸が熱くなる。
(……見てくれたんだ)
ソーはミオに近づこうとはしない。
翼が震えている。
爪がわずかに伸びている。
――触れたら壊す。
――だから、近づけない。
その苦しさが、ミオにはもうわかってしまう。
ミオは掲示板から目を離し、そっとソーの方へ微笑んだ。
声には出さない。
でも、確かに伝えた。
「……ありがとう。見ててくれて」
ソーは返事をしない。
ただ、影のように静かに廊下を去っていった。
ミオは胸に手を当てた。
1位になったことよりも、ソーが自分を見てくれていたことの方が、ずっと嬉しかった。
定期試験の結果が貼り出された翌日、学園はまだその話題で持ちきりだった。
ミオが1位を取ったことも噂になっていたが、もうひとつ、別の噂が広がっていた。
「ねぇ、見た? 最下位の名前」
「ソー・レイヴンって……あの獣人の転入生?」
「やっぱり人間の勉強は無理なんじゃない?」
そんな声が廊下に飛び交うたび、ミオの胸はざわついた。
(……ソー、最下位だったんだ)
驚きよりも、胸が痛んだ。
ソーは避けているように見えて、実は誰よりも努力するタイプだ。
獣人化してからの苦しみを知っているからこそ、ミオにはわかる。
放課後、ミオは図書館へ向かった。
静かな場所で気持ちを落ち着けたかったのだ。
扉を開けると、薄暗い書架の間に黒い影が見えた。
――ソー。
彼は机に向かい、分厚い教科書を前に固まっていた。
翼を小さく畳み、爪でページを破らないように慎重に指先を使っている。
その姿が、痛いほど不器用で、愛おしかった。
ミオはそっと近づいた。
「……ソー」
ソーの肩がびくりと跳ねた。
振り返った瞳は驚きと戸惑いに揺れている。
「ミオ……どうしてここに……」
「勉強、してるの?」
ソーは視線を落とし、教科書を閉じた。
「……僕には、無理だよ。文字が頭に入らない。人間の勉強は……難しすぎる」
その声は、昨日の拒絶とは違い、弱くて、壊れそうだった。
ミオは椅子を引き、ソーの隣に座った。
「教えるよ」
「……だめだ。近づくなって言っただろ」
「近づかないよ。触れない距離なら、いいでしょ?」
ミオは机の端にノートを置き、ソーから少し離れた位置に座った。
ソーは迷ったように翼を震わせたが、拒まなかった。
ミオは優しく微笑む。
「ソー、ここ。この問題はね、こうやって考えるの」
ソーはミオの指すノートを見つめる。
ミオの声が耳に届くたび、胸が熱くなる。
翼が震えそうになるのを必死に抑える。
「……ミオの声、落ち着く」
「え?」
「いや……なんでもない」
ソーは顔をそむけたが、耳の先が赤くなっていた。
ミオは気づかないふりをして、説明を続けた。
「ソーはね、理解するのが遅いんじゃなくて……慣れてないだけだよ。獣人の世界と、人間の世界は違うんだから」
ソーはゆっくりと頷いた。
「……ミオは、優しいね」
「優しくなんかないよ。ソーが頑張ってるの、知ってるから」
その言葉に、ソーの胸が強く締めつけられた。
――触れたい。
――でも、触れられない。
翼が震え、爪がわずかに伸びる。
ソーは慌てて手を引っ込めた。
「ミオ……これ以上は……危ない」
「大丈夫。触れないよ。ソーが触れないようにしてくれてるの、知ってるから」
ミオの声は静かで、優しくて、痛いほど真っ直ぐだった。
ソーは胸に手を当て、深く息を吸った。
「……ミオ。僕、もっと……強くなるよ。ミオに触れても……壊さないくらいに」
ミオは目を見開き、そっと微笑んだ。
「うん。その日が来るまで……一緒に頑張ろうね」
図書館の静けさの中で、二人の距離は触れられないまま、でも近づいていた。




