悪評
夕暮れの学園は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
校舎の影が長く伸び、風が吹くたびに桜の花びらが舞う。
ミオは一人で帰り道を歩いていた。
友人たちの誘いを断り、今日はどうしても一人になりたかった。
胸の奥に残る痛みが、まだ消えない。
――好きじゃない。
――近づかないで。
ソーの言葉が、何度も頭の中で反響する。
けれど、屋上で見たあの姿が、どうしても忘れられなかった。
(……ソー、あんな顔してたのに)
嫌いな人に向ける表情じゃなかった。
苦しそうで、泣きそうで、触れたら壊れてしまいそうなほど脆かった。
ミオは胸に手を当て、深く息を吸った。
「……どうして、そんな嘘つくの」
呟いた声は風に消えた。
そのときだった。
「おい、そこの子。ちょっといいか?」
低い声が背後から響いた。
ミオが振り返ると、見知らぬ上級生が二人、校舎の影から現れた。
「獣人の転入生と仲良くしてるって噂、ほんと?」
「危ないぞ。あいつ、爪とか翼とか……何するかわかんねぇし」
ミオは一歩後ずさる。
「……ソーは、そんなことしない」
「へぇ? じゃあ、なんでお前だけ避けられてんだよ」
胸が痛んだ。
図星だったから。
「俺たちの方が一緒に居て楽しいだろ。あんな奴に関わるのやめろよ」
「荷物持とうか。家まで送ってやるよ」
上級生の手が肩にのびる。
ミオは唇を噛みしめ、言い返そうとした――その瞬間。
風が変わった。
空気が張り詰め、夕暮れの光が一瞬だけ陰る。
「……ミオから離れろ」
低く、震えるような声が響いた。
上級生たちが驚いて振り返る。
校舎の屋根の縁に、黒い影が立っていた。
風に揺れる外套。
畳まれた翼。
鋭い爪を握りしめた拳。
――ソー。
ミオは息を呑んだ。
ソーは屋根から軽やかに飛び降り、音もなく地面に着地した。
蝙蝠の獣人特有の、静かでしなやかな動き。
上級生たちは後ずさる。
「な、なんだよ……!」
「獣人……!」
ソーはミオの前に立ち、翼をわずかに広げて庇うように構えた。
その姿は、まるで影が形を持ったようだった。
「ミオに……触るな」
声は低く、震えていた。
怒りではなく、恐怖に近い震え。
――ミオを傷つけるかもしれない恐怖。
上級生たちは圧倒され、逃げるように走り去った。
静寂が戻る。
ソーはゆっくりと翼を畳み、ミオに背を向けたまま言った。
「……ごめん。怖がらせた」
ミオは首を振った。
「怖くなんかないよ。ソーが……守ってくれたんでしょ?」
ソーの肩がびくりと震えた。
「違う……違うんだ。僕は……ミオの近くにいちゃいけない」
「どうして?」
ミオが一歩近づくと、ソーは反射的に後ろへ下がった。
翼が震え、爪がわずかに伸びる。
「ミオが……近づくと……制御できなくなる……」
声がかすれていた。
「ミオの匂いも、声も、足音も……全部、僕を狂わせる。触れたら……壊してしまう」
ミオは胸が締めつけられた。
「どういうこと?わけわからないよ」
ソーは答えない。
ただ、苦しそうに拳を握りしめる。
「ごめん、ほんとうにごめん」
消え入りそうな声でそう言うと、すぐにどこかに飛んで行ってしまった。




