0.5話 宿敵
男の手からは、体全体が凍るほどの冷気が溢れていた。冷たい手が警備員の顔に触れられる。そして、手を当てられた警備員は内側から氷に体が埋もれるように、警備員の身体は凍っていった。
最初は指先が白くなり、次に腕が硬直し、やがて全身が氷の彫刻のように固まる。
警備員は悲鳴を上げることすらできず、ただ――凍りついた。
「……上からの命令じゃ、たしかこの壁を壊せばいいのか……つまんねぇ壁だな」
不審な男は壁に手を当て、ふぅ、と深く息を吐いた。
次の瞬間。触れていた箇所から冷気が奔り、巨大なコンクリート壁が一面の氷へ変質していく。白い霜が広がり、鉄筋すら凍りつくような軋みが鳴った。
男は氷と化した壁へ、軽く衝撃を与える。
ぱき、ぱき、と蜘蛛の巣状の亀裂が走り――砕けるように崩壊した。
壁の崩壊と同時に、収容区全体へサイレンが鳴り響く。
「さて、掃除とかかるか」
不審な男は、銃を向けて固まる職員たちへ歩み寄った。
「う、動くな! 撃つぞ!」
一人の職員が叫び、空へ威嚇射撃を放つ。乾いた銃声。
だが男は止まらない。無感情な足取りのまま距離を詰め、両手に冷気を纏わせた。空気が”冷える”のではない。“削れる”。
「いちおう自己紹介しておく。俺の名前は氷河。組織『アーク』からの刺客だ。――お前ら害獣に囚われた仲間を解放しに来た」
「だ、誰かGIQ隊員を呼べ!」
氷河は地面へ両手を置いた。
「あばよ、害獣共」
その一言の直後、地面から巨大な氷が波のようにせり上がる。
嵐に煽られる海面のうねり――それが”固体”になって襲いかかる。逃げ場はない。氷は一瞬で職員を飲み込み、叩き潰し、凍てつかせた。
悲鳴すら凍りつく。
ほんの数秒で殲滅。
氷河は収容区の中心へ歩き、持参していたメガホンを口元へ当てる。
「おい同胞達よ! 今こそ人間という名の害獣に反旗を翻す時が来たぞ! この憂鬱な壁から抜け出したいやつがいるなら――俺についてこい!」
その言葉を聞いた凶人たちは、気高い雄叫びを上げた。
こうして動き出したアークの襲撃は、日本国内の凶人収容区を次々と破壊していくことになる。
「さーて、動き出すぞ。俺たちの王が」
氷河は不敵な笑みを浮かべ、そう言った。
※ ※ ※
一方、国会議事堂。
美咲タシキは壇上へ向かって歩き始めていた。
彼にとっては、本来なら重い足取りのはずだった。
だがこの瞬間、タシキの足は軽い。迷いが削ぎ落とされ、“結論”だけが残っている。
壇上に上がったタシキは、大きく宣言した。
「我々、アーク組織は! 明日、この汚らわしい害獣に宣戦布告をする! 何十年も続いた凶人と人間の対立を――この場で解放すると宣言する!」
「馬鹿言ってるんじゃねぇぞ!」
「そうだそうだ!」
どこからともなく浴びせられる罵声と嘲笑。
だがタシキは、それらを”鳴き声”として切り捨てるように目を細めた。
「そうですか……やはり害獣には到底理解ができないことか……」
タシキは一度、深く息を吸った。
そして――
「凶化」
呟いた瞬間、タシキの身体が膨張するように歪み、王の疑神へと変身した。
議場が凍りつく。
悲鳴が上がり、人々が逃げ惑う。
「ぎ、疑神だ……!」
「逃げろ!」
だが、遅い。
王の疑神は、一瞬で議員たちの前に立っていた。
※ ※ ※
美咲タシキが宣戦布告し、疑神になったのと同時に、アーク組織は渋谷の大型ビジョンやスマホの画面をジャックし、タシキの宣戦布告の映像を流した。
「なんだこれ?」
「これなに? 超怖いんですけど……」
「ま、まさかこれって疑神?」
街はざわめき、ネットの掲示板は嘲りで埋まる。
『この美咲タシキってやつが疑神になりやがったw』
『てか凶人風情が人間様に勝てるわけないでしょw』
『それな』
※ ※ ※
宣戦布告の映像には、驚きと否定の声が集中した。
霧崎はスマホを眺め、面白がるように口角を上げる。
「さてと。動画も広がった。宣伝もうまくいった。あとはGIQがどう動くか……だな」
※ ※ ※
映像が拡散され、それを見たGIQ上層部は直ちに緊急会議を始めた。
「あれは一体どういうことだ?! なぜ普通の人間が疑神になれている!?」
中年太りの男が声を荒げる。
別の上層部が、切羽詰まった口調で遮った。
「それは研究者が直ちに調べている! だが今はそんなことを考えている暇はない。国会議事堂にいる要人の救出が最優先だ。今すぐGIQの全部隊を国会議事堂に出動させろ! 疑神の生死は問わない!」
命令が下り、GIQは厳戒態勢で動き出した。
※ ※ ※
タシキが国会議事堂で疑神となって数分。
王の疑神は、重要な役人を残し、それ以外の人間を一人ずつ”処理”していた。
血が床を染め、肉片が散らばる。
かつて法律を作り、秩序を守ると誓った場所が、地獄と化していた。
「おいこの害獣ども。私の言うことを聞け」
タシキは顔についた返り血を手で拭った。
その時、国会議事堂のドアが勢いよく開く。
「動くな、美咲タシキ! GIQだ!」
突入してきた複数の部隊を見て、議事堂内の人々の目に希望が灯る。
「助かった……GIQが来た……!」
「来たか、GIQ……来い。相手になってやる」
GIQ部隊は対疑神用武器を展開する。
――その瞬間だった。
王の疑神は、いつの間にか部隊の背後に立っていた。
存在を認識した直後、GIQ隊員たちの首が吹き飛んだ。
数秒で全滅。
だがGIQは蟻のように次々と増援を送り込む。王の疑神は面倒くさそうに眉を動かした。
「次から次へと害獣が湧くな」
タシキは続々と現れる部隊を殲滅していく。
差は圧倒的だった。人間と蟻――その比喩ですら、まだ優しい。
「そうだ。お前たち害獣に面白いものを見せてやる」
王の疑神は人差し指を上に向け、円を描くように回した。
「それでは皆さん、また会いましょう。――生きていたらですけどね」
直後、凄まじい竜巻が発生する。
竜巻は国会議事堂の建物と人間を巻き込み、議事堂は粉々に吹き飛んだ。
その場にいたGIQ部隊は、ほぼ全滅。
巨大竜巻の影響で、議事堂にいた多くの人間の死亡が確認された。
※ ※ ※
国会議事堂が破壊された同時刻。
霧崎は単独でGIQ本拠地へ来ていた。
「あっちは何とかやってるみたいだから、こっちはこっちでやりますか」
霧崎は指を鳴らしながら本拠地へ入る。
当然、警備員に囲まれた。
「動くな。何者だ。身分を証明できるものを出せ」
「身分かぁ……身分ねぇ。これは身分の証明になる?」
霧崎は目つきを鋭くし、運命の言葉を発する。
「凶化」
警備員は即座に拳銃を霧崎へ向け、引き金を引いた。
弾丸は霧崎の脳天を射抜く。――だが倒れない。ただ、茫然と立っている。
「死んだか?」
「痛いじゃねぇか。この害獣が」
次の瞬間、警備員たちの身体が重力に潰され、ぐしゃりと崩れた。
露わになる霧崎の疑神の姿。背には四つの腕。眼は、この世界そのものを呪うように濁っている。
「さて、殺戮を始める前に――ちょっと面倒なのを片付けないとね」
重力の疑神は視線をある方向へ向けた。
そこにいたのは、カニカマ隊――カイトたちだった。
「K……いや霧崎。アンタをここで始末する」
カイトの声は低く、冷たい。
「怖いねぇ、カイトくん。そんな目で俺を見ないでくれよ」
殺意が正面衝突する。
「来いよ、カイト」
「言われずとも」
カイトとリュウ、カタリナは地面を蹴り、同時に間合いへ入った。
カタリナとリュウは剣で首を狙い、カイトは鎌の刃を胴へ走らせる。
しかしその瞬間、身体に凄まじい重さがのしかかる。
身動きが取れないほどの重力。カタリナとリュウは、完全に縫い止められた。
「――ッ!」
カタリナが歯を食いしばる。
霧崎がその隙を狙って攻撃へ移ろうとした――その時。
遠方から飛来した弾丸が、霧崎の両腕を吹き飛ばした。
霧崎は弾道の方向へ視線を向ける。
そこにいたのは、スナイパーライフルを構えるアカリだった。
「やるじゃねぇか! さぁ、もっと俺を殺しにかかれ!」
両腕を失いながらも、霧崎は楽しげに笑う。
重力が緩み、動けるようになったカタリナが、即座に斬撃を叩き込んでいく。
刻まれる痛み。増えていく損壊。
霧崎にとってそれは、今までにない”快感”だった。重力の疑神はギャハハと笑い出す。
「いいぞ! いいぞ! もっと俺を楽しませろ! ……ケヒッ、重力展開! 重力100倍!」
カイトたちの足元へ、通常の百倍の重さが落ちる。
だがカイト、カタリナ、リュウは”次の手”を読み、潰される前に動線を確保し、回避していく。
攻撃が止んだ隙を突き、霧崎は凄まじい速さで走り出した。
向かった先は――銃を構えるアカリ。
「畜生! 間に合えェェェェ!」
ヨウヘイが今までにない速度で走る。だが追いつけない。
迫る気配を察したアカリは、スナイパーライフルをショットガンへ変形させ、距離を取ろうとする。
――ッ!?
すでに重力の疑神は、アカリの背後を取っていた。
吹き飛んだ両腕を瞬時に修復し、とんでもない威力の拳を腹部へ叩き込む。
「ゲホッ……!」
アカリの身体は建物ごと吹き飛んだ。
衝撃で意識が飛び、視界が暗くなる。
「「「「アカリ!」」」」
「この、この、この、このクソ野郎があああァァ!!」
ブチ切れたカタリナが、獣のように踏み込む。
「行くな! カタリナ! 冷静になれ!」
「冷静だァ!? 私はいつだって冷静だ! 仲間をやられて怒らない奴なんていないでしょ!」
憤怒に満ちたカタリナは、重力の疑神の間合いへ入る。
見えないほどの速度で斬撃を繰り出す。だが霧崎は笑っていた。効いていないかのように、余裕そうに。
「死んでろ」
「――え」
霧崎は瞬間的な速さで回し蹴りを叩き込む。
カタリナは咄嗟にガードするが――貫通。バキバキと骨が折れる音が鳴り、彼女の身体は遠くの住宅街の方まで吹き飛んだ。
「カタリナ……ッ、テメェ……!」
リュウが叫ぶ。
霧崎は音速のようにリュウとヨウヘイの元へ回り、体術と能力で一気に行動不能へ追い込む。
「ヨウヘイ……リュウ……」
カイトの視界の端で、仲間たちが倒れていく。
「さぁ、あとはお前だけだぜぇ? カイトくぅん」
圧倒的な力で全滅状態へ追い詰められたカニカマ隊。
ただ一人残ったカイトは、静かな巨大な殺意を纏っていた。
――許さない。
カイトの中で、何かが切れた。
理性ではない。もっと深い場所にあった”何か”が、音を立てて崩れていく。
「――ッ!?」
カイトが重力の疑神の間合いへ入る。
その顔には、鬼神が宿っていた。打ち震えるほどの怒りと殺意を乗せ、斬撃を体全体へ叩き込む。
(なんだ……コイツ本当に人間か? 明らかにおかしい……化け物だ)
霧崎は、カイトの”見えない斬撃”に驚愕を隠せない。
刻まれていく霧崎の身体。
重力の疑神は状況を打開しようと、能力の言葉を紡ごうとする――が、それを許さずカイトは首を切り飛ばした。
「――ッ!」
首を失っても、重力の疑神は遠隔操作のように身体を動かす。
だがカイトはそれすら圧倒し、心臓へ刃を入れようと踏み込んだ。
その時だった。
霧崎は即座に首を修復し、別の呪文を唱えた。
「重力反転! 無重力5倍!」
カイトの身体が無重力へ移行し、ふわりと浮く。
斬撃がわずかにズレる。その一瞬を作れた霧崎は、安堵した顔を浮かべた。
「お前は確かに強いよ、でも俺を殺すことは出来ないぜ? じゃあなまた会おうぜ」
霧崎はそう言い残し、姿を消した。
カイトは無重力の中で、ただ――拳を握りしめた。
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