第5話:毒と真実、そして選択
宮廷の朝は、緊張で重く沈んでいた。
白石瑠璃は小さな器と帳簿を抱え、深呼吸する。今日こそ、長く続いた陰謀の糸を断ち切らねばならない――。
「瑠璃、準備はできているか?」
黎の声が、珍しく柔らかさを含む。冷徹な皇太子が、わずかに心を開いた瞬間だった。私は小さく頷く。
黒幕は側室、医局、商会の複雑な連携によって、宮廷の権力を揺るがす計画を進めていた。しかし、私の嗅覚と観察眼、そして章末で記録してきた処方メモの情報を組み合わせれば、毒の元、手口、意図すべてを暴ける。
最初のターゲットは、側室の病を操っていた医局長。彼の部屋に忍び込み、匂いの痕跡と帳簿の数字を照合する。桂皮、甘草、硫黄、微量の茴香――組み合わせの違いが、誰が毒を操作していたかを明確にする。
「ここだ……匂いの変化と帳簿の不整合がすべてを示している」
小さな声で呟き、証拠を整理する。杜コウがそっと手を添える。「瑠璃さん、行きましょう」
「ええ。宮廷を守るために」
昼下がり、黒幕との対面は静かに訪れた。豪華な書斎の奥、硫黄の微かな匂いが漂う。相手は、表向きは穏やかだが、心の奥には欲と権力の毒を抱えていた。
「君が匂いで私を見抜いたのか……」
「匂いと証拠は、嘘を隠せません」
私は手元の器を示す。解毒薬の匂いと、帳簿の整合性が、すべてを証明していた。
黒幕は動揺し、逃げる隙を探す。しかし、私の目の前には、宮廷の守りと、黎の支えがある。数瞬の静寂のあと、全てが明るみに出た。
夜。宮廷の回廊を歩く。側室たちは回復し、医局も整理され、商会との取引も監査される。宮廷は静かな秩序を取り戻しつつあった。
黎が私の横に立ち、わずかに微笑む。「瑠璃、君がいてくれたおかげだ」
「私の力だけではありません。匂いと薬草が、宮廷の真実を教えてくれました」
微かな沈黙のあと、私は決意する――。
宮廷に留まり、黎や杜コウと共に宮中の秩序を守るのか、それとも下町に戻り、薬屋として静かに生きるのか。匂いを頼りに、今日まで歩んできた道は、私に選択を迫る。
深呼吸をひとつ。匂いの奥に、微かな甘い風が混ざる。
「私は……宮廷に残る」
黎が微かに目を見開き、そして笑う。
杜コウも笑顔を見せた。私の嗅覚、薬学、そして観察眼は、この宮廷で誰かを守るための武器となる――。
夜の回廊。甘い香りの奥に潜む硫黄の匂いは、もう脅威ではなく、私にとっての道標となった。
毒と嘘と陰謀を嗅ぎ分け、真実を紡ぐ――それが、白石瑠璃の選んだ未来だった。