6.
腕と足。
小姫は学校へ向かいながら、あくびをかみ殺した。
昨日の青峰の話が頭から離れず、眠ることができなかったのだ。弥恵にも確かめようかと思ったが、帰ってきたのは夜中だった。疲れている彼女に聞かせるような話とも思えず、結局聞くのをやめてしまったのである。
小姫は何度も左手と左足に目をやった。どこにも変なところはなく、彼女の意志通りに問題なく動く。
(やっぱり、ただの、噂、だよね……)
もし本当に喰われていたとしたら、この左腕と左足は何だというのか。それとも、妖怪に喰われたから、妖力で補われたということか。小姫の身体は、そんなに特殊なつくりなのだろうか。
考えれば考えるほど、わからなくなる。
「……あの砂利、目障りなのです……!」
隣を歩く乙彦は、朝から機嫌が悪そうだった。早めに日浦家に来た青峰と、さっそくひと悶着あったのである。
どうやら青峰は、あの噂の妖怪が乙彦ではないかと疑っているらしい。噂をまるごと信じているわけではないが、心配の種にはなる、ということのようだ。
小姫を渡すまいとする彼と、さっさと自分の務めを果たそうとする乙彦との間で、一触即発の空気が流れていた。
(……まさか、ね)
小姫はちらりと乙彦に目をやった。
彼は小姫を命の恩人だと言っていた。まさか、小姫の腕と足を食べたおかげで飢え死にせずに済んだ、という意味ではないだろう。
「次、会ったら、川に引きずり込んでやるのです」
小姫はため息をついた。
「まったく。仲良くしてよね。青峰さんは次の調停者なんだから」
「どうしてあの砂利が跡継ぎなのです。あなたではないのですか?」
「最初は私もそのつもりだったけど、途中でお母さんがそう決めたのよ」
弥恵がそう小姫に伝えたのは、事故の後だ。
村長との両立が大変だから、とか、時代錯誤だから、などといろいろ理由を聞かされた。しかし、本当は、彼女が自分を責めていたことに小姫は気づいていた。自分が目を離していたせいで、娘が事故に遭ってしまったのだと思ったのだろう。将来、小姫を同じ目に遭わせないために、ルールまで変えたのだ。
(でも、あの時、お母さんはすごく気にしてるみたいだったけど……、私はそうでもなかったのよね)
意外とあっさり、小姫はそれを受け入れた。あまりにも未練がなさすぎて、自分でも拍子抜けしたのを覚えている。
「……ヒメ。着いたのです」
「――え?」
「学校なのです」
物思いにふけっている間に、学校についてしまったようだ。顔を上げるとそこは校門の前で、目を戻した時には、やはり乙彦は姿を消している。
(……ヒメって、私のことだったんだ)
呼ばれたことに気づかず、反応が遅れてしまった。だが、「小姫」でも「娘」でもなく、「ヒメ」だとは。
――お姫様みたいに大切にしてくれて……。
(――まさか、だから「姫」って呼んで……?)
そんな考えが頭をよぎったが、小姫はすぐに否定した。
乙彦に限ってそんなわけがない。きっと、自分で呼びやすいように省略しただけだろう。
小姫は小さく笑いながら、校舎へ向かって足を踏み出した。