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妖怪村の異類婚姻譚  作者: 鍵の番人
第三章 花と香りと、特別な約束
58/81

22.

 発表の最低ラインはクリアしたが、まだまだ改善の余地は残っている。

 というわけで、ほたる橋の班は、校門を出たところで話し合いが始まった。もう少し粘りたいから、明日の朝、早めに登校しないかということのようだ。すでに準備が終わった他の班のメンバーもちらほら混ざっていて、その中には小姫に文句を言った生徒たちの顔も見える。今日のいざこざなどきれいさっぱり忘れたような、活気に満ちた表情だ。


(……帰ろう)


 小姫はそこに加わる気にはなれなかった。早田も戻ってこなかったし、胸の中はやりきれない思いでいっぱいだった。


 ――日浦さんはえらいよねえ。村長の娘だもんね。


 彼女の言葉が、胸に刺さったまま外れない。いつまでもいつまでも繰り返し再生される。


(……仲間になれたと、思ったのに)


 取るに足りないきっかけで、すぐに元に戻ってしまう。また、彼らに壁を作られる。


 小姫に悪意を向けたのは、クラスメイトのほんの一部だ。他の生徒たちや、後で一緒に作業した古鏡湖班の中には、気遣わしげに話しかけてくれる子もいたし、五月はさりげなくかばってくれた。

 それでも、心に刺さったとげを完全に消すことはできなかった。


 一人でいることにも、腫れ物に触るような扱いにも慣れたはずだった。今さらこんなに傷つくとは思わなかった。以前よりは強くなったと思ったのに、全然変わっていないことに気づかされた。

 むしろ、そのことにショックを受けている。


 秋の夕方は暗くなるのが早い。もうすでに、空は藍色に染まっていた。

 楽しそうなクラスメイトの声を背にして、小姫は歩き出した。繁華街を抜ければ、乙彦が合流してくる。それまでは、一人で歩き続ける。


(あの頃も、やっぱり寂しかったんだっけ……?)


 小姫は、今日みた夢へと思いを馳せる。


 幼かった十歳の頃の自分。彼女は、セイと会えるのが嬉しくて仕方なかったようだ。

 当時の記憶がなくて実感が持てないから、他人事(ひとごと)のような言い方になってしまうが、仕方がない。例えるなら、他人の目と体を借りて、その人の過去を追体験しているような……。


 今日も眠りについたら、あの夢の続きをみるのだろうか。早く続きをみたいような、逆に知りたくないような、そんな気持ちに心が揺れる。


「――ヒメ、どうかしたのです?」


 とりとめのないことを考えていると、気配も感じさせずに乙彦が隣に降り立った。顔を覗き込もうとしてくるので、小姫はそっぽを向いて抵抗する。


「……どうかしたって、何が?」

「……なんだか、元気がないように見えるのです」

「――……っ」


 図星を指されて、息が止まりそうになる。


(……なんで……)


 小姫は大きく息を吸って、空を見上げた。


 なんで、こんな時に気づくのだろう。

 まだ、気づかないでほしいのに。傷に、触れないでほしいのに。傷つき、柔く緩んだ心がもとのように固くなるまで、放っておいてほしいのに。


 ……だが、本当にそうだろうか。


 誰にも気づかれなかった傷は、果たしてきれいに治るのだろうか。いつまでも治らずにじくじくと膿んで、ふとした衝撃でまた裂けてしまうのではないだろうか。


 自分一人だけでできるのは、傷口などなかったものとして、見て見ぬふりをすることだけではないだろうか。

 この、小姫の心のように。


(……でも、私……一人じゃないんだ)


 ここまで一人で歩いてきたつもりだったが、本当は一人じゃなかった。小姫からは見えなくても、いつも乙彦が側にいてくれた。どこかで見守ってくれていた。小姫の知らない、十年前から、ずっと。


「……手、つないでもいいのです?」


 黙って歩いていた乙彦が、しばらく経ってから聞いてきた。怪訝に思って聞き返す。


「なんで、今さら……」


 毎日、当然のことのようにつないできたのに、どうして今、そんなことを聞くのか。

 憮然としてつぶやくと、乙彦はためらいがちに答えた。


「……触れたら、泣きそうだったので」

「――」


 ふいに、胸がぎゅっと締め付けられた。のどが苦しくなり、こらえたはずの涙腺から、涙があふれそうになる。


(……そういうこと、言うから……!)


 今、涙がこぼれたとしたら、それは全部、乙彦のせいだ。泣くのは困ると言いながら、泣かせるようなことをする乙彦が悪いのだ。

 意地悪なことばかり言うくせに、結局、どこまでも優しいから。小姫を愛しく思っているような、勘違いさせるような態度をとるから。


 おかげで、乙彦にはいつも素直になれない。とても大事で、かけがえのない大切な存在で。小姫だって、優しくしたいと思っているのに。

 だから、なのか。なぜ今優しくするのかと、なじりたい気持ちが湧いてくる。


 本当に、気の利かない河童だ。泣きそうだと思うなら、そっとしておくことがなぜできないのか。泣きそうだと思いながら、なぜ手をつなごうとするのか。


 そんなにつなぎたいなら、いつものように勝手につなげばいい。それなのになぜ、つないでいいかなんて優しく尋ねるのか。


 悔しいのか嬉しいのかわからず、感情が入り混じってぐちゃぐちゃになる。そうなると、小姫としては、乙彦に八つ当たりするのがいつものパターンだ。


「……そんなわけないでしょ。でも……、そういうことならつながない」

「――は? ……なぜ」

「だって、つなぐ理由ないもん」


 そう言うと、乙彦は目をぱちくりさせた後、むっとした表情をした。


「理由はあると思うのです」

「ないってば。乙彦はまだ……、何でもないし」

「何でもないわけがないのです。れっきとした婚約者なのです」

「だから、違うって言ってるじゃん」


 乙彦が大きく息を吸った。


「――っ、なぜそう頑固なのですか!」

「頑固なのはそっちでしょ!」


 反射的に言い返すと、乙彦がさらに言い返し、次第にエスカレートしていった。


 しかし、乙彦はともかく、小姫は本気で怒っているわけではない。落ち込んだ時でも彼とこうしてやりとりすることで、少し元気をもらえるのだ。胸の奥に沈んだ澱のようなものを、喧嘩を通して外に吐き出しているのかもしれない。心が少しずつ軽くなっていくのを感じた。


 しかし、あっという間に家に着いてしまう。


 家の中には、弥恵と青峰がいるはずだ。今日は夕方まで出かけると言っていたが、さすがにもう帰宅しているだろう。青峰と鉢合わせするとまたひと悶着起きるはずだから、乙彦にはここで帰ってもらった方がいい。一度家に入ったら、次に彼に会えるのは明日の登校時になるだろう。


 小姫のつれない態度に、乙彦は少し拗ねてしまった。ちょっと悪いことをしたなとは思うし、結局、手もつないでいないのが心残りだ。

 今別れたら、明日になるまで、乙彦の顔を見ることも、声を聞くこともできなくなる。そう考えると、まだ離れがたかった。


(……上がって行ってって、言ってみようかな……)


 普段なら、小姫が乙彦を家に上げることはない。屋外ならまだしも、一つ屋根の下でべたべたされると身の危険を感じるからだ。基本的に、妖怪は家人の許可がないと家の中には入れないらしいので、二人だけの時は容赦なく玄関先で追い返していたのである。


 ここ数日、彼が中にいたのは、封印されていた妖怪の話し合いをするためだ。しかし、今日は乙彦を連れてこいとは言われていない。用がないのに連れて行ったら、やはり青峰と喧嘩になるかもしれず、弥恵には心の中を見透かされて冷やかされるかもしれない。


(うう、でも……お母さんたちの方で何か進展があったかもしれないし……だとしたら、やっぱり乙彦もいた方がいいよね……? でも、必要ないって言われたら……)


 ぐるぐると思考をめぐらす小姫を不思議そうに見ていた乙彦が、ふと、地面に視線を向けた。小姫の足元を扇子で指し示す。


「――ヒメ。何かあるのです」

「え……っ?」


 思考から引き戻された小姫は、我に返って乙彦が示した地面を見やる。するとそこには、折りたたまれた紙きれのような物が小石を重しにして置かれている。


 わりとしっかりとした質感の紙は、その感触にも、印字された文字や写真にも馴染みがあった。本来なら、こんな状態になることはないものだ。違和感を抱きながら、小姫はその紙を元の大きさまで広げていく。


「……なに、これ……!」


 紙を開き切り、その中に書かれた文字を見て、小姫は息をのんだ。



「小姫

 女を助けたければ、河童をひとりで学校に寄こせ」



 歴史の教科書の一ページが破りとられ、子どもの落書きのような字でそう書いてあった。


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