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妖怪村の異類婚姻譚  作者: 鍵の番人
第三章 花と香りと、特別な約束
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18.

 その夜、小姫はまた夢を見た。キンモクセイの香りがする、あの丘に現れる少年の夢だ。


 彼と初めて会った日の次の日、一方的な約束を守り、小姫は丘を訪れた。しかしそこで出迎えた少年の唇は、むっつりと真一文字に引き結ばれている。


「――遅かったな」


 どうやら、小姫が来るのが遅かったことが不満らしい。しかし、小姫には学校がある。無理を言われても困ると、小姫は強気に胸を張った。


「遅くないよ。学校が終わったら、すぐ帰ってすぐ来たんだもん。それで、私に何か用なの?」


 真っ向から言い返されるとは思わなかったのか、少年はひるんだ様子を見せた。が、気を取り直し、偉そうな口調で続ける。


「お前、捨てられたわけではないと言ったな? それは本当なのか? 嘘をついているのではないだろうな?」

「嘘なんかついてないもん! それより、捨てられた捨てられたって、すごく失礼だよ!」


 幽霊かもしれないと恐れながらも、約束を守ってここまで来た。それなのに、この言い草はなんだろう。

 憤慨して踵を返すと、彼は慌てたように追いかけてきた。昨日と同じように腕をつかもうとするが、やはり通り抜けてしまって舌打ちをする。


「くそっ……、やはり、不完全なままか……。おい、お前。勝手に帰るな。少し話を聞かせていけ」


 あくまで傲慢な態度に、小姫は呆れた。再度回れ右して正面から向かい合うと、腰に手を当ててにらみつける。


「その呼び方止めてって言ったでしょ? 私、お前じゃないもん! 小姫だもん!」

「ち……っ、呼び方ごときでうるさいな……。わかった、コヒメと呼べばいいのだろう。それでお前、あれから何年経ったのだ? 今の世はどうなっている?」


 少年の言葉に、小姫の目がきりりと吊り上がった。


「あっ……、また、お前って言った! 言わないって言ったのに! 嘘つき! そっちこそ嘘つきだ!」

「う、うるさいと言っているだろう! そうキンキンした声を出すな! ――あまりぎゃあぎゃあ騒ぐと、お前なんて――」


 少年が、まなじりを決して口をがばりと開けた。その異様に大きく開いた口を見て、小姫は声を失った。

 しかしすぐに、少年は口を閉じた。ばつが悪そうな顔をして、目をそらす。


「いや、違う――、我は、なぜ……」

「……え?」


 声が小さくて聞き取れなかった。小姫は聞き返すと、彼は小さくかぶりを振った。


「いや、こちらのことだ。気にするな。……とにかくコヒメ、目覚めたのが久しぶりすぎて、わからないことばかりなのだ。もう、お前とは呼ばないようにするから、いろいろ教えてくれないか」


 小姫はじっと少年を見つめた。金色の瞳はまっすぐ小姫を見つめ返している。今度こそ反省したようだと判断し、「わかった」と頷いた。


「じゃあ、まず名前を教えて。私はあなたのこと、なんて呼べばいいの?」

「それは、昨日言っただろう。好きなように呼べと」

「そう言われても……」


 名前がない生き物なんているのだろうか。小姫は戸惑った。


 ペットも飼ったことがない小姫にとって、名づけをするのは初めての経験だ。断ろうにも、少年の邪気のない瞳が小姫の返答を待っていると思うと、それもためらわれた。

 仕方なく、何か手がかりにならないかと、少年の全身を改めて見つめた。


 濡れ羽色の髪の毛。勝気そうな金色の目。とがった八重歯に、小柄だが健康的な体。

 やはり目をひくのは、特徴的な金色の瞳だ。「目が金色だから、キンちゃ……」と言いかけたが、どうにも似合わない気がしてやめた。


 あとは何があるだろう。周りを見回せば、オレンジ色の花が目に入った。この丘以外では見たことがない、濃厚な色と香り。

 特に香りは、瞑った瞼の裏が、その花の色に染まりそうなほど強烈だ。こうして呼吸をしているだけで、むせ返るような芳香が体内に入り込み、肺どころか、体中を満たしていくような錯覚を起こす。


「ねえ、あれ。あの木、なんて木?」

「木、だと? ……ああ、あれか」


 少年は小姫の指さす方を向くと、うっとりしたように目尻を下げた。


「――あれは、丹桂(たんけい)……、いや、キンモクセイという名前の木だ」

「……キンモクセイ……?」


 初めて聞いたが、キンモクセイという名は、その木にとても似合っているように感じた。


「キンモクセイ……、キンモクセイ……。んー、じゃあ……、セイ! セイちゃんにする!」

「……セイ……ちゃん?」


 少年の不思議そうな声は、小姫の耳に入らなかった。名前を付けるなんて、特別な間柄でないとできないことだろう。特別――つまり、小姫と彼は友達ということだ。

 初めて名前を付けた、初めての同年代の友達。もう、幽霊かそうでないかなんて、どうでもいい。

嬉しくて、セイに向かって手を伸ばす。


「えへへ。私、友達って初めてなんだ。これからよろしくね、セイちゃん!」




 それから、小姫は毎日のようにセイの元を訪れた。


 彼は小姫のいない間に大量の質問を溜め込んでいるようで、顔を見たとたん、次から次へとぶつけてくる。おかげで、小姫は小さい頭をフル回転させなければならなかった。


「コヒメ、あの建物は何だ? あの北東の……、湯気が出ている……」

「ゆげ? えっと……、温泉、かな?」

「温泉? ……ああ、そんなものもあったような……。ということは、あの辺りが以前の森か。では、あれは?」

「え? ……えっと、あれはね――」


 丘は木に囲まれており、樹葉に阻まれて周囲の景色を見通すことはできない。それなのにセイは、あれは、これは、と、まるで見えているかのごとく、質問を重ねた。おそらく、木登りが得意なようだから、枝上から見えた景色を思い浮かべながら質問をしたのだろう。小姫は学校で得た知識や経験を総動員し、一生懸命答えてやった。


 セイは地理だけでなく、文字にも興味を示した。「小姫」の発音がおかしかったため、地面に枝で書いてみせたら、他の文字も要求してくるようになったのだ。


「ふうん。小姫とはそう書くのか。では、がっこうとはどう書く? 今日もそこへ行ってきたのだろう?」

「そうだよ。えっと、これがひらがなで、これが漢字で……」


 彼は優秀な生徒だった。キンモクセイには触れたので、その枯れ枝を拾って筆代わりにすると、小姫に倣って線を書いた。お世辞にも上手とは言えない出来だったが、ひらがなとカタカナだけならすべて書けるようになってしまった。


 新しい言葉も着実に覚えていき、質問は(とど)まるところを知らなかった。そう時間もかからず小姫の知識では追い付かなくなり、やがて、図書館から本を借りてきて読んでやるのが日課になった。


「小姫。お前もだが、言葉が時々おかしくないか。何を言っているのかわからないところがあるぞ」

「え? どこ? ――そんなことないよ。普通だよ。セイちゃんこそ、言葉遣いが変だよ。なんか、えらそうだし」

「む……、そうか?」


 漢字のない絵本くらいなら一人で読めるようになったセイの隣で、小姫は宿題をすることもあった。頭を使いすぎて疲れると、甘いものが食べたくなる。切り株の上におやつを広げ、セイと半分こしようとしたところ、彼は首を横に振った。


「なんだそれは。そんな得体のしれないもの、喰うわけがないだろう」

「え? でも、おいしいんだよ?」

「うまい? まさか。うまいというのは――、いや、いい。お前の通う学校の裏庭に、赤い実をつける木があっただろう。それと、その近くに森があって、入口辺りに紫の実が生っていたはずだ。それをいくつか持ってきてくれ」


 学校に行ったこともないくせに、さも見て来たかのようにセイは言い、小姫は首を傾げた。


「そんなのあったかなあ。でも、持ってきてどうするの?」

「喰うに決まっているだろう」

「木の実を食べるの? ……セイちゃん、小鳥みたい」


 生意気な少年とかわいらしい小鳥の意外な組み合わせに、小姫はくすくすと笑った。しかし、友達の頼みだ。できることなら叶えてあげたい。

 そう思って探してみたが、木々が実をつけるには早く、あと半年ほど時間がかかる。先生に相談してもそれはどうにもならなかった。代わりに偶然持っていたというクルミをもらったので、得意げにセイに渡してやった。なのに、それはセイの手のひらをすり抜けて、草の上にぽとりと落ちた。


「――ちっ、やはり、喰うのは無理か……」


 悔しそうにつぶやき、小姫に頼んで木のうろにしまわせた。


「食べられないの? セイちゃん」

「……いや。おそらく、もう少し経てば……」


 キンモクセイの一本を見上げ、セイは目を細めた。


「そう。そろそろに違いない……。あと少し。あと少しすれば、ようやく、我も……!」

「……セイちゃん?」


 時々、セイは独り言を言う。そんな時はどこか遠くを見ているようで……、小姫は漠然とした不安を覚えた。


 しかし、呼びかけるとセイは、ハッとしたように小姫を見た。驚いたように何度か瞬きをし、苦笑して首を横に振る時には穏やかな目の色に戻っていた。


 そうなると小姫はほっとして、同時に子ども扱いに腹が立つので、頬を膨らませて払いのける。と、セイは声をあげて笑いながら逃げて行く。

 小姫は怒ったふりをしてそれを追いかけ、いつしか鬼ごっこが始まり――……。

 ――疲れ果てて「ばいばい、また明日ね」と手を振る、そんな日々が続いていた。


 セイに起きるそうした変化は、日常に紛れる些細なものだと、いつしか薄れて消えてなくなるものだと、思っていた。




 しかし、そう思っていたのは、小姫だけだったのかもしれない。

 セイが待ち望んでいたのは変化であり、現状の再起不能なまでの破壊だった。


 一方が現実になれば、もう一方はもろくも崩れ去るしかない。同じ時を過ごしながら、小姫とセイの見ていた未来は決して交わることがなかった。



 二人の願いは大層なものではなく、彼らなりの当たり前の日常だった。それでも、すんなりと願いを叶えてくれるほど、現実は優しくはなかった。


 どちらかに転ぶかわからない、安穏で緩やかなひととき。それはまもなく、終わりを告げる……。


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