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妖怪村の異類婚姻譚  作者: 鍵の番人
第三章 花と香りと、特別な約束
47/81

10.


 ――なんだ、お前、変な格好だな。……異人(いじん)か?


 幼い頃、森に迷い込んだ小姫が聞いたのは、そんな言葉だった。




 物心ついた頃には父は亡く、小姫は弥恵一人の手で育てられた。村長と調停者の業務で多忙だった弥恵は手伝いの女性を雇っていたが、彼女の仕事はあくまで家事であり、そこに子守りは入っていなかった。

 自然と、小姫は一人でいることが多くなった。時折、心細さを感じないわけではなかったが、わがままを言って弥恵を困らせるのは嫌だった。おかげで、自立心が旺盛なしっかりものだと評判で、彼女が村の中を一人で歩いていても注意する者はいなかった。


 誰からも放っておかれる中、小姫の遊び相手はその辺にいる虫たちや動物、そして妖怪たちだった。見えない誰かに向かって話しかける小姫は、村人たちの目には異様なものとして映った。村長の娘だったこともあり、あからさまに差別されることはなかったが、クラスメイトから壁をつくられるには十分だった。当然ながら、学校では友達もできなかった。


 だから、小学校が終わると、一人で帰って、一人ですごした。家に帰れば、無人の家が小姫を待っている。手伝いの女性が来るまで、家の中は昼間でも暗く、冷たかった。静かな家は居心地が悪く、小姫はよほど天気が悪いとき以外、外に出る方を選択した。近所を散歩し、虫や鳥を追いかけ、たまに不思議な生き物を見つけて、会話を試みる。


 大人たちとすれ違えば、きちんと挨拶をした。「えらいね」と褒められることはあっても、うちにおいでと誘ってくれる近所の人はいない。弥恵からはたまに、「さみしくないか」と聞かれたが、忙しい母に心配をかけまいと「さみしくない」と小姫は答えた。


 本当に、さみしくはなかった。外に出れば、なんらかの生き物に会える。植物でも昆虫でもいい。何かの息遣いを感じるだけで、一人ではないと思うことができた。

 学校でもそうだ。勉強のことや、学校生活に必要なことは、尋ねれば答えてもらえる。無視をされたりはしない。当たり障りのない話をして、笑うことさえあった。


 だから、自分はさみしくない。さみしかったら、人は泣くはずだ。でも、自分は泣かない。泣きたいとも思わない。だから――、さみしくないはずだ。


 小姫はそう思っていた。だが、そう思い込んでいただけだったのだろう。


 今、思い返してみれば、あの頃、小姫は孤独だった。

 自分でも気づかなかったが、確かに孤独だった。


 そんな彼女を慰めた生き物の中でも、人間ではない小さきものの存在は格別だった。

 彼らの数は少ないようで、たまにしか出会うことができなかった。しかし、思いがけない、身近なところで見つけられたときの喜びは大きかった。

 木の葉の裏側。木漏れ日の中。川べりの石と石の間など。


 妖怪も暖かい方が快適なのか、春になると見かける頻度が高くなった。大抵はすぐに逃げてしまうが、たまに、会話をしてくれる妖怪もいた。一言二言話すだけでも、答えてくれる相手がいることが小姫には嬉しかった。次第に、彼らに会うために散策するようになっていった。


 その日も、小姫は名も知らぬ小さな生き物を探そうと、鞄を置いて家を出た。目の前の土手を下りて木造の橋を渡り、新しい葉が生まれ始めた森に分け入っていく。けもの道ではあるが、下生(したば)えもまだ芽吹いたばかりで、子どもの足でもなんとか通ることができた。斜面を登って行くと、土と葉のにおいに混じって、強い芳香が一瞬、鼻をくすぐった。


(……なんの匂い?)


 嗅いだことのあるような、秋の紅葉が脳裏に浮かぶような甘い香り。季節外れの香りに誘われて歩いて行くと、ゆるい傾斜の下り坂を通って、やがて、森を丸く切り抜いたような開けた場所に出た。


 周囲を囲む木の枝が緑葉(りょくよう)で覆いつくされれば、真ん中の広場にだけ日光が差し込み、幻想的で不可思議な円形の舞台ができあがるだろう。しかし今は、葉によってつくられる影はまばらで、遮り損ねた光がそこかしこにこぼれ落ちている。その影は、風が吹くたびにチラチラと踊り、小姫は楽しくなって駆けだした。


 転びそうになりながら、想像の舞台の中央に立って視線を巡らす。そこから見ると、どこか違和感のある木々が七本、舞台を取り囲むように生えていた。この独特な香りは、その木のオレンジ色の花から発せられているのだと気づく。もっとよく見てみようと、正面にある一本の木に近づいて行ったとき、どこからか少年の声が響いた。


「――なんだお前。変な格好だな。……異人か?」

「え……?」


(……いじん?)


 小姫はきょろきょろと辺りを見渡した。さっきまで誰もいなかったはずなのに。今も人の姿は見えないが、なぜ声が聞こえるのだろう。

 だが、その答えはすぐにわかった。声は上から降ってくるのだ。小姫が声のする方へ顔を向けると、木の枝に腰掛けていた男の子と目が合った。


(――うわ、黄色い……!)


 少年の目は、木漏れ日を映し込んだような金色で、対照的に、髪は光を吸い込んで閉じ込めたような漆黒だった。筒状の袖が付いた簡素な上衣(つつそで)と短い(はかま)を身に着けていたがどちらもぼろぼろで、春先にはまだ寒そうな格好である。小姫の格好を変と言ったが、それはむしろ彼の方だろうと小姫は思った。


「お前、誰に捨てられた? 父か? 母か? それとも主人か?」


 少年はなぜか、小姫を捨て子だと勝手に決めつけ、矢継ぎ早に質問を浴びせた。小姫が呆気に取られていると、返答がないことにしびれを切らしたのか、男の子は木から飛び降りた。足の下で、前年の残りの落ち葉がかさりと小さな音を立てた。

 人一人分の重みを感じさせない、軽やかな着地だった。重力を無視したような動きに、彼は人ではない何かだと悟る。


(この子も……妖怪?)


 人型の妖怪なんて初めて見る。しかも彼は、言葉をしゃべった。今までに会った妖怪とは格段に違う、流暢な日本語を。


 目の前に立ちはだかった彼は、小学一年生の小姫より少しばかり背が高かった。が、年恰好は同じくらいに見えた。勝ち気そうな釣り目気味の目つきと鋭い八重歯が特徴的だ。――つまり、人間と変わらぬ容姿をしている。 


「なんだ? 恐怖で声も出ないか。 ……まあ、何でもいいか。久しぶりの(めし)だからな。変わり者でもうまいかもしれない」


 まじまじと見つめる小姫をどう勘違いしたのか、少年は勝手に話を進めている。ようやく驚きから立ち直った小姫は、やっとのことで返事をした。


「――私、捨てられてないよ」


 まっすぐ見返してそう言うと、少年はぽかんと口を開けた。


「……は? 捨てられてない?」

「そうだよ。冒険してただけだよ」

「――」


 少年はショックを受けたように立ち尽くすと、改めて小姫の全身を眺めまわした。得体のしれないものを見るような目つきに、居心地が悪くなって後ずさる。すると、突然、腕をつかまれた。


 ――と、思ったらすり抜けた。


「――うわっ?」


 悲鳴を上げたのは少年の方だった。バランスを崩してつんのめり、しかし、たたらを踏んで転ぶのは避けた。その一連の動作を見ていた小姫が、仰天して声を上げた。


「ゆ、幽霊!?」


 体をすり抜けてしまう妖怪も見たことはない。それは確か、妖怪というよりは幽霊の特徴だったはず。

 小姫は妖怪には親しみを覚えていたが、一度も会ったことのない幽霊には恐怖心を抱いていた。怖くて足が固まっていなければ、一目散に逃げているところだ。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう……!)


 幽霊への対処法なんて、小姫は知らない。知っているのは、妖怪との接し方だけだ。


 一つ、相手の嫌がることはしないこと。

 一つ、無闇に名前や住所を教えないこと。

 一つ、守れないかもしれない約束はしないこと。


 これらは、物心ついたときに、弥恵が教えてくれたものだ。


「まあ、悪い妖怪なんてもういないから、そこまで神経質になることもないんだけど。でも、調停者としては、少しでも妖怪から信用を得られていた方がいいのよね」


 弥恵が言っている意味はあまりわからなかったが、小姫はその言葉を胸に刻んでおいた。自分は次の調停者だと、母の跡を継ぐ立場であることが誇らしかったのだ。


 しかし今は、役に立ちそうにない。だって、相手は幽霊だからだ。しかし、少年は小姫に見向きもせず、驚いたように自分の手を凝視し続けているだけだった。


(……どうしたんだろう、この子。通り抜けたことに、自分でも驚いているみたいな……)


 足もあるし、もしかして、幽霊ではないのかも。

 そう思うと、あまり怖くなくなった。もう少し観察してから判断しようと、少年の動きじっと見つめる。


 やがて、小姫に見られていることに気が付くと、少年は目を鋭くして睨んできた。


「お前、何者だ」

「……私?」


 一瞬、母の教えが頭をよぎる。


 ――一つ、無闇に名前や住所を教えないこと。


(……えっと、むやみって、なんて意味だっけ? みんなに、だったかな。だったら、この子には教えてもいいよね。他の妖怪に教えたことないし。妖怪じゃないかもしれないし)


 ちなみに、妖怪に嫌がらせをしたこともないし、約束を破ったこともない。この調子なら、弥恵の教えは簡単に守れそうだ。小姫は安心して、心の中で頷く。


「私は、日浦小姫だよ。あなたは?」

「われは――、名前はない」

「えっ……?」


 小姫は目を丸くして彼を見返したが、冗談を言っている表情ではない。


「呼びたければ好きなように呼べ。それよりお前、明日もここに来い」

「ええ?」

「いいか。絶対だからな」


 そんな勝手な、と小姫は抗議しようとしたが、少年の身体が徐々に薄くなっていくのに気づいて、口をつぐんだ。そのまま見ていると、彼を透かして遠くの木が見えるようになっていき――、まもなく、全てが消えてしまった。


 小姫の背筋を、うすら寒いものが撫でていった。


「……やっぱり、幽霊……?」


 そのつぶやきに対する答えは、いくら待っても聞こえてこなかった。


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