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妖怪村の異類婚姻譚  作者: 鍵の番人
第三章 花と香りと、特別な約束
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8.

 そう考えると、心が軽くなった。むしろ浮き立つような気持で教室へ戻り、その途端に浴びた全員の視線にぎょっとする。


「……えっ!? な、なに……?」


 ――まさか、外の会話が聞こえていたのだろうか。


 冷や汗をかきながらみんなの顔色を窺うと、五月が安心させるような笑顔で首を横に振った。


「ああ、びっくりさせちゃってごめん。大したことじゃないんだけど、紹介の写真についてちょっと問題があってさ。ほら、それぞれ写真はネットから著作権フリーのやつ取ろうって話になってたでしょ? でも、ちょうどいい写真が見つからない場所がいくつかあるみたいなんだ」

「そうそう。その場所ってのが――」


 五月の周囲にいた生徒たちも、彼に続いて話し出す。


「――えっと、清水屋と、ほたる橋と、キンモクセイの丘でしょ。で、近くに住んでる人に、登校する時にでもちょっと寄ってもらって、写真を撮って来てもらおうってことになったんだ。それで、清水屋の方は、もう見つかったんだよね?」

「うん。隣のクラスのやつなんだけど、明日の朝、撮って来てくれるって。あ、ちゃんとお店にも許可取ったから大丈夫だよ!」

「ほたる橋の方は、私に心当たりがあるんだ。近所に知り合いがいるから、頼んでみる。――で、問題は、キンモクセイの丘なんだけど……」

「――うん、日浦さんの家が近いんじゃないかってみんなで言ってて……」


 二人の女子が、お互いの顔と小姫のそれとを交互に見やる。不在の間に面倒ごとを押し付けたようで後ろめたいのかもしれない。しかし、小姫としては、役に立てることがあるならむしろ自分から引き受けるつもりだった。自分たちで足りない写真を撮りに行くという案についても異論はない。ただ一つ疑問なのは、その場所が家に近いとは思えないということだ。


(住所とか、交通案内を調べたときは、そうでもなかったような……)


 丘というだけあって、ある程度、山道を登る必要があるだろう。放課後では日が暮れてしまうから、写真を撮るなら登校前なのだが、早朝から登山というのはさすがにきつそうだ。


 首を傾げながら、渡された地図を見る。学校からの経路をたどると、駅前の繁華街を通り抜け、十字路で右に曲がれば小姫の家で、そこをまっすぐ行ってから側道に入れば丘の入口に行きつくようだ。小姫の家と丘の間を川と道路が横切っているが、直線距離だけで言えば、確かに近い。


「――あ、でも、日浦さんが知らないなら、実際はそんな近所じゃないのかもね。それならいいんだ、他の人に頼むから」

「うん、実は、そこって沙紀が結構乗り気でさ。キンモクセイの香りにはまってるんだって。一度行ってみたいって言ってたから、話してみたら、写真も自分で撮ってくれるかも」


 考え込んでいると、さっきの女子たちが焦ったように言ってきた。気を遣ってくれたのだろう。しかし、小姫は首を横に振った。


「――ううん。大丈夫。私もちょっと興味あるし、行ってみるよ」


 そう言うと、彼女たちはほっと息をついた。


 小姫としても、これ以上、早田に仕事を振るのは気が引けた。それに、家も逆方向だったはずだ。だったら最初の提案通り、小姫が撮影した方がいい。

 それに、気になることがあった。


 キンモクセイの丘は、なぜか一年中花が咲いているという、いわくのある場所だ。世界でも珍しい品種だからだとか、周辺の地形が複雑に作用して特殊な環境が生まれているせいだとか、様々な理由が付けられているが、どれも憶測の域を出ていない。

 しかし、小姫はそれのどれでもなく、第三の可能性を考えていた。


(もしかしたら、妖怪が関係してるのかも……)


 品種や環境が特殊だとしても、花が一年中咲き続けるというのはやはり不自然だ。むしろ、木が妖怪化したものとか、そういう幻を見せる妖怪が潜んでいるとかの方が、小姫にとってはしっくりくる。もしそうだとしたら、誰かが妖怪にいたずらされたり、逆に妖怪をいじめたりしないとも限らない。一度、確認しておいた方がいいだろう。


 そう思った小姫は、下校時刻になって校門から追い出されると、さっそくその足で丘へ向かった。こう暗くては写真は撮れないが、気になって仕方がないのである。もちろん、乙彦が付いてくることを前提にした行動だ。乙彦と一緒ならば、相手が妖怪でも、暗い山道でも平気だろう、との判断だったが、昨日からずっとぎくしゃくしていたことを失念していた。案の定、これから寄り道をすることを伝えると、乙彦は眉間にしわを寄せてつぶやいた。


「……そんなところに、これから行くというのですか」


 不機嫌さをむき出しにした様子に、小姫はヒヤリとする。拒否されたら困るし、たとえそうでも折れるつもりは毛頭ない。しかし、これ以上関係を悪化させるのも本意ではなかった。どうか、いい返事をしてくれと、ハラハラしながら返答を待つ。

 すると、乙彦はこれ見よがしにため息をついた後、しぶしぶといった口調で言った。


「……どうせ、止めても行くのでしょう?」

「え? ……うん。ちょっと見てくるだけだし。乙彦が嫌なら、道路で待っててくれてもいいし」

「…………はあ。わかったのです。付き合うのです」

「あ……、ありがとう」


 あからさまな嫌がり方だったが、結局、小姫が心配でついてきてくれるらしい。喧嘩中のため、喜びを(あらわ)にするのはためらわれたが、くすぐったさと嬉しさで体温が上がっていく。

 時間も経って頭も冷えた。乙彦とぎこちないのは苦しい。そろそろ、ちゃんと仲直りしたい。


 そんなことを考えていると、乙彦が小姫の背後で手を動かした。


「――え? 何?」


 首の後ろ辺りに気配を感じ、とっさに手で触れてみる。すると、乙彦はびっくりしたように手を離した。


「? 何か、しようとした?」

「……いえ、特には」


 特にはと、言う割には、気まずげに目を泳がせている。


「……ただ、あそこは少し、嫌な予感がするのです。なるべく離れない方がいい……、だから、すぐに抱えられるようにしておきたいのです」

「抱えられるって……」


 人を何だと思っているのだろう。それに、それが今の行動とどうつながるのか。

 首を傾げかけた小姫は、乙彦の手が触れたのが、制服の後ろ襟の辺りだったと気づき、絶句した。


(――もしかして、首根っこ捕まえようとした!?)


「ひ、人を猫の子みたいに!」

「ですが、掴むところがないのです」

「つ、掴むって! そんなの、腕とか手とか、いくらでもあるじゃない!」

「……ですが、肌に触れたら、冷えてしまうのです」

「えっ……?」


 乙彦を見ると、彼は困ったような顔をした。


「私の身体は冷たいのです。ヒメだって私のことを、寒そうな目で見ていたでしょう?」

「――」


 それを聞いて、小姫はもう一度固まった。

 川に()む妖怪である乙彦の身体は、人間の体に比べて体温が低い。夏はひんやりとして気持ちいいが、気温の下がる秋冬になるとその利点は逆転する。


(まさか……、だから? だから、手をつないでくれなくなったの? あんまり触らなくなったのも、私が凍えちゃうと思ったから?)


 じわじわと、頬が熱くなっていく。


(うわぁ……)


 小姫は火照(ほて)った頬を冷まそうと、外気で冷たくなった手をそこに当てた。

 そういえば、そうだった。時折見せる、乙彦の突飛な行動、不可解な思考。どんなに意味不明に思えても、その行動原理はすべて小姫にある。小姫自身はつい忘れてしまうが、乙彦が彼女のことを最優先に考えているのは疑いようもないのだ。


 しかし、だからこそ、厄介と言えた。

 乙彦からすれば、恩を返そうとしているだけなのだ。が、彼を助けた記憶のない小姫は、頭ではわかっていても、違う意味に受け取ってしまう。てらいもなく好意を向けられ、特別扱いしてくれる乙彦に対し、年頃の少女が恋の萌芽(ほうが)を芽吹かせるのは自然な流れでもある。


 お互いに一方通行な片思い。ずれた優しさを愛しく思っても、乙彦の気持ちと交わることはない。


「……ヒメ?」


 うつむいた小姫を、乙彦がのぞき込んだ。

 嬉しいのに、苦しい。想いが行き場を失って、袋小路に迷い込んでしまう。その苦しさに押されて、つい本音がぽろりと漏れた。


「……そんなの、私、気にしないよ。寒そうっていうのは、その服装のことだし。……私、乙彦と手、つないでたら、すごくあったかいよ」

「…………」


 口にしたとたん、カッと血が上った。さらに顔が熱くなる。


 さすがに考えなしにしゃべりすぎた。これではまるで、手をつないでくれとねだっているようではないか。そんなつもりじゃないとごまかしたいところだが、どう取り繕っても言い訳にしかならなそうだ。小姫は判決を待つ囚人のような気持で、乙彦の言葉を待った。


 しかし、うつむいた小姫の耳に、乙彦の声は聞こえない。


(うう、なんで無言なの? 早く……、早く何か言って!)


 そんなことあるわけないとかまたおかしなことをとか、皮肉な口調でにやりと笑う乙彦の顔を思い浮かべる。乙彦がそうしてくれれば、小姫もいつも通り軽口で返すことができる。それなのに、しばらく待っても乙彦の返答はなかった。観念して顔をゆっくり上げると、彼は珍しく戸惑ったような表情をしていた。


「あ……いえ、そんなことを言われたの、初めてなのでびっくりしたのです」

「……え?」

「……わかったのです。ヒメが、嫌じゃないのなら……」


 いつも強引な乙彦が、そんなことを遠慮がちに言いつつ、そっと小姫の手を手繰(たぐ)った。柔らかく握りこまれた指先から、小姫の気持ちを探るような気配が伝わってきて、どくん、と大きく心臓が鳴る。


(うわっ……。何これ、緊張する……!)


 まるで、心を直接指でなぞられているようだ。体をめぐる血が全部集まってきたのかと思うくらい、乙彦と触れている部分が熱くなる。凍えていたはずの手に汗がにじみそうになって、小姫はますます緊張した。


「? 本当に、手が温かいのです」


 小姫の内心も知らず、乙彦は不思議そうに首を傾げるのだった。


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