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妖怪村の異類婚姻譚  作者: 鍵の番人
第三章 花と香りと、特別な約束
44/81

7.

(――はあ。もう、本当に、どうしたらあれは直るんだろう……)


 翌日も、小姫は準備で使う文具や書類を整理しながら、乙彦のことを考えてため息をついた。


 小姫の婚約者と主張してはばからない彼は、彼女が他の男子と交流するのをよく思わない傾向がある。小姫の気持ちが乙彦にあることを伝えて以降も、それは変わらない。告白の仕方が回りくどかったせいで伝わっていないのか、それとも、小姫のことを信用していないのか。小姫はもう一度、大きく息を吐いた。


 これがせめてヤキモチだったら嬉しいのだが、乙彦の場合はどうも、所有欲というか独占欲で動いているようなきらいがある。無駄に束縛されているようで、小姫にとっては面白くはない。昨日はひたすら言い訳を重ね、それでも全く信じてくれない乙彦に憤慨し、最終的にはけんか別れをしてしまった。


(なんでこうなっちゃうんだろ……)


 理想の彼氏は優しくてかっこよくて、王子様みたいな人だった。もちろん、人間であることが大前提で、妖怪も河童も想定外だ。だから、その点に関しては諦めがついたのだが、これからの展開やシチュエーションについての理想まで諦めるつもりはない。

 片想いのままなんとなく付き合うというのはごめんだ。恋人になるのだったら、相思相愛でなければならない。だから、今は無理でも、いつか、乙彦からも同じ想いを向けてもらえたら――、所有欲でも命の恩人に対する義務でもなく、恋愛感情を持ってもらえたらと思い描いてはいるのだが、そんな幸せな未来には、まったく近づけないでいる。


 昨日も、仲が進展するどころか後退してしまった。おかげで今朝は険悪な雰囲気だったし、仲直りもできていない。もがけばもがくほど泥沼にはまっていくような状態に、さすがに落ち込んでしまう。


「―――日浦さん。このお店ってどこにあるの?」


 そんな思いに(ふけ)っていると、喧嘩の元凶となる声が聞こえて飛び跳ねそうになった。平静を装って声の主を探すと、今日はちゃんとクラスの準備に参加している五月が、黒板に書かれた箇条書きの一つを指さしている。


「えっ――と、どれのこと?」

「これ。このお店なんだけど」


 こつこつと黒板をつついている五月に近寄って、視線で文字をなぞる。


「ああ、ここね。五月くん、まだ行ったことないんだ。小さくて古いけど、お饅頭の専門店で、結構おいしいって評判なの。ここからだと、小学校の方向にあるの。途中に温泉街があるでしょう? その真ん中くらいに位置していて――」

「へえ、近いんだね。今度俺も行ってみようかな。……あ、じゃあ、こっちは?」

「ここは、その温泉街の、やっぱり中心くらいにある温泉で――」


 しつこく(よみが)ってくる乙彦の影を振り払いながら、五月の質問に一つずつ答えていく。

 クラスの出し物として展示する予定の名所は、今のところ六ヶ所だ。


 朝七時には並ばないと売り切れてしまう、饅頭で有名な和菓子の清水(しみず)屋。

 その近くに位置し、開湯千年を超える歴史を持つ温泉・新月(しんげつ)の湯。

 野球場の周囲を囲む二百本からなる桜並木。

 一年中花を咲かせるという、特殊なキンモクセイの生えるキンモクセイの丘。

 大きくはないが、底が見えないほど深く、透き通った水をたたえている古鏡湖(こきょうこ)

 夏祭りのときだけ現れる、蛍の光でふちどられたほたる橋――……。


「――あ、これは知ってる! あの夏祭りの時の橋だよね――……」


 嬉しそうに言いさした五月が、小姫が視線を泳がしているのに気がつき、固まった。


 ほたる橋には、橋のほとりで告白すると幸せになれるという言い伝えがある。夏祭りの時、五月はその言い伝えを実践しようとした。小姫が断ったため、その言い伝えの真偽は不明のままだが、二人にとって気まずい思い出なことだけは確かである。


 小姫の説明を周囲でうんうんと聞いていたクラスメイト達も、不自然に訪れた沈黙に首を傾げた。

 そんな雰囲気を破ってくれたのは、昨日、小姫を違う意味で悩ませた早田だった。


「あ! もしかして、五月くんに村の案内してるところ? 面白そう。混ぜて混ぜて!」


 彼女が今取り掛かっているのは、各名所のタイトルを表示したパネルである。さっきまですごい集中力で黙々と作業していたが、そろそろ一息つきたいのだろう。それに、五月に近づくチャンスでもある。

 他意があったとはいえ、昨日は彼女のおかげで予想以上にはかどった。このまま順調に進めば、余裕をもって本番を迎えることができるだろう。


 早田は一本に結った髪を揺らし、満面の笑顔で近づいてきた。


「なんといっても、まずは清水屋だよね! っていっても、この村にはそれくらいしかないんだけど。でもね、ほんとにおいしいんだ! 白くて大きくてすっっごくやわらかくて、あんこのなめらかさとか、もう秀逸! 和菓子に興味なかったら、生クリームとイチゴを添えるのもおすすめだよ。あたしはちょっと濃いめの緑茶か、ほうじ茶で食べるのが好きなんだけど」

「あはは。沙紀(さき)っておばあちゃんみたい!」

「ちょっと、失礼ね! ほっといてよ!」


 早田の熱心な口調にヤジが飛び、笑いが起きた。軽快な掛け合いにつられて、聞き役に回っていたクラスメイト達も自分たちの思いを口々に言い始める。

 作業の手は止まってしまうが、多少は息抜きも必要かもしれない。それに、皆、楽しそうで、水を差すのは避けたかった。


(――よし、ここは、早田さんに任せよう)


 五月の隣を確保した早田を確認し、彼女たちを中心に盛り上がる集団から一歩離れる。五月への説明は一通り終わったし、小姫は自分の作業に戻ろうとした。

 だが、さりげなくフェイドアウトしかけた小姫の腕を、がしっとつかむ者がいた。ぎょっとしてその腕を辿(たど)ると、いつの間に集団の輪から外れたのか、早田の真剣な顔に行きついた。


「……えっ? 早田さ――?」

「――ねえ。日浦さんって、五月くんのこと好きなの?」


 顔を近づけてきた早田が、耳元でそうささやいた。小姫はぎくりとして体がこわばったが、とっさに首を横に振った。


「ま……まさか。なんで、そんなふうに思うの……?」


 確かに、以前はそうだったかもしれない。だが今は、そんな誤解をされるような態度はとっていないはずだ。

 しかし、もしかしたら周囲からは違うように見えているのだろうか。内心で焦りながら早田の顔をうかがうと、意外なことに、彼女は残念そうな顔をしていた。


「……なあんだ、そっか……」

「……へ?」

「結構、お似合いだと思ったのに」

「――……?」


 それは、どういう意味なのだろう。

 早田は何を考えているのか。何と返すのが正解なのかわからず困惑している間に、集団の話題は、個人の感想から展示の仕方についての議論へ変わっていた。


「――ねえ、これさ、思ったんだけど、ただ紹介するだけじゃあやっぱり面白くないよねえ? サンプルとか、もらってくることできないかな?」

「んー……、それって例えば、饅頭一個とか、湖の水を小瓶一杯分とかってこと? ……あってもいいけど、それだけじゃ、紹介文だけとあんまり変わんなくない? だったらいっそ、クーポンみたいなの配るとか」

「クーポンかあ。それだと、お店の宣伝っぽくなるよね。販促っていうか。問題にならないかな?」

「でも、あれくらい老舗だと、もう村の名所のひとつでしょ。今回だって、そう思って取り上げてるんだし」

「あ、そうだ、クイズとかは? 全問正解者に粗品進呈!」

「わっ、それ、いい! あ、でも、観光地だけじゃネタ足りないかも。やるんだったら、もっと広い範囲にして――」


 今日の参加人数も八人と少ないが、そのおかげなのか、どんどん話が進んでいく。あまりの盛り上がりぶりに、途中から実行委員も参加した。実現可能な内容かどうか吟味するつもりだろう。残りの予算の範囲内なら多少の変更は可能だと実行委員が告げると、みんなからわっと歓迎の声が上がった。


 小姫もつられて、即席の議場と化した教室へと視線を移す。今までの無気力さが嘘のように、室内は活気であふれていた。思わず顔をほころばせていると、隣でぽつりと声がした。


「……ほんとに、何でもないんだ……」

「……え?」


 横を見ると、早田が何か言いたげな表情でこちらを見ている。そういえば話の途中だった。慌てて返答を考えていると、先に早田が口を開いた。


「――ごめんね、あたし、そろそろ行かないと」

「えっ?」

「部活の方。安心して。あたしがやってたパネルは作り終わったから」


 ……いつの間に。


 彼女からパネルを預かり、確認して舌を巻いた。シンプルで必要最低限といった出来だが、言われた通りの作業をしっかりこなしている。


 だが、よくわからなくなってきた。早田は誰よりも真面目にクラスの仕事に取り組んでいる。五月が目当てだと言っていたが、自分の分担が終わるまで小姫たちの会話にも加わってこなかった。それは彼女の性格ゆえなのだろうか。


 パネルを手に難しい顔をして考えこむ。その目の前を、一つ結びにした髪が横切った。教室の扉を抜けて廊下へ出て行くのを、小姫はパネルを置いて追いかけた。


「――早田さん!」

「え……?」


 鞄を持った早田が驚いて振り返る。その目の前まで走って行き、通せんぼをするようにして話しかけた。


「あの、いつもありがとう! 早田さんのおかげで、毎日すごく助かってる。……でも、もし大変だったら、無理しないで言ってね。部活と掛け持ちで大変だと思うし……」


 そこまで言って、小姫は口ごもった。

 勢いで話してしまったが、自分でも何を言いたいのかわからない。無理しないでと言ったものの、本当に明日から手伝ってくれなくなったら大打撃である。しかし、頼りになるからといって、あまり彼女に負担をかけるのも申し訳ないし、なにより、肝心の五月との時間がほとんど確保できていないのが心苦しい。それをどう言ったものか。


 言いあぐねている小姫を目をぱちくりさせて見ていた早田が、ぷっと吹きだした。


「あはは、日浦さん、遠慮しすぎ! 大丈夫だって、あたし、そういうタイプじゃないから」


 手を振って小姫の懸念を笑い飛ばした。


「それに、思ったよりクラスの準備も楽しいしさ。……あとほら、言ったじゃん。今日は五月くん、ちゃんといたしね。話できてラッキー」


 後半部分は声を潜め、小姫の耳に向かって囁くように言った。

 小姫が気になっているのがそこだ。早田は五月のファンだと言うが、彼の側にいることに、それほど熱心なように見えないのだ。


「……でも、あんまり話できてなかったよね?」

「え? あー……、まあ、そこはあんまり重要じゃないっていうか」


 小姫が納得していない顔をしていたせいか、早田が苦笑いをして説明した。


「五月くんはえっと、目の保養っていうか。こう、傍から見て観察したり妄想したりするのがいいんだよね。だって、めったにいないイケメンじゃん? 妄想し甲斐(がい)があるっていうの、わかんないかな?」


 手を組み合わせて、ちょっと恥ずかしそうなポーズをしている。

 正直言えば、わからない。小姫はもう一つ、質問をする。


「えっと……、早田さん。念のため確認したいんだけど、早田さんって、五月くんのこと……、その、好き……なんだよね……?」


 どうにも話がかみ合っていない感が(いな)めない。小姫は前提条件から確認してみることにした。だが、それを聞いた早田は、きょとんとして首を傾げた。


「え? 違うよ?」

「――違うの!?」

「うん。だって、日浦さんが言ってるのって、恋愛的な意味の『好き』でしょ? あたし、ファンだって言ったじゃん。えっと、今風に言えば、押し? みたいな」

「お……押し?」


 小姫はぽかんと口を開けて早田を凝視した。


「そう。だから、五月くんのこう、さりげない仕草とか、一瞬の表情とか、そういうの見つけるのが好きで。春からずっと見てたんだよね。そしたらさ、視線が日浦さんのこと追ってるっていうか、色々気にしてるっぽいことが時々あって。それで、日浦さんの方も、まんざらでもなさそうだなーって思ってたわけ。あ、あたしにはそう見えたってだけなんだけど。でも、夏祭りの頃かなあ、あの頃から、なんか距離できた感じがして、今日なんか、日浦さん、ずっとため息ついてたじゃん? 何かあったのかなあって思って、ついつっこんだこと聞いちゃった。もしこう、恋煩い的な何かだったら、萌えるなって」

「――っ」

「あ、ごめん。……じろじろ見てたなんて、気、悪くするよね……?」


 早田が気まずげに頬をかいた。一方、小姫の頬は、じわじわと熱くなっていく。

 そんなに観察されていたなんて知らなかった。夏祭りを含めて五月との間にはいろいろあったが、早田には筒抜けだったということか。恥ずかしくていたたまれなくなった小姫は、全部聞かなかったことにすることにした。


「えっと……、つまり、早田さんは、五月くんのただのファンで、恋愛的な意味での好きじゃあないってこと……?」

「だから、そうだってば。だってあたし、彼氏いるし」

「――ええっ!?」


 さすがに驚きを隠せずに小姫が叫ぶと、早田が慌てて「しーっ!」と人差し指を立てた。


「中に聞こえちゃうから……!」

「あ、ご、ごめん」


 小姫は教室の様子を窺いつつ、声を潜めた。誰も出てこないのを確認して、二人で胸をなでおろす。

 しかし、早田には本当に驚かされる。五月に好意を抱いているのかと思っていたらただのファンで、他に彼氏がいるなんて。


(……そっか。彼氏、いるんだ……)


 付き合っているということは、両想いなわけで。早田が好意を抱いていた人が、同じ想いを彼女に返してくれたということで。

 小姫には奇跡にも思えるようなことを、彼女はすでに成し遂げたのだ。知らず、早田に向けるまなざしに、尊敬の気持ちが(こも)る。


「……すごいね、早田さん。両思いなんて、ほんと奇跡……」


 きらきらした目を向けられて、今度は早田がぎょっとしたような顔をした。


「――えっ、何が!? ……いや、っていうか、全然そんなんじゃないから。なんていうか、友達の延長みたいな感じ? しかも遠恋で、そういう雰囲気とかなくて――、って、あたしの話はいいんだけど!」


 照れたのか、少し顔を赤くした早田は、ごまかすように小姫に矛先を向けた。


「……でも、そんなこと言うってことは、やっぱり日浦さん、五月くんのこと――」

「ち、違うってば! 私は五月くんじゃなくて、違う人が……!」

「――、えっ!?」


 今度は早田が目を丸くする。小姫は口が滑ったことを後悔したが、もう遅い。早田は興奮で頬を上気させ、恥じらうそぶりを見せつつ小姫に詰め寄ってきた。


「え? え? じゃあ日浦さん、他に好きな人がいるんだ!? ああ、嘘! 五月くんかわいそう! 二人、お似合いだと思ったのに……! でも、失恋して切ない思いを胸に秘めた五月くんっていうのも萌える! ……あ、でも待って、それって、五月くんよりかっこいい人がいるってこと? ねえ誰? 誰? 教えて! でも、そんな人この村にいなくない?」

「ちょ……っ、は、早田さん?」

「――はっ……!」


 あまりの喰いつきぶりに小姫がたじたじになっていると、早田は突然びくっとして、スマホで時間を確認した。


「あー、やばい、もうさすがに行かなきゃ、怒られちゃう。……ああでも、せっかく盛り上がってきたのになあ……。日浦さん、今度その話、じっくり聞かせてもらっていい? あたし、最近、恋バナに飢えててさあ」

「え、えっと……」


 小姫は引きつった笑みを浮かべた。正直、自分が登場する恋バナがこんなに気恥ずかしいものだとは思わなかった。

 とっさに断ろうかと思ったが、よく考えてみれば早田は恋愛の先輩である。もしかしたら、いいアドバイスをくれるかもしれない。ちょうど乙彦との関係も行き詰っていたところだったし、恋愛相談という意味ならばこちらからお願いしたいくらいである。


 だが早田は、小姫が返事をする前に、「じゃ、また明日ね!」と走り去ってしまった。小姫は開きかけた口をそのまま閉じるしかなかった。


(早田さんて……、こういう面もあったんだ……)


 彼女の印象が、すっかり変わってしまった。さばさばしていてしっかりした性格だと思っていたが、恋愛が絡むと周りが見えなくなってしまうところがあるようだ。こんな一面があるなんて、今回のことがなければ、ずっと知らないままだっただろう。


(……だけど、ちょっと、嬉しかったな)


 早田が個人的な事情を教えてくれたことも、小姫に興味を持って踏み込んだ話をしてくれたことも、小姫にとっては珍しく、嬉しいことだった。

 乙彦のことをそのまま話すのは難しいが、一般的な恋愛話として相談したり、愚痴を言い合ったりすることはできるかもしれない。


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