4.
「――まあ、当分の間、ということで」
弥恵がにっこり笑いながら、小姫と乙彦の手を取った。
婚約したといっても、しばらくは妖力の流れが不安定になるかもしれない。それに、結婚までに、二人がもっと歩み寄って仲良くならなければ。
弥恵にそう説得され、登下校中は乙彦と手をつなぐことになってしまったのだ。
(……知り合いがいたら外す。絶対に、外す!)
いつもより早い時間帯に出たから、うまくいけば生徒たちに会わずに済むかもしれない。それを願いながら、乙彦の手に意識を向けた。
乙彦の爪は鋭く、気を付けてくれてはいるようだが、ぶつかるとちょっと痛い。しかも、血が通っているのか不安になるほど冷たくて、人との違いを改めて認識させられる。
「あのね、私の結婚相手は、私をお姫様みたいに大切にしてくれる、優しくてかっこいい王子様みたいな人じゃなきゃだめなの。それに、プロポーズは情熱的に! 星空の見えるレストランで! もちろん、雰囲気もとても大事ね。それで後は――」
小姫は一生懸命力説した。将来の王子様候補にも、乙彦本人にも、誤解されるような真似はしたくない。
小姫には、父親がいない。物心つく前に、病気で亡くなったと聞いた。その分、弥恵が大切に育ててくれたから、父親を恋しく思うようなことはなかったが、彼女からその話を聞くにつれ、自分のパートナーに対する憧れが募っていった。
弥恵たちは、村でも評判の美男美女のカップルだったらしい。気遣いの出来る優しい夫だったと、弥恵からも聞いていた。その話に、小姫の好みのあれやこれやを詰め込んだのが、乙彦に語った理想像である。
しかし、小姫がつくりあげた渾身のそれを、乙彦は一笑に付した。
「また、小砂利が何か言っているのです。こんなちんちくりんのくせに生意気なのです」
そう言って、扇子で小姫の頭をぺしぺしと叩いてくる。小姫は目を吊り上げると、その扇子を振り払い、ずれたヘアピンの位置を直した。
「――だから、こういう、乱暴で失礼なあんたみたいなやつは問題外なの! 大体、あんた、人に妖力を分け与えられるほど大物なの?」
「さあ。力でいえば、中の上くらいだと思うのです」
「なんだ。大したことないじゃない」
小姫は自分の成績が中の上であることを棚に上げて言い捨てた。
「ですが、小砂利を助けるくらいはできるのです」
「う……」
即座に言い返され、小姫は言葉に詰まった。実際、こうして歩いていられるのは乙彦のおかげだ。文句を言える立場ではない。
だが、ふと疑問に思って、小姫は尋ねた。
「ところで、なんであんたは助けてくれるわけ?」
「はい?」
「お母さんが言ってたの。最近は人間と妖怪の仲が悪いから、協力してくれる妖怪なんていないって。なのに、なんで乙彦はここまでしてくれるの?」
高校への送り迎え。異種族との結婚。妖怪の思考回路はよくわからないが、なかなか面倒なことだと思われる。
そう言うと、乙彦は首をかしげてちらりと横目で小姫を見た。
「母上様から聞いていないのです?」
「? 何を?」
「あなたが、私の命の恩人だからなのです」
「え……」
驚いて彼を見つめると、乙彦がそっと髪に触れてきた。髪から顔へ、なぞるように手をずらし、頬に添えると小さく笑う。
「……ふ。温かいのです」
「…………」
一瞬だけ、乙彦のまとう空気が緩んだ気がした。目が優しく細められ、小姫に触れられるのを喜んでいるようにも見える。
乙彦と会うのは、これが初めてだと思っていた。しかし――。
「……ねえ。乙彦って――」
「ほら、着いたのです」
詳しく問いただそうとしたとき、乙彦がパッと手を離した。気が付けばそこは正門の前で、登校中の生徒たちの姿もちらほら見える。
「あ、ありがと――」
小姫がお礼を言おうとして横を見ると、すでに乙彦の姿はなかった。それから下校の時間になって校門から出るまで、彼は姿を見せなかった。