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妖怪村の異類婚姻譚  作者: 鍵の番人
第二章 花と光と、小さな熱
36/81

23.

 五月と別れてから、乙彦捜索を再開した小姫だったが、ようやく気配を感じ取れたのはそれから三十分以上も経ってからだった。

 さらりと揺れる笹飾りのわずかな音。それを聞き取った小姫は、足の痛みを我慢しながら一目散に駆けだした。


(やっと……、やっと見つけた! 絶対にそこから動かないで――! って、あれっ!?)


 頭の中に疑問符を浮かべつつ、小姫は太い木の幹に向かってジャンプした。両手両足を使って軽々と身を引き上げ、あっという間に枝の上にたどり着く。


 ――灯台下暗し。


 そんな言葉が頭をよぎった。なぜならば、乙彦は、さっきと同じ木の枝に座っていたのだから。

 花火も終わり、人々が一斉に会場の出口へと歩き出した。枝の下には、人が川のように流れているのが見える。彼らに気づかれないよう、小姫は足音を立てずに乙彦に近づいた。


 幹に背中をもたれさせている乙彦に、逃げようという素振りは見られなかった。それどころか、ちらりと小姫を見ただけですぐに目をそらした。いぶかしく思いさらに近づいたところで、その顔色の悪さに気づく。


「――乙彦……!? どうしたの、どこか悪いの!?」


 心配して手を伸ばすと、乙彦はそれを払いのけた。


「……何でもないのです」

「何でもないわけないじゃない!」


 けがはしていないようだが、動きが鈍く、だるそうに見える。もう一度問いかけると、億劫(おっくう)そうに口を開いた。


「……本当に、何でもないのです。ヒメをその姿にするのに、力を使いすぎただけなのです。……しばらく休めば、動けるようになるのです」

「……は、はあ!?」


 小姫は力が抜けて、枝の上に尻もちをついた。


(え……ていうことは何? 私に耳と尻尾をはやしたせいで、こんなにぐったりしてるってこと?)


「ば……っ、馬っ鹿じゃないの!? そんなことのために、あんた……、一体何やってるのよ!? ほんと、意味わかんないんだけど!」


 こんな姿にされて、散々走り回らされて。足の指は痛いし足全体が筋肉痛だし、誰かに見られたりしないかと気が気ではなかったし。

 乙彦に会ったらなじり倒してやろうと思っていたのに、自分より弱っているなんて卑怯すぎる。しかも、そんな途方に暮れたみたいな顔をされたら、これ以上怒りをぶつけることなんてできやしない。


「ほんと、何がしたいのよ乙彦……」


 途方に暮れたいのはこっちの方だ。いつものようにふてぶてしくいてくれないと、調子が狂ってしまうではないか。


「……そんなの、私だってわからないのです」


 しかし、乙彦がそんなことを言って、苦々しげに小姫をにらみつける。


「……ですが、これだけは確かなのです。あなたが、あの砂利と逢引をしたりするせいなのです」

「あっ、逢引……っ!? へ、変な言い方しないでよ! ちょっと会って話したくらいで、私、別に――」


 小姫は目を白黒させて乙彦を見つめた。彼はまた小姫から目をそらし、ふいと横を向く。

 それはまるで拗ねているようで。かやぼしたちに愛想をつかされたのではないかと言った時の女神の表情に似ていて。


 ――ふいに、胸が苦しくなった。


 嫉妬に()られて我を失い、自分らしくないことをしてしまう。それでも、小姫を本当に傷つけることはできなくて……。

 乙彦もきっと、自分の感情に振り回されている。


(それは、自分が婚約者だっていうプライド? それか、子どもっぽい独占欲?)


 それとも――……。

 小姫は、唇をかんでうつむいた。


「――ねえ、それは、恋愛感情とは違うの……?」


 震える声で問いかける。しかし、乙彦は逡巡(しゅんじゅん)することなく、首を横に振った。


「ですから、そんなのわからないのです。ヒメこそ、どうしてそこまでこだわるのです?」

「だって……。そんなの、当然じゃない」


 小姫は胸の苦しさを抑えようと、胸元へ手をやった。


「私の気持ちに、同じものを乙彦が返してくれなかったら悲しいよ。乙彦の気持ちに、私が同じものを返せなかったら苦しいよ……」

「…………。やっぱり、私にはわからないのです……」


 はあ、と苦しそうに乙彦が息を吐いた。ハッとして、小姫は顔を上げた。


 花火は終わり、会場の片付けも始まっている。こんなに光量が乏しくても、猫の目はごまかせなかった。乙彦はまだ、辛そうな表情をしている。

 小姫に妖力を注ぎ込んだせいで具合が悪くなったというなら、その逆をすれば回復するのだろう。


 ――乙彦がしたのと逆というと……。


 ポン、と頭の中に浮かんだのは、つい先ほどここで行われた一方的なあれのことで。


(だっ――、ダメダメダメダメ、絶――っ対に、あれはダメ!)


 さっきのあれと同じことは絶対にできない。出てくるな! と思っているのに次々とよみがえる記憶を片っ端から手で振り払って、必死に頭を回転させた。


(あ……っ、そ、そっか!)


 頭の中にかすかに残る記憶の断片を手繰(たぐ)り寄せ、小姫は深く考える間もなく乙彦の胸に体当たりをくらわす。


「――うっ!」

「た、確か、少しでもどこかに触れていれば良かったわよね?」


 真っ赤になった顔を隠しながら、ぐいぐいと乙彦の胸に半身を押し付ける。口移しでなくても、こうしていれば彼は妖力を吸収できる、はずだ。

 だが、乙彦は左腕で小姫を抱きすくめると、もう片方の手を頬に添えて顔を上げさせようとした。


「ち、違――っ、このまま妖力を吸収して!」

「……ですが、これだと、どのくらい時間がかかるかわからないのです。さっきと同じやり方の方が、手っ取り早――」

「今は手っ取り早いの禁止!」


 小姫のテコでも動かないという意志を感じたのか、乙彦は仕方なさそうに力を抜いた。代わりに、態勢を変えて、小姫を腕の中にすっぽりと閉じこめる。


「……っ」


 小姫にとっては、これだけでも赤面ものだった。思わず呼吸を止めてしまったが、緊張していると乙彦に思われるのもしゃくだ。あえて何度も息を吐き、何でもないふりを装った。

 一方、乙彦の鼓動は落ち着いていて揺らぎがなかった。時間が経つにつれて、自分から胸に飛び込んだ形になった小姫の動揺が広がっていくのに比べて、乙彦は平静そのままの様子だ。小姫は次第に不安になっていく。


(……もしかして、さすがに面倒くさいって思われた? 呆れられた?)


 いつもならからかってくるはずの乙彦がずっと無言なので、小姫は気が気でなかった。

 何を考えているのだろうか。まだ、怒っているのだろうか。

 沈黙に耐えきれなくなって一度体を離そうとしたとき、乙彦がぽつりと言った。


「……こうしていると、落ち着くのです」

「……え?」

「あなたの側は、心地が良いのです」


 つい顔を上げると、視線を落としている乙彦と目が合った。小姫の頭に手を移動し、大ぶりの花や鮮やかなリボンで構成された髪飾りに触れる。

 まさか、外そうとしているのか。

 小姫はぎくりとして体をこわばらせたが、長い指はそれ以上飾りを触ることなく、髪をすくようにして頭を撫ぜ始めた。


「……私はこうして、近くで見守っていたいだけなのです。それでは、いけないのですか?」

「――……」


 乙彦のまっすぐな瞳に心の奥底まで貫かれそうになり、小姫は慌てて視線を下げた。


「……うん、ダメ。それだけじゃ、ダメ」


 頭を下げた拍子に指が猫耳に触れて、ぴくっと体が反応する。乙彦が焦って、他の場所へ手を移動させたのがわかった。


(そういえば、猫の耳って、感情に素直だよね……)


 このままでは乙彦に気持ちが筒抜けになってしまう。早く人間の耳に戻ってほしいと願ったが、それはそれで真っ赤になっているだろうし、どっちでも変わらないのかもしれない。


「……、ヒメは本当に面倒くさいのです。わがままもいい加減にしてほしいのです」


 憎まれ口をたたきながら、髪を()ぜる手は優しい。とがった爪で小姫を傷つけないように、肌に触れないように、そっと、そぅっと、髪の流れに沿って指を動かしていく。その指の感触にドキドキしつつ、小姫は思う。


 もしかしたら、乙彦も、少しずつ変わってきているのかもしれない。これからもっと同じ時を重ねていけば、いつか、お互いの気持ちを通じ合わせることができるのでは――……、そう思ってしまうのは、ただの願望だろうか。

 でも、それでも――……、もう少し、結論を出すのは先延ばしにしてもいいのかもしれない。

 少し落ち着いた小姫は、ようやく、本来の目的を思い出した。


「あの……、乙彦?」

「はい」

「今日、信じてくれて……ありがとう」

「……。私は、特に何もしてないのです」

「嘘ばっかり。いつも……、ムジナのことでだって、私を助けてくれたじゃない」

「…………。ヒメが、花火玉を特定できたことは、様子を見ていて分かったのです。ただ、どれがその玉なのか確信は持てなかったので、合図を待って撃ち落としただけなのです」


 居心地悪そうに言うのがおかしくて、小姫は顔を隠したまま声を出さずに笑う。

 素直に礼を受け取ってくれないのもいつものことだ。自分は直截(ちょくせつ)的なことばかり言うくせに、逆の立場になると困惑しているように見える。


「……ねえ。私の先祖に、猫又がいるって言ったじゃない」

「……ええ」

「それって、その猫又だったご先祖さまが、人間のことを好きになったってことよね?」

「…………」


 乙彦は一瞬考えるかのように手を止め、また撫ぜるのを再開した。


「……そうとも言えないのです。その妖怪が何を考えていたかなんて、今さら知ることは――」

「でも! その可能性はあるわよね!」

「……それは……そうでしょうが……」


 ごり押しされる形で、乙彦がしぶしぶ頷いた。それに勇気づけられて、小姫は思い切って言葉をつづけた。


「だったら、私、待ってるから……。五月君じゃなくて、乙彦を――」

「――……」


 乙彦は黙ってしまった。しばらく返事を待ったが、何も言ってくれない。


(……一応、告白のつもりなんだけど……)


 うまく、伝わらなかったのだろうか。だが、もう一度言い直すことなんてできやしない。

 顔から火が出そうだ。どんどん熱くなる頬を冷ましたくて、冷たい乙彦の体にこすりつける。


(うう……、いつまで、この状態なんだろ……)


 本当なら走って逃げたいくらいなのに。自分で選択したこととはいえ、ずっと抱きしめられているのも相当に恥ずかしい。


 髪に触れる乙彦の指に、意識が集中する。

 女神につけられた大仰(おおぎょう)な髪飾り。実はそこには、乙彦にもらった笹飾りが紛れ込ませてあるのだ。彼女は不本意そうだったが、かやぼしたちにもたしなめられて、仕方なく了承してくれた。といっても、ほぼ見えない状態でしか許可してくれなかったのだが。

 それで良かったのかもしれない。この状態で見つけられたら、恥ずかしくて死にそうだ。

 だが、もし、発見されてしまったら、問答無用で逃げだそう。耳があろうがなかろうが、妖怪の底力を発揮して、()物狂(ものぐる)いで家まで逃げよう。


 ――しかし、そんな決意が溶けそうになるほど、乙彦の手つきは繊細で、腕の中は心地よい。


 早く解放してほしいような、ずっとこうしていたいような、相反する想いに心をかき乱されながら、乙彦の腕の中で必死に呼吸を押し殺していた。


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