19.
玉は運よく、浅瀬にある岩と岩の間に挟まっていた。火の気が残っていないだろうかと慎重に手を伸ばすと、指が触れる寸前に亀裂からパカッと割れて、何十もの光の粒が放射状に飛び出した。
「――わっ!?」
まるで小型の打ち上げ花火だ。思わず目をかばった小姫が、そっと隙間から様子をうかがう。
小さな光たちは小姫にぶつかることなく、ゆったりとした動きできゃわきゃわと騒いでいる。やがて、一つ一つ、空中に並び始めた。それは一定の間隔を空けて線のようなものを二本作り、二メートルほどの間隔をあけて隣り合わせになった。
「あ……これって……、光る道……?」
道はどんどん長くなっていく。隣村へとつながる道は、川の向こうへと伸びていき、もう先が見えないほどだ。
(もう一方の方は、お祭りの中心部――会場へ……。やっぱり、これがかがり様の……?)
小姫は、祭り会場へと伸び続ける道の先端を追いかけた。まっすぐ会場へ向かうのかと思いきや、光る道は途中でぐにゃりと折れ曲がり、支流に架かる橋を経由していく。
いつか乙彦に話したほたる橋。会場とは違って明かりも飾りも乏しいそこが、かやぼしの光で照らされ、ライトアップされている。
人工的な光に邪魔されないから、妖怪の放つ淡い光が、普通の人間の目にも見えるのだろうか。
息を整えるために地面に視線を落としたとき、頭上を一陣の風が通り過ぎた。同時に、目を開けていられないほど強烈な光が放たれ、目を閉じる。
奇妙に思いながらそっと目を開けるとそこには、輿に乗った美しい女性がいて、小姫をにらみつけていた。
「――貴様か。調停者の娘とやらは」
「えっ……?」
知らない人だ。いや、人ではない。ただの人間が、浮かぶ神輿に乗っているわけがない。
「なんじゃ、その間抜けな顔は。頭も下げないとは、やはり無礼な娘だ。……ん? 貴様、ヘタな目くらましがかかっておるの」
彼女は虫でも追い払うかのように、小姫の顔の辺りで手をひらひらさせた。小姫は、状況についていけずにぽかんと口を開けたままだ。
濡れ羽色の長い髪をした気品のある女性。鮮やかな色彩の豪奢な着物を何枚も重ねている。一見するとお姫様のようないでたちだが、彼女の妖艶さと気だるげな雰囲気が、それをぶち壊していた。
(まさか……かがり様?)
呆けた様子の小姫を見て、女性は眉間にしわを寄せた。「いつまでそんな顔をしておる」と叱咤され、慌てて口元を引き締める。
「ああ、不覚じゃ不覚。こんな間抜けの世話になるとは。見た目はまあまあだが、無思慮そのままの顔つきをしておる。こんなのに礼を言ったら、我の格が下がるのではないか?」
そう言って、胡坐を組み、供えられたお神酒やお供え物をかっ喰らう。浮かんでいるように見えるのは、下に光る石たちが担いでいるからだろう。悪口ではなく、彼らに向かって素直に疑問を投げかけている様子だ。……いや、悪口にしか聞こえないが。
(確かに、気位がめちゃくちゃ高そうね……)
小姫は顔を引きつらせながら、「お役に立てたのなら幸いです……」と辛うじて返答した。
「……ほう? 少しはわかっておるではないか。……こやつらは知能は低いが、自力で移動できない我には必要な奴らでな、特別に力を与えてやったのだ。なぜか祭りが好きで、ついでに人間にも好んで寄って行ってしまう。どうやら、火薬だの星だの話しているのが聞こえて、自分たちが呼ばれたと勘違いしたらしい。……まあ、大体、貴様の考えた通りというわけだ」
「……はあ」
話は終わったのだろうか。逃げ出したい気持ちがハンパない。小姫が場を辞するタイミングをうかがっていると、輿の下でかやぼしたちがわいわいと騒ぎだした。女神が、見るからに嫌そうな顔をする。
「……わかっておる。だからこうして礼を言って――なに? 礼になってない? たわけ! 貴様らも礼など言っていないではないか! ……はあ? だからこそ言えって……。……貴様ら、主人を何だと思って……」
女神は端正な眉をしかめ、これみよがしにため息をついた。ひやひやしながら見守っていた小姫は、それを見て首をひねる。
かがり様に対する印象が少し変わっていた。これまでは、見下していた相手から文句を言われたら、すぐにかんしゃくを起こしそうな感じだった。しかし、やれやれという呆れたようなため息は、先ほど小姫に罰を与えようとした神様のそれとは明らかに違う。
しばらくの話し合いの末、女神はようやくこちらを向いた。
「あー、こやつらが言っておるんだが……。おかげで助かったと、名前が聞こえたような気がして一か八か全力で光ったのを、見つけてくれて感謝すると……。……はあ。どうやら、お互いの声は聞こえていなかったらしいな。こやつらの言葉は貴様にはわからないようだし。……ああもううるさい! 我からも礼を言う! ……面倒をかけたな!」
「い、いえ……」
小姫は噴き出しそうになるのを、どうにかしてこらえた。横暴で恐ろしく、ろくでもない神様に思えたが、実際はそこまででもないのかもしれない。
だが、それなら、なぜ行方不明になった時に探そうとしなかったのだろう。そう思ったのが顔に出てしまったのか、女神がむっとした表情になり、目をそらした。
「……さすがに、愛想をつかされたのかと思ったのだ……」
(……え?)
そっぽを向いた頬が少し赤くなっているように見えるのは、光の加減だろうか。
輿の下で光る石たちが、さっきより高い声できゃわきゃわと騒ぎ始めた。女神が「うるさい!」「ちょっと黙れ!」と怒鳴っているが、本気ではなさそうだ。
(もしかして、見捨てられたと思って、拗ねてたってこと? 前、岩の神様にも面倒くさがられたとか言ってたし……。だからやけ酒して、青峰さんを勧誘しようと――?)
そうだとしたら、はた迷惑なのは一緒だが、人間臭くてちょっとだけ親しみを感じてしまう。小姫は無言を貫いていたが、女神が「その顔をやめろ」と言って、咳ばらいをした。
「あー、それでだな……。まあ、こうして、祭りにも間に合ってしまったしな、例年通り、この村に祝福を授けるのもやぶさかではない。ありがたく思え」
「……はあ」
小姫が反応に困り、気の抜けた返事をすると、気位の高い神が横目で睨みつけてきた。慌てて「ありがとうございます」と付け加える。
「最初からそう言え! 貴様はやはり、頭が高すぎる。調停者は神に対してどうあるべきか、貴様の母親も今日――いや明日中には戻るだろうから、そのとき心構えを聞いてみろ。――それで、貴様はどうする」
次の調停者は私ではない――そう訂正しようとしていた小姫が、きょとんとする。
「……どうする、とは?」
「わざわざ言わせるな。我が橋を渡るのを、邪魔にならぬよう隅っこで傅いて待っていたのだろう。ということは、貴様にも個人的な願いがあるということだ。ほれ、遠慮せず言ってみよ。相手の男はどこだ」
「……えっ、男?」
小姫は驚いて目を瞬いた。
そういえば、ほたる橋の言い伝えのことを忘れていた。光る石たちが輪郭をなぞり、蛍で縁取られたかのように闇に浮かび上がる橋。ここで告白された者は、幸せになれる――。
小姫は慌てて否定の仕草をした。
「いえ、あの、私はそういうつもりでは……!」
「なに? 違うというのか? 我は結びの神だ。人の縁、地の縁、金や物との縁。村と村の結びつきを強くしたりな。しかし、貴様も年頃の娘だ。縁結びをしてほしい男の一人や二人はいるだろう」
縁結びと聞いて、頭の中で勝手に像が結ばれる。その顔を必死で追い払い、小姫は首を横に振った。
「い……っ、いえ! 私は特にそういう人は! っていうか、縁だけならもう充分といいますか!」
しかし、美しい女神は納得しなかった。
「なんだ、その顔、やっぱりおるのではないか。神に嘘をつくつもりか? 正直に申してみよ」
この女神様、押しが強すぎるんですけど。
小姫は困り果てて、しどろもどろに説明を始めた。
「うう……、で、でも、嘘じゃなくてですね……、本当に結構で……。よ、ようやくわかったところなんです。まだ何も考えてないけど……。だからもう、縁はいらないって言いますか! えっと、もうちょっと自分で考えてから……。だからえっと、今はもうほんとに……!」
「……何を言っているかわからぬ。はあ。仕方ないのう」
女神はやはり、気が短かかった。一分も待てずにそう告げると、だるそうに右手を振って、ぱちんと指を鳴らした。すると、赤い火花が散って、大量の煙が局所的に発生した。つまりは、小姫が煙に囲まれて見えなくなった。
「――え? ひ、ひゃあ!?」
あまりにすごい煙に目をつぶる。しばらくしてから目を開けると、煙の密度は低くなり、そして小姫の服装が変わっていた。
紫がかった赤い色を基調とした生地に、大輪のシャクヤクが咲き誇った浴衣。おそろいの柄の巾着と、鼻緒のついた漆塗りの下駄。ついでに、髪は複雑に編まれ、結い上げられている。
ご丁寧に鏡を見せられ、小姫は戸惑いながらも自分の姿を確かめた。
きれいだが、派手だ。彼女の趣味なのだと思うが、うろたえてしまうほど派手だった。
「か、かがり様……これは……?」
「よし、それで、意中の相手を誘惑して来よ」
「ええーっ!?」
小姫はめまいがしてよろけた。なんてことを言い出すのかこの女神は。
「……ふん。なんてな。正直、我はどちらでもよい。貴様の好きにしろ。気が乗らなければ、何もせずに家に帰ればよい。服は家に着いた時点で元に戻るようにしてやろう」
「……はあ」
(……よ、要するに、どうでもいいのかな……?)
振り回されすぎて、頭が飽和状態だ。小姫は涙目になりながら思った。彼女にずっと付き合わされていた青峰の苦労がしのばれる。これ以上この神様と話をしていたら、再び礼儀をどこかへ置き忘れてしまいそうだ。
「ん? おや、その飾りは合わぬのう。粗末すぎる。外して、こっちの簪をつけよ」
「え――」
女神の視線の先を察した小姫は、ハッとして前髪を両手で隠した。
「こ、これは、いいんです、このままで……!」
「む。なんぞ妖力で作られておるな。生意気だ。外してくれよう」
「え、ちょ……っ。か、かがり様ーーっ!?」
傍若無人な神へのなけなしの敬意は、あっという間に霧散した。