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妖怪村の異類婚姻譚  作者: 鍵の番人
第二章 花と光と、小さな熱
29/81

16.

 隣村で何が起こっているのだろう。

 気にはなったが、小姫には他にやるべきことがあった。妖怪のことは弥恵たちの方が専門家だと自分に言い聞かせ、スマホをポケットにしまう。もう、祭りが始まるまで時間がない。小姫は気合を入れ直して、川原に向かうことにした。


 打ち上げ現場は、祭り会場の少し先だ。川に沿って歩いて行き、橋を渡ったところにある。外に出ると、抜けるような青空と、木の葉の濃い緑色、そして透明な川の流れが、小姫の重苦しい気分をさらってくれた。わずかながら、心配や不安も水と一緒に押し流されたかのようだ。

 現場に近づくと、空気が変わった。大気の暑さとは違う目に見えない活気が漂ってくる。それに影響されたのか、川原に着く頃には、小姫のやる気も少し回復していた。


 周囲に木や建物のない、開けた川原。そこでは、すでに花火職人たちが設置作業を始めていた。銀色に光る大きな筒を運び、角材や砂袋で組み立てた足場にそれを固定していく。大きな花火大会では何万発もの花火を上げると聞くが、ここ日無村では、四号や五号の小ぶりのものを千発上げるのがせいぜいだった。

 筒の設置の仕方は均一ではなく、一つ一つ整列させたり、仕切りがある大きな箱のようなものの中に、小さな筒を詰め込んでセットしたりするものもある。打ち上げのプログラムに合わせて変えているのだろう。ただ並べて点火すればいいというわけではないようだ。


 花火が上がり、夜空に咲くのは一瞬だ。しかし、そのたった一瞬のために、彼らは今日まで長い時間をかけて地道な作業を重ねてきたのだ。

 小姫に今できるのは、彼らの努力が無駄にならないよう、そして誰も犠牲にならないよう、最後まであがくことだけだ。


(……でも、そうは言っても、どうしたら……。あの筒の中に花火玉を入れられたら、もう取り出すのは難しいわよね……?)


 その前に見つけ出したいところだが、肝心の花火玉はどこに用意されているのだろうか。小姫がきょろきょろしながら土手を下りていくと、通りがかった職人に注意を受けた。見学させてくれるよう頼んでも、すげなく断られてしまう。


「だめだめ。いくらあんただろうと、今日は立ち入り禁止だよ。危ないし、何かあったらこっちの責任問題になるからな」


もはや馴染(なじ)みになった責任者を見つけて頭を下げたが、それも拒否されてしまった。


(近づくこともできないんじゃ、何もできないじゃん……)


 許可してくれないなら潜り込むしかない。ここは工場と違って屋外だ。いくらでも潜り込む余地はある。そう思い、上流や下流、果ては対岸から死角はないかと探ってみた。

 だが、体力を消耗するばかりで、入り込む隙は見当たらない。


 そもそも花火の打ち上げは、周りに邪魔な物のないだだっぴろい空間でやるものだ。つまり――呆れるほど見晴らしがいい。首尾よく紛れ込めても、筒に近寄った時点でアウトである。登ってきた太陽にじりじりと肌を焼かれ、動き回って体力が底をついた小姫は、土手の上でいったん休憩することにした。

 このままうろついていても意味はなさそうだ。せめて、もう少し人の目が減れば監視も手薄になるのでは……。


 そう期待して昼まで待った。昼食の時間になれば、みんな、どこかに出かけるかもしれない。祭り会場の屋台を見に行く者もいるだろう。コンビニは少し遠いので、車に乗って行くかもしれない。

 そう思ったのだが、小姫の目論見(もくろみ)は外れた。数人は車で出かけたが、残りは設置場所のすぐそばで手弁当を広げたのだ。冷房を効かせて車中で食べている者もいる。どちらにしろ、彼らの目は川原に向いていて、小姫一人でも紛れ込むのは難しそうだ。


(ああ、もう! 誰かお腹痛くなったりトイレ行きたくなったりして、みんなで一緒に行こうとかならないかな!)


 彼らはあっという間に食事を終えたが、だらだらとおしゃべりしていて動く気配はない。一人がどこかへ行っても、必ず誰かは川原が見える位置に陣取っている。木陰でコンビニ袋を広げていた小姫の祈りは届かず、時間だけが無為(むい)に過ぎていった。


 ただ待っているだけでも汗が止まらず、コンビニで買ってきたスポーツドリンクは一瞬のうちに飲み干してしまった。このままでは、小姫の方が先に()を上げそうだ。職人たちにじっとりとした視線を投げながら、自販機で補充してきた冷えたペットボトルへ手を伸ばす。しかし、その手は空を切った。


(あれ?)


 置いた場所を勘違いしていたかと思い振り向くと、そこにはペットボトル――ではなく、それをがぶ飲みしているもさもさした獣がいた。


 ……茶色い毛に包まれたそれと、ばっちりと目が合った。


「――わあっ! た、たぬき!?」

「おお。また見つかってしもうた」


 両手で人間のようにペットボトルをつかんでいたその生き物は、人間の言葉をしゃべった。小姫は口をあんぐりさせ、指さした手を震わせる。


「た……っ、た……っ、たぬきがしゃべ――……っ! ――あ、そうか、妖怪か……」


 突然だったので動転してしまったが、そういえば妖怪とはこういうものだった。乙彦とは違い、見た目がまるっきり獣だったため、気づくのが遅れた。

 一気にペットボトルを半分ほどあおった妖怪は、「はい」とでもいうように、残りを小姫に差し出した。小姫は顔をしかめ、無言で突き返す。得体(えたい)のしれないものが口をつけたペットボトルなど、怖くて飲む気にはなれなかった。


「わしはたぬきではない。ムジナじゃ」


 妖怪はペットボトルを脇に抱えると、胸を張って先ほどの(げん)を訂正した。

 小姫は改めてそれを見やる。ムジナが何かは知らないが、確かに狸ではないようだ。狸の鼻と違ってとんがっているし、どちらかというと(ばく)やアリクイに似ているかもしれない。


「あれ? ムジナって、どこかで聞いたことあるような……」


 えーと、えーとと、頭をひねる。聞いたのは、わりと最近だ。その時は、特に何も思わず流してしまった気がするが、固有名詞かと思ったら動物の名前だったとは……。


「笹飾りをつけた人間の娘、というのはあんたのことかのう」


 考え込んでいる小姫を無視して、ムジナはマイペースに尋ねてくる。「ちょっと待って」と言おうとして、ムジナの視線が前髪のある一点を示していることに気が付いた。小姫は慌てて前髪を手で隠す。


「えっ? えーと、これ!? これはただの何の変哲(へんてつ)もないヘアピンだけど!? これがどうかしたの!?」


 どこにでも……あるとは言わないが、それほど目立つものではないはずだ。すぐ手に取れる場所に置いていたからついつけてきただけ、他意はない、と言い訳をする小姫を、ムジナは不思議なものを見るような目で見つめた。


「……はあ。まあ、よくわからんが、あんたにちょっと用があってのう」

「へ? 私?」

「まあのう。たぶん、あんたじゃろう? わしのことを探してるのって」

「え……っ?」


 小姫は瞬きをしてから、きょとんとしたムジナの目を凝視した。


「もしかして、ムジナって――、まさか、この近くで閉じ込められた妖怪を見たっていうのは、あなたなの!?」

「そう。わしじゃ」

「ええーーっ!?」


 思わず大声をあげてしまい、小姫は慌てて口を閉じた。休憩が終わって集まってきた職人たちが、一斉にこちらに視線を向ける。小姫は身を縮めてぺこぺこ頭を下げると、ムジナをガシッと捕まえて、一目散にその場を後にした。


「――こ、ここなら、向こうから見えないよね……」


 力を振り絞ってサウナのような熱気の中を走り切り、身を潜めたのは対岸の林の中だ。

 日光を完全に遮っていて、昼間なのに真っ暗である。その代わり、日向の蒸し暑さが嘘のように涼しい。間には川が流れているし、ここなら普通に話していても聞かれる心配はないだろう。小姫は大木の幹に背中を預け、ムジナに話を促した。


「わしにとっては、つい昨日のことなんじゃがのう……」


 昨日と言いながら、遠くを見るようなまなざしをしている。ムジナは大事そうにペットボトルを抱え直すと、気だるそうに口を開いた。


「あのときは確か、隣の村からずっと飲んでたんじゃなかったかのう。普段はもっと、人間のいないところで飲んでるんじゃが。……何しろやつらときたら、わしを見つけると、石だのなんだのぶつけてきたり、いきなり殴りかかってきたりするじゃろう? だから――、ああ、別にあんたを責めてるわけじゃない」


 ムジナはペットボトルをあおり、「ああ、うまい」と息をつくと、また、ぽつりぽつりと話し出した。


「ええと、ちびちび飲みながら川原をいい気分で歩いてきて、やがてこの辺りまできたんじゃな。四角い建物からは光が漏れていて、空が透き通るように暗くて、月は白くて、ふちが黄色ににじんだような感じでのう。川の流れも穏やかじゃった。それで、まあるい月が水に写っているのを見ながらこう、岩場の影でまた飲み始めたわけよ。そしたらのう、どこからか、わいわいきゃあきゃあ、大勢の、小さい声が聞こえてきたんじゃな。ああ、そういえば今年もそんな時期か、祭りが近いから賑やかなんじゃなあと思って振り返ってみたら、なんかぼやーっとしたものが、いっぱい浮かんでいてのう。あの四角い建物の中に吸い込まれていったんじゃ」


 最初は、さすがに飲みすぎたせいで幻覚でも見たかと思ったらしい。だが、確認してみようと建物をこっそりと覗き込むと、座って何かをしている人間の背中がはっきり見えた。逆に、うっすらと光るものたちは人間には見えないらしく、それがくるくる男の周囲を回っていても気づかない。


 光はやがて、男の正面側に周り、手元に向かってなだれ込んだ。一粒も見えなくなったところで、男がやおら立ち上がった。その場には光るものは見当たらず、男の手には握り飯大の丸い玉が一つ、乗っているだけだった。


「まあ、わしが覚えているのはそれだけじゃ。光がどこへ行ったのか、どうなったのかは知らん。さすがに不思議じゃったから、寝床に向かう途中に出会ったイタチとか鬼火とかに聞いてみたんじゃがのう。みな、首を傾げるばかりじゃった……」


 話は一区切りついたようで、ムジナは遠くを見て何やら頷いている。話の腰を折るまいと黙っていた小姫は、そこでようやく口を開いた。


「それ、確かな話なのよね? 光る石とか、たくさんいたとか」


 期待以上に詳細な証言だ。ここまでしっかり記憶しているなら、もっと具体的なことも聞き出せるかもしれない。

 小姫は勢い込んで、質問を重ねた。


 ――しかし。


「……と、いうのが一年前の話じゃ」


 何でもないことのようにそんな言葉を付け足され、小姫は仰天して大声を上げた。


「――は!? 一ね――……!? 一か月前の話じゃないの!?」

「一か月じゃと? 馬鹿をいえ。わしは、祭りの日だけ起きるようにしとるんじゃ。その日なら、おおっぴらに酒が飲める。ただで酒をふるまうところもあるくらいじゃからのう。この村で前回祭りがあったのは一年前じゃろ? なら、この間起きたのは一年前――去年のはずじゃ」

「なっ……――」


 小姫は声を失った。

 それでは話が違う。違いすぎる。今の話が本当だとしたら、すでに手遅れということではないか。

 しかも、一年も前に。


(嘘…………)


 ムジナは蒼白になった小姫に構わず、ペットボトルに再び口をつけた。


「うーむ。しかしまた、随分と水みたいな酒じゃのう。全然飲んだ気がせんわ」


 小姫はのろのろと口を開く。


「……そりゃそうでしょ。だってそれ、お酒じゃなくてスポーツドリンクだもの」

「な、なんじゃと!?」


 今度はムジナが仰天して飛び上がった。


「酒じゃない。酒じゃないじゃと! あんた、わしに……、酒じゃないものを飲ませたのか!?」

「や、だって私、未成年だし……、っていうか、勝手に飲んでおいて文句言わないでよ」

「はあ……、一年待ったのに……、一年ぶりの酒がこれ……、いや、果たして一年経ったのか?」

「……はあ?」


 ムジナの独り言に、小姫は思わず突っ込んだ。


「一年前だって、今、あなたが自分で言ったんじゃない!」

「いや、もっと最近に飲んだ気がするのう。うむ。舌が覚えておる。どこかの祭りの振る舞い酒で……、甘いがあっさりしたいい酒でのう。まるで昨日のこと……、いや、本当に昨日かもしれん」

「…………」


 小姫はうすうす気が付いた。


(こいつ……ただの酔っぱらいか!)


 酒を飲んでいない時はずっと寝ているようだし、記憶もあやふやに違いない。自信だけはあるようだが、どの記憶が真実なのか、本人にもわかっていない様子だ。

 どおりで、枕返しの話もあいまいなはずである。今まで見つけられなかったのも、人間から身を隠していたというより、寝こけていたからだと思われる。納得はしたが……、目撃者を見つけたせいで話に信憑性が無くなるなんて、どういうことなのだろう。


「おお、そうじゃ、国中を周って祭りのある所を渡り歩いて行けば、一年中酒を飲み続けられるんじゃないかと思うてのう、さっそく実践したんじゃった。……はて、あれは一年前か、十年前か……。そういえば、隣村にも行ったのう」


 ムジナはぶつぶつと独り言を続けているが、小姫はもう構う気にもなれなかった。


「あの光も、どこか他でも見た記憶がある。……そうじゃ、あれは……たしか隣村だったか……。おお、そうそう。あの光に導かれるようにしてこの村に来たんじゃった。飲みながら、川原沿いを追って来たんじゃよ」


(……ん……?)


 ほのかな光が、小姫の頭の中でもひらめいた。

 隣村の例祭は、六月に行われたはずだ。そこで見たのと同じ光が日無村でも見られ、それが花火玉に閉じ込められたとしたら……。

 村から村、町から町へと渡り歩く。その土地土地(とちどち)の祭りに参加し、終われば次の町へと移動して――。それと同じような行動をしていた者が、他にいなかったか。


「……それ、どれが本当なの?」

「はあ? 娘よ。聞いておらんかったのか? すべてが本当のことじゃ」

「聞いてたわよ! 聞いてたけど矛盾(むじゅん)だらけで……、とりあえず時期は? そこが一番肝心なの。一年前なの? 一か月前なの!?」

「そ、そこはだから……っ、うっ、ゆ、揺らすな!」


 肩らしきところをつかんでがくがく揺らすと、ムジナがたまりかねたように叫んだ。


「ううっ、中身が出る……! あとは……、あとは、あいつらの言葉の切れ端しか知らん……!」

「あいつら!? それ、閉じ込められた妖怪のこと? 何を言っていたかわかるの!?」

「うっ、だから揺らすなと……! 道がどうとか、名前が似てるだとか、そんなことを……お、おおお……っ?」


(――名前が、似てる……?)


 小姫は、ムジナから手を放して考え込んだ。放り出されたムジナは川原に倒れ、ぜえぜえと荒い息をした。


「こ、これだから、人間は……、乱暴でたまらん……。しかし、わしの記憶力も、なかなかのものじゃろう? 一年前も、十年前も、大して変わりあるまいよ」


 ムジナがちらりと小姫を見た。彼女は自分の考えに没頭しており、ムジナのことは目に入っていない。


「……名前が似てるって、何に似てるってこと? 工場に入っていったっていうなら、中で交わされてた会話? 花火とか、祭りとか……、玉皮、火薬、星、あとは……」

「……よし。これで、魚の礼は返したはずじゃ」


 ムジナはこそこそと逃げ出そうとした。しかし、ムジナにとっては運の悪いことに、そのとき、小姫の頭に一つの考えが浮かんだ。勢いよく振り向くと、倒れ込むような勢いで、ムジナの背中をわっしと掴んだ。


「ねえ、あなた! 狸に似てるし、人を化かすのが得意だったりしない!? 悪いけど、もう少しだけ、力を貸して!」


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