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妖怪村の異類婚姻譚  作者: 鍵の番人
第二章 花と光と、小さな熱
26/81

13.

「な……、なんでここに……」


 言葉がつかえる。急いで弁解しなければならないのに、言葉が出てこない。

 いや、なぜ弁解しなければならないのか。何を弁解しなければならないのか。

 そもそも、なぜここにいるのだろう。完全に屋内でない場所なら、家人の許可はいらないのか。


 小姫はパニックに陥っていた。それは、乙彦が今まで見たことのない……、いや、小姫には向けたことのない目をしていたからだ。

 冷ややかな――、妖怪を迫害している人間を見ているときのような、拒絶と怒りに満ちた目を。


(なにか……怒ってる? なんで……。どこから、聞いて――?)


 その答えは、小姫が聞くまでもなく、乙彦が先に口にした。


「……なぜ、そこまで祭りにこだわるのかと、不思議に思っていたのです。祭りなんて、ヒメも何度も行ったことがあるはずなのです。花火だってそうでしょう。たった一度中止にするだけなのにあんなに反対するなんて、おかしいと思っていたのです。――全部、あの砂利のためだったのです」

「――っ? ち、違う!」


 乙彦の言うのが五月のことだと気づいた小姫は、慌てて否定した。


「五月君のことは関係ない。それは、ちゃんと説明したじゃない! 乙彦、信じてくれなかったの!?」

「所詮、ヒメも他の人間と同じなのです。妖怪のことなど、本当はどうだっていいのです。熱くてうるさいだけの、たかが人間の娯楽のために、私たちの命なんて簡単に犠牲にできるのです」

「違う……! 違うよ! そんなことない!」

「あの小さな橋にも、ヒメはあれと行くつもりだったのです」

「――な……っ、そんなわけ――」

「言い訳なんて聞きたくないのです」

「……っ」


 のどが詰まって、言葉が上手く口から出てこない。代わりに嗚咽(おえつ)が漏れそうになって、小姫は無言で首を横に振った。


(違うって、言ってるのに……!)


 乙彦の目も口調も冷たくて、いつもの彼とは別人のようだ。小姫を厳しく責め立て、心をえぐる。憎しみに似た何かをぶつけられて、小姫は傷ついた。

 なぜ、信じてくれないのか。なぜ、話を聞こうとしてくれないのか。

 小姫を大事だと言っていたのは嘘なのか。なぜそんなに……、他人を見るような目を向けるのか。

 いらだちと悔しさで目の前がにじんだ。


「――そっちだって……、私のことが大事なんて、所詮、口だけじゃない!」


 カッとなって言い捨てた言葉に、乙彦が目を見開く。その顔を見て、心臓がずきりと痛んだ。――だが、止まらない。


「大事だったら、ちゃんと聞いてよ! いつも……一方的なのよ! 一方的に、自分の言い分ばっかり押し付けて! 私の気持ちなんて、考えてくれない……! 私を守るのだってそう。私、守ってなんて、一言も頼んでないよ……!」


 止めようと思えば思うほど、止まらない。引っ込みがつかなくなって、さらに乙彦を責めてしまう。

 ……しかし、本当はわかっている。知っている。乙彦が口だけだったことなんてない。


 枕返しのことだって、最初は小姫が一人でできるのか、見守ってくれていたのだ。そして、結局、助けてくれた。工場に行くときも、苦手な場所なのに付き合ってくれた。

 自分勝手に見えても、助けが必要な時は手を差し伸べてくれる。小姫のためならば我慢してくれる。花火のことも、小姫の意志を尊重して、今まで手を出さないでくれている。

 乙彦がどんなに小姫を大事にしてくれているか、本当は全部わかっている。


 ――だが、だからこそ――。


(――あ……)


 唐突に気が付いた。今が、いい機会ではないだろうか。

 このままだらだらと乙彦に頼り続けていていいわけがない。婚約者という言葉を利用して、彼に側にいてもらうのは楽で心地よいけれど、最近はなぜか、苦しさを感じる時の方が多い。

 きっと、離れるなら今なのだ。乙彦に嫌われて、完全に決別する、最大の好機。

 小姫は焦る気持ちを押し殺した。ありったけの精神力を動員して深呼吸する。そして――告げる。


「この際だからはっきり言うけど、五月君は乙彦と違って優しいし、紳士的だし、理想の王子様なの。……だから、邪魔しないで。私は、乙彦じゃない、五月君がいいの!」

「――っ」


 乙彦の眉が不愉快そうにゆがんだ。扇子を開くのも忘れて、低く、小さく唸る。


「――ヒメは、私と婚約しているのです」

「……だから! それは認めてないって言ってるでしょ!」

「あんな砂利なんかでは、ヒメのことは守れないのです……!」

「――っ!」


 小姫は、唇を噛んだ。つばを飲み込む。

 ここまで言っても、乙彦は引き下がってくれないのだ。どうしても、小姫を守ろうとする。これ以上は……言いたくないのに。


 ――それでも。


「……それの、何がいけないの?」

「……え……?」


 この言葉を言ったら、乙彦は傷つく。乙彦の気持ちを、行動を、真っ向から否定する。そう思ってなお、小姫は声を絞り出した。


「守れないからって、何なの? それが理由で嫌いになったり、好きになったりすると思ってるの? それで結婚するかどうか決めるって思ってるの? ……だとしたら、違うよ。五月君が私のこと守れなかったりしても、私は、五月君がいい。乙彦がたとえ私を守ってくれたとしても、だからって乙彦を選んだりしないよ……!」 

「……っ」


 案の定、乙彦が言葉に詰まった。

 呼吸が苦しい。心臓が、切られたように痛い。――だが、きっと乙彦の方が痛いのだ。

 彼の表情を見ていられなくて、小姫はうつむいた。


「……乙彦。もういいよ。私、乙彦には充分助けてもらった。だからもう、終わりでいいの。これから私が危険な目に遭ったって、それは乙彦のせいじゃない。守る必要なんかないよ。……あの時の――事故の時のことは覚えてないけど、私はこれ以上、乙彦の重荷になりたくない」

「……重荷、ではないのです。私が、あなたにもらったのは――」

「だから、もういいんだってば……っ!」


 乙彦の言葉を遮り、髪を振り乱して叫ぶ。


「これ以上乙彦に助けてもらったら、もう私には返しきれない。むしろ、私が重荷なの!……お願いだから、もう私に近づかないで……!」

「――っ」


 乙彦が今度こそ絶句した。小姫は顔を上げかけて――再び下を向く。

 この時のことを想定して、何度もシミュレーションを繰り返した。今まで助けてくれたことに感謝して、心からのお礼を言って、お互いの将来のために前向きな別れをするはずだった。それなのに、こんな最悪な結果になってしまうとは。


 乙彦はきっと、生半可なことでは小姫から離れたりしない。だとしても、ここまで傷つける必要があったのか。自分が傷つくべきなのに、なぜ乙彦が傷つかなければならないのか。

 目頭が熱くなるなんて狡すぎる。彼を傷つけているのはこちらの方なのに、まるで自分が被害者みたいな有り様ではないか。

 せめて、もっと冷静に告げるべきだった。感情を露にして叫ぶなんて、未練があることを自ら暴露しているようなものなのに。


「……そんなに、私が側にいると嫌なのですか」


 しばらく黙った後、乙彦が、途方に暮れたような声で言った。心臓がぎゅっと縮んで、とっさに否定しそうになったのを、唇を引き結んで耐え忍ぶ。


(そんなわけ、ない。乙彦が側にいてくれて、すごく安心した。これがずっと続いたらって、思ってた。……だけど、駄目なんだよ。だって……、だって、乙彦は――)


 大きく息を吸う。息を止める。今度こそ、動揺を隠して最後まで言い切る。そう決めて、口を開く。


「――そうよ。乙彦の側にはいられない」

「……ヒメ」

「乙彦と結婚なんて、絶対にできない」

「――……」


 乙彦の目を見て、断言した。本気で、真剣に、そう思って彼に伝えた。


 ……乙彦が、息をのむ気配がした。


(……ちゃんと、言えた……)


 小姫の目が潤む。

 今度こそ、冷静に。一言一言、きっぱりと言った。言い切った。

 しかし、これ以上は無理だった。もう、何も言うことはできない。今、口を開いたら――泣いてしまいそうで。

 そのまま踵を返して、教室へ戻ろうとした。

 だが。


「……ヒメ! なぜ、私ではいけないのですか……?」


 乙彦の言葉に、足を止めてしまった。逡巡した後、よせばいいのに、振り向いてしまう。

 もし、怒った顔をしていたら……。もし、傷ついた表情をしていたら……。

 どう答えるか想定していたのに、建物の影で、乙彦の顔はよく見えなかった。


 ――だから、言おうとは思っていなかった本音が、ぽろりと口からこぼれ出た。


「だって、乙彦……、私に恋愛感情なんてないじゃない……」

「――え……?」 

「私のこと、好きになってはくれないでしょ……?」


 言った直後に後悔した。ここまで耐えたのに、言葉とともに涙がこぼれてしまったから。

 泣き顔なんて、絶対に見られたくなかった。見られてはいけなかった。乙彦から顔を隠し、背を向けて、二度と立ち止まらない決意をして走り出す。

 二度と。二度と。二度と……!


 階段を上り、生徒たちの間をすり抜け、自分の教室の前まで来てやっと足を止めた。

 心臓が信じられないほど早く、激しく鳴っている。呼吸が上手くできずに何度もせき込む。全身が熱くて、それ以外の感覚をどこかへ置き忘れてしまったようだった。


「えっと……、大丈夫、日浦さん?」


 呆気に取られていたクラスメイトに声をかけられ、小姫は心配しないでと笑いかけた。

 教室に足を踏み入れながら、廊下の奥へ視線を向けたが、乙彦が追ってきた様子はない。

 力が抜けて、小姫は小さく笑う。


 ――乙彦は、私に恋なんかしていない。


「……嘘でもいいから、否定してくれたらよかったのに……」


 うつむいた頬に、また一滴、涙が流れた。


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