8.
いつまでも建物を眺めていても仕方ない。小姫は土手を登ると、外で作業をしている人たちに向かって声をかけた。
「すみませーん。作業の様子、ちょっと見せてもらってもいいですか?」
すると、中の一人が、代表するようにして前に進み出てきた。
「ああ、あんたかい。村長の娘さんの……。お母さんから話は聞いてるよ。祭りの作業工程のチェックだって?」
「え? えーと……、はい!」
小姫は慌てて頷いた。どうやら、弥恵があらかじめ連絡をしていてくれたらしい。他の用事で手が離せないから娘に代理を頼んだのだと、電話で言われたそうだ。
「それで、こっちは付き添いです!」
「…………」
せっかく紹介したのに、乙彦は何も言わない。小姫は冷や汗をかいたが、男性はちらりと彼の顔を見て、「はいはい」と気のなさそうに答えただけだった。
「でも、わざわざ花火の進捗状況をねえ……。そんなの来るの、初めてじゃねえかなあ……」
不思議そうに頭を掻きながら、彼は作業場へ案内してくれた。
「えー、と。で、何が見たいんだっけ? 今んとこはまあ予定通り……つーか、去年一人増やしたから、むしろ例年より進んでるくらいだけど」
「あの、花火の玉って見られますか?」
まずはその閉じ込められたと思しき玉を見つけなければならない。花火玉の制作現場へ移動し、そこで、作業の流れを簡単に説明してもらった。
まず、玉皮と呼ばれる半球状の外殻の中に、小石くらいの大きさにした火薬を詰めていく。それを二つ作って合体させ、一つの球になるようにテープで張り合わせた後、外側にクラフト紙を何重にも張り重ねて、ようやく一つ、花火玉が完成する。
説明は単純明快だったが、実際やってみろと言われたら最初の一歩から躓きそうだ。おそらく、一つ一つの作業には、熟練した技が必要とされるのだろう。
「ああ、そういや、今回の祭りで使う分は、もうそっちに移動してあるんだよ」
そっちというのは、乾燥室のことだった。
打ち上げ予定の約千個は、すでに球状になっており、乾燥作業に入っていた。小ぶりのメロンのようにずらりと並んでいる棚を見て、小姫は思わず声を失う。
「……ねえ。この玉の中に閉じ込められちゃったってこと?」
気を取り直し、乙彦に小声で聞いてみる。乙彦も困惑したように「おそらく、そうなのです」と言って頷いた。
(なんかもう、びっちり閉じられちゃってるじゃん……。これを開けるとしたら、外側の紙を破るか剥がすかしなきゃならないってこと?)
そんなの、断られるに決まっている。そう思ったが、一縷の望みをかけて、おそるおそる尋ねてみた。
「あ、あのー……。これ、一度開いていただいて、中を見せていただくなんてことはー……?」
すると、案の定、男性の顔が険しくなった。
「は? ……冗談だろ。これ一つ作るのに、どれだけ時間と手間がかかってるか……。一個くらいいいだろうって考えかもしれねえが、作ってからも、一か月ぐらい乾燥させなきゃなんねえんだ。そんなことしてたら、それこそ祭りに間に合わなくなっちまう」
「そ、そうですよね。すみません……」
男性の剣幕に、小姫は小さくなって退散する。作業場の隅っこに退いて、乙彦と小声で相談した。
「ちょっと、これからどうすればいいの? 開けて調べるのが無理って言われたら、他に手はないんだけど!」
「私にそんなことを聞かれても困るのです。人間の事情に詳しいヒメが、交渉するしかないのです」
「そう言われても……」
小姫は天井を見つめてから、ハタと思い出した。
「っていうか、乾燥に一か月かかるって言われたよね? てことは、閉じ込められたのは一か月近く前ってこと? それ、中の妖怪って、生きてるの?」
「……ええ、おそらくは。閉じ込められただけでは死なないと思うのです」
ただ、衰弱はするだろうし、このままいけば、打ち上げられて夜空に散ることになる。そうなれば、さすがに無事では済まないだろう。
「でも、なんで一か月も前の話が今頃出てくるわけ?」
乙彦は少し思案した後、「これは推測なのですが」と断ってから話し出した。
「妖怪は、基本的に、人間と違って個人主義なのです。河童も窮鼠もひとくくりにされますが、私たちにしてみれば、異種族くらい違うのです。つまり、たとえ他の妖怪の命が危険にさらされている状況だとしても、違う種族からしたら他人事に他ならないのです。今回の話も、発端は、ずんぐりむっくりした妖怪が酒酔いついでにしていたよもやま話だと言っていたでしょう。これはおそらくムジナだと思いますが、仲間意識が強いわけでも、面倒見がいい妖怪でもない。そうでなければきっと、妖怪が閉じ込められたのを目撃した本人が、直接助けを求めに来たはずなのです。あの枕返しは、あくまで例外なのですよ」
それはつまり、ただの話の種として妖怪から妖怪へと伝わって、一か月かけて、ようやく枕返しの耳に入ったということか。
「――ってことは、助けてほしいっていうのは……」
「枕返しの希望、かもしれないのです」
「……ふうん」
乙彦の言う通りだとしたら、小姫の家に住む枕返しは、心の優しい妖怪なのかもしれない。ただのおせっかいではなく仲間想いの妖怪だと思うと、その枕返しのためにも一肌脱がねばという気になってくる。
「でも、酔っぱらってっていうのがなんか不安よね。そのムジナ? って妖怪、信用できるの?」
「……さあ。それはなんとも。そのあたりは個体差があるので」
「うーん……」
小姫が悩んでいると、内緒話に嫌な顔をしていたさっきの男性が近寄ってきて、「もういいか?」と聞いてきた。
「祭りまであと三日しかないし、俺たちも忙しいんだ。よその人がいると気が散るから、用事が終わったなら帰ってほしいんだけど」
「あ、ご、ごめんなさい……」
一通り現状は把握したわけで、いったん建物の外に出て作戦会議をすることにした。
空が橙色に染まり始め、熱風の中にもほんのわずか、涼しい風が吹き始めた。木陰にある岩場に腰を下ろし、先ほどの続きを話し合う。
「ムジナの話が信用できるかは、確かめようがないと思うのです。本人を見つけて話を聞いてみてもいいですが、酔っていた時の記憶が正しいかはわからないのです」
「ああ、まあ、そうよね……。じゃあやっぱり、あそこの花火を調べさせてもらわないと。例えばさ、いっそのこと、中に妖怪が閉じ込められてるって話してみたらどうかな? いくら相手が妖怪でも、命がかかってるって知ったら、さすがに譲歩してくれるんじゃない?」
小姫のそんな提案に、乙彦はしぶい顔をした。
「私は正直、おすすめはしないのです。きっと、馬鹿な娘扱いされて、相手にされなくなるだけでしょう。工場の中にさえ入れてもらえなくなったら、本当に打つ手がなくなるのです」
「うー……、やっぱり、そうよね……」
小姫はがっくりと肩を落とした。
だからこそ、妖怪をいじめている本人たちにさえ、その正体を秘密にしているのだ。
子どもたちですら妖怪の存在を信じない時代。大人ならなおさらだろう。
しかし、実際問題、本当に中に妖怪がいるかどうかも怪しい状態で、全ての玉を開けろとは要求しがたい。せめて、いるかいないか、いるとしたらどの玉かさえわかれば、なんとかしようもあるのだが……。
「乙彦、あんた、同じ妖怪なんだから、どの花火の玉に閉じ込められているかとか、わかったりしないの?」
「それは難しいのです」
乙彦は眉根を寄せて答えた。
「さきほどから感じ取ろうとはしているのですが、火薬や人間のにおいが強すぎて、小物程度のにおいはかき消されてしまうのです。大体、ただの玉に閉じ込められて出られなくなるくらいですから、よほど力の弱い妖怪だと思うのです」
「え。そうなの? うーん……。じゃあさ、例えば、呼びかけてみたら、答えてくれるとか」
「ふむ……。妖怪が、ただの人間の呼びかけに答えるとは思えないのですが……。ヒメが相手の警戒を解ければ、可能性がないとは言い切れないのです。あるいは――」
乙彦は何かを言いかけたが、すぐに打ち消した。
「――いえ。どちらにしても、私がいては難しいでしょう」
「え? なんで?」
「私くらい力のある妖怪が近くにいると、襲われるかと思って小物の妖怪は身をひそめるのです。助けるつもりだと言ったところで、信用はしないと思うのです」
「――っ、だったら、何でついて来たのよ!?」
小姫が思わず突っ込むと、乙彦は、悪びれなく答えた。
「いつも言っているのです。ヒメに何かあった時に守れるようにするためなのです」
「~~~っ」
真正面からの反撃に、小姫は言葉を失った。心をからめとられそうなほどの視線の強さに、たじろいでしまう。
「そ、それは、ありがたいけど……、でも、だったら、今だけちょっと離れてもらうとか……」
期待はしていなかったが、乙彦はあっさりと頷いた。
「わかったのです。正直、ここのにおいは苦手なのです」
(……え?)
驚いて瞬きをし、次に瞼を開けたときには、乙彦は姿を消していた。周囲を見渡しても見つけられないが、きっと近くにはいるのだろう。
(においが苦手って……、ああ、川の妖怪だから?)
水と火の相性が悪いように、水場の妖怪と火薬は相いれないのかもしれない。では、工場の中も、その付近にいることも、乙彦にとっては苦痛だったのだろうか。
(そんな様子、一切感じさせなかったくせに……)
――ヒメに何かあった時に守れるように――。
とくん、と、小さく心臓が鳴った。そこを中心に、じんわりとした温かさが体中に広がっていく。
乙彦は何の衒いもなく、こういうことを言う。だから、つい勘違いをしてしまう。彼はただ恩返しをしようとしているだけだということを、忘れてしまいそうになる。
(――ダメダメ、今は集中しないと……!)
妖怪の命がかかっているのだ。祭りの日までに、何とか救う方法を考えなければ。
小姫は深呼吸を繰り返すと、改めて先ほどの作業員にお願いをしに行った。花火の玉に話しかけてみることしか思いつかないが、それでも何もしないよりはましだと、自分に言い聞かせながら。