2.
出会ってすぐに乙彦を「敵」認定した小姫だったが、彼が示した解決策はてきめんだった。無事だった右手で彼と握手をしていただけで、左腕が元に戻ったのである。
一応感謝はするが、顔も見たくない。乙彦をさっさと追い出し、小姫は母親を問い詰めた。
「まあちょっと、落ち着きなさい。よかったじゃない、腕が戻って」
「それはそうだけど。でも、一体何? 何がどうなってこうなったの?」
「うーん。それが、わからないのよねえ」
どうやら原因はいまだ不明らしい。だが、弥恵ののほほんとした口調を聞いていると、焦りでイライラしてしまう。
「もう! ちゃんと説明してよ! だったら、何で、あれで腕が戻ったの?」
「うーん。ちょっと話が長くなるけど……。まあ、まだ登校までに時間はあるわね」
弥恵は一度言葉を切って、小姫を座布団の上に座らせた。自分も正面に座ってから、人差し指を顎に当てる。
「ええと、ほら、うちの村って、妖怪とひとが共存してきたじゃない? だから、ひとと妖怪が結婚することも、そんなに珍しくなかったようなの。だいぶ昔の話だけどね。でも、そのせいで、妖怪の血を引いている人が、村には今もたくさんいるわけよ。もちろん私も、あなたも例外じゃないわ。……それで、思ったのよ。もしかしたら、あなたは先祖返りなんじゃないかって」
「……先祖返り?」
首を傾げた小姫に、弥恵が説明してくれた。先祖返りとは、幾代も前の先祖の性質が、過程をすっ飛ばして、突然、ある子孫に受け継がれることをいうそうだ。
弥恵は人間と変わらないし、小姫も今まではそうだった。しかし、実は妖怪の血が濃く現れたのだとしたら、左腕は妖力の塊だった可能性があると、弥恵は言った。
何らかの原因で妖力が不足し、そのせいで腕が消えてしまったのかもしれない。それなら、その不足分をどうにかして補わなければならない。弥恵はそう仮定し、乙彦に相談した。そして乙彦が提示した方法が、彼の手を通して妖力を分けてもらう方法だったらしい。
「っていうか、私に妖怪の血が流れてるってこと自体、初耳なんだけど……」
ショックを受けながらそう言うと、弥恵はころころと笑った。
「そんなに気にすることじゃないわ。今まで変なところなんてなかったでしょう?」
「そ、そうかもしれないけど……」
調停者の娘だから、その方面の知識が多少はある。だが、小姫は自分に当てはめたことはなかった。
そもそも、妖怪が人間の生活圏に見られなくなって久しいのだ。妖怪と関わる機会自体が少なかった小姫には、充分衝撃的な事実である。
「でも、じゃあ、私の手って……人間の手じゃないの?」
不気味な思いで、左腕を見つめる。開いたり握ったりしても違和感はない。先ほどまで消えていたことも、今では信じられないくらいである。
「うーん。それがなんとも……。いくら妖怪の血が流れているっていったって、体の一部だけ完全に妖怪ってのもおかしな話だしねえ。……まあ、それはおいおい考えるとして、とにかく、腕が消えたり現れたりしてたら大変でしょう? さっさと結婚しちゃいましょう」
「――だから、なんでそこで結婚が出てくるの!?」
小姫が抗議の声を上げたが、弥恵に意に介した様子はない。
「持続的に妖力の補給が必要だからに決まってるじゃない。婚姻をすれば、妖怪とのつながりが生まれるわ。腕が消えるたび、いちいち呼びつけて握手しなくても済むようになるのよ」
「それだけのために結婚なんて論外でしょ! 第一、なんであんな失礼なひとなの!? 人のことちんちくりんて……っ! ちんちくりんとか……っ!」
「だって、他に適任なんていないもの。小姫だって気づいてるでしょ? 最近は妖怪も減ってきたし、見えない人も多いのよ。それだけに、いさかいも増えてきちゃって……。人間のために手を貸してくれる妖怪なんて貴重なのよ?」
「だからって……!」
小姫は顔を真っ赤にして立ち上がる。
「結婚なんて重要なこと、そんなほいほい決められるわけないでしょ! それに、あいつだけは絶対にいや! 私の結婚相手は、格好良くてスタイル良くて優しい人って決まってるの!」
そう叫ぶと、小姫は足音も荒く自分の部屋へと戻っていった。
部屋に入ると、どっかとベッドに腰掛ける。腕を組み、目を瞑って、理想のパートナーを想像する。
格好良くてスタイル良くて優しい、王子様みたいな人。そんな彼が小姫の理想だ。彼と運命的な恋をして、お姫様みたいに大切にされて、愛に満ちた結婚生活を送るのだ。妥協は一切ありえない。
しかし、その空想に、馬鹿にしたような目で見下ろしてくる乙彦の顔が割り込んだ。そのとたん、小姫の額に青筋が浮かぶ。
(――何があったって、絶っっ対に、あいつだけはありえないから!)
心の中で宣言し、小姫は授業の準備をして高校へ向かった。