6.
小姫がようやく冷静さを取り戻すと、乙彦が仕方なさそうに説明してくれた。
彼によると、この枕返しは昔から村長の屋敷に憑いている妖怪で、他の妖怪の頼み事や訴えを、当事者に代わって伝えてくれることがあるらしい。
「何それ、ほんと? 枕ひっくり返して、からかうだけの妖怪じゃないの?」
「他の枕返しは知りませんが、この枕返しはそういう性質なのです」
小姫は不思議に思ったが、乙彦がそう言うのならそうなのだろう。改めて向き合おうと正座をしてみたものの、相手の妖怪の方に問題があった。
「……でも、よく見えないんだけど?」
部屋の隅に人っぽい形をした黒い影があるのはわかる。でも、それだけだ。照明をつけたら逃げると言われ、仕方なく手探りで近づいてみるとビクっとされた。
「……母上様が不在なので、代わりにヒメに伝えようとしたのでしょう。ですが、ヒメは調停者ではないので、警戒しているのかもしれないのです」
「それは……、だって、しょうがないじゃない」
「ええ。むしろ、いいことなのです。ヒメが私達に歩み寄ろうとしているのを知って、話してみようという気になったのかもしれないのです」
「え……」
乙彦の言葉に、小姫はぽかんとした。
ここ数か月、小姫が妖怪のためにしていることといったら、たまに虐待現場を見かけたときに、子どもたちに生き物を大切にするよう言い聞かせることだけだ。
なにしろ、妖怪の数が少なすぎて出会うこと自体がめったにない。しかも、妖怪を見ることのできる人間はほとんどいないのだ。乙彦によると、子どもの頃は妖怪が見えることも多いようだが、彼らは妖怪に出会っても、見知った生き物の突然変異か何かかと思って終わるのだという。その場合は大抵、気味が悪いと忌避するか、あるいはいじめて追い払おうとする。そういった場面に出くわしたとき、相手が妖怪だとは言わないよう、小姫は弥恵に言い含められていた。妖怪の存在が幻のようになっている今、そんなことを言っても、小姫が変な目で見られるだけだからだ。
「……でも、別に何もできてないような気がするんだけど……」
妖怪だと言わなくても充分変な目で見られるし、煙たがられるだけで、真面目に聞いてもらえている気がしない。だが、乙彦はそれでもいいと言う。
「そうかなあ……」
「ええ。少なくとも、妖怪は助かるのです」
いまいち腑に落ちないが、乙彦が認めてくれるのなら、小姫も悪い気はしない。
「ヒメはそこから動かないでほしいのです。近くにいてくれれば、私にも話してくれるかもしれないのです。私が聞いてみるのです」
乙彦が近寄っても、その影はおびえる様子を見せなかった。黒い塊が二つに増えて、ひそひそ、こそこそとささやき声が聞こえる。
「……わかったのです。どうやら、助けてほしい妖怪がいるようなのです」
やがて、乙彦がうなずきながらそう言った。
「助けてほしい妖怪? え? それってどういうこと?」
聞き返すと、また、ひそひそ話が始まった。
「妖怪伝えに聞いただけで、詳しくはわからないらしいのです。ただ、何かに閉じ込められた可能性があると」
「何かって、何に?」
ひそひそ。
「現場を見ていた妖怪によると、丸いものらしいのです」
「丸いものって何よ? それだけじゃわからないわ。ちなみに、場所はどこ?」
ひそひそ。ひそひそ。ひそひそ……。
「~~~~っ!」
とうとう、小姫はしびれを切らした。バン、と両ひざを叩いて訴える。
「――まどろっこしい! ねえ! これって、私、いる? 私、いる!?」
「……この枕返しは、人間に言伝をするために出てきているのです」
「でも結局、話をしているのは乙彦じゃない! 私じゃないじゃない! 起きてなくてもいいじゃないっ!」
「……ヒメ。眠くて機嫌が悪いのはわかるのですが、黙って聞くのです」
乙彦にたしなめられ、小姫は不承不承、唇を閉じた。その後も、乙彦と枕返しの間で話が進んでいく間、小姫は憮然とした顔のまま、必死で目を開けていたのであった。