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妖怪村の異類婚姻譚  作者: 鍵の番人
第一章  花と河童と、予期せぬ出会い
11/81

11.

 小さな洞窟だ。外の光を通さない暗い中でも、道に迷うことなく、すぐに天井の高い部屋のような空間に到着する。

 乙彦に会ったら、今度こそ、命を奪われるかもしれない。そこまではされなくても、危害を加えられるかもしれない。


 ――だが一方で、そんなことにはならないという気も、確かにした。


「……どうして、ここまで来てしまったのです……?」


 乙彦は、洞窟の壁に背をもたせかけるようにして座り込んでいた。おそるおそる近づいていくと、彼の視線が、まだ消えたままの左腕をとらえ、次いで、白い花へと移動した。

 花に視線を固定しながら、責めるような口調で付け加える。


「しかも、腕も治していない……」

「……このまま別れたら、二度と会えないような気がしたから」


 小姫は乙彦の目を見据え、一歩、近づく。


「ねえ、教えて。あの事故の時、何があったの? ……本当は、私が乙彦に、ひどいことをしたんじゃないの?」


 恨まれるような、ひどいことを。

 小姫はまた一歩、乙彦に近づいた。

 十年前、事故現場には、おびただしい量の血の跡が残っていたらしい。小姫自身も血まみれだったというが、そんなに大量に出血するような傷跡は、彼女の体には見つからなかった。

 だとしたら、重傷を負ったのは乙彦だったのかもしれない。小姫は命を救ったのではなく、逆に、彼が傷を負うようなことをしてしまったのだ。それこそ、命の危機に(ひん)するような。

 今日まで見てきた乙彦は、いたずらに人を傷つけるような妖怪ではなかった。自分の傷を(いや)すために、やむなく小姫の腕と足を食らったのだとしたら、噂話とも整合性(せいごうせい)がとれる。


(……もっと、妖怪のこと、お母さんに聞いておくんだった……)


 妖怪の体の仕組みなんて知らない。だからこれは、完全に小姫の憶測だ。

 小姫が記憶を失ったのは、自分がしたひどい行為にショックを受けたためで、乙彦はそのせいで自分を恨んでいるのではないだろうか。崖から小姫を落としたのは、その時の復讐だったのではないだろうか。

だが、きっと、本気で小姫を殺すつもりはなかったのだ。


「…………」


 小姫の話が終わると、乙彦は小さくうめいた。怒らせたのかと思って小姫は身をすくめたが、どうやら笑っているようだった。


「小砂利の話は、全部的外(まとはず)れなのです」


 しかし、次に聞こえた声は、むしろ悲しみの色を(まと)って洞窟に響いた。


「……あの時死にかけたのは、本当に、ヒメの方だったのです」


 ――あの日の夕方。乙彦は、子どもたちが騒いでいるところに出くわした。

 妖怪の姿でも、人間の大人の姿でも、子どもたちには警戒される。だから、人間の子どもに化けて様子をうかがっていた。すると、彼らの仲間の一人が川でおぼれているのがわかった。助けてくれと頼まれ、乙彦は得意の泳ぎでその子どもを岸辺へ運んだ。


 だが、それは罠だった。


 不意を突かれて背後から石で殴られた乙彦は、少年たちに取り囲まれた。最初の一撃で頭をやられていなければ、自力で逃れることができただろう。が、朦朧(もうろう)としていた乙彦は、ろくに抵抗もできないまま、棒きれや鞄で叩かれ続けた。

 やがて彼らは飽きて、乙彦を道路に放り出す。ふらふらしていた乙彦は、彼の小さな影に気づかず突っ込んできた車に()かれそうになった。その時、彼をとっさに突き飛ばしたのが、たまたま通りがかった小姫だったのである。

 小姫は乙彦の代わりに犠牲になった。彼女を轢いた車はそのまま走り去り、その場には、二人だけが残された。


「……あなたはほぼ、虫の息だったのです」


 小姫は左半身を強く打ち、特に、腕と足は見るも無残(むざん)な状態だった。血はどくどくと流れ続け、命の(ともしび)が消えるのも時間の問題に思えた。――しかしそれを、乙彦は許すことができなかった。自分の身代わりとして少女が死ぬことに耐えられず……、一か八か、欠損した部分を妖力で補うことにしたのである。

 しかし、人一人分の命をつなぎとめるには、膨大な妖力が必要になる。自身の回復もままならない有り様の乙彦が、残った力をかき集めても、到底足りるわけがない。

 小姫の腕と足を食らったのはそのためだ。残したところで元のように治るわけがなかった。それに、人間の体は妖怪にとって強力な栄養源になる。


 力をつけた乙彦は、小姫にありったけの妖力を注ぎ込んだ。おかげで彼女は生命の危機を脱することができたのだ。

 人間の身体には自然治癒(ちゆ)力がある。欠損した腕と足は、時間をかけて少しずつ修復されていくだろう。やがては以前の体に戻れるはずだと想定していた。

 しかし、先日、乙彦が力の供給をやめたとたん、小姫の左腕は消えてしまった。同じく、左足もだ。


「まさか、十年経った今も、修復していないとは思わなかったのです」


 なぜなのかはわからない。もともと妖怪の血が入っていた小姫の体に、予想以上になじんでしまったのか。それが自然すぎて、元の形を体が忘れてしまったのか。


「……だから、花を? でも、それだったら――」


 ――なぜ私を、崖から……。


 小姫が飲み込んだ言葉を、乙彦は正確に察したらしい。口元が笑みの形にゆがんだ。


「……あなたさえいなければ」

「……え?」

「あなたさえいなければと、思ったのです」


 小姫は息を飲んだ。暗闇の中で、乙彦の目が()れたように光っている。


「人間は、嫌いではないのです。ただ……あなたのことは憎んでいる。あの時、あなた以外は誰ひとり、私を助けなかった。見て見ぬふりをして、誰もが通り過ぎた。それなのに、あなたが……。あなた一人だけが、私を助けたせいで、私は人間を嫌いになれない……!」


 乙彦は投げ出していた左手を持ち上げようとし――、しかし、そのまま下におろした。大きく息を吐き、続ける。


「すべて、あなたのせいなのです。ここを離れようと思っても、あなたがいるから離れられない。だから、私の手で殺そうとした……。あなたが死ねば……いなくなれば、他の土地に移り住んで静かに暮らせると思った。――けれど、それもできなかったのです……」


 先日の土砂崩れをきっかけに、とうとう岩の神もこの地を見放した。他所(よそ)から流れ着いた乙彦にとって、唯一の友人である神だ。乙彦もこれを機に、この村を見限るつもりだった。


 それなのに、この心は、どうしてこうもこの地を離れることを(いと)うのか。


 乙彦は気だるげに目をそらした。そこでようやく、小姫は彼が動かないのではなく、動けないことに気づく。


「乙彦……?」


 慌てて側によってしゃがみこむ。天井から差し込むほのかな光で、うっすらと乙彦の体が浮かび上がった。


「こっちに……、来てはいけないのです……!」


 着物で隠れてよく見えないが、足か腕、または両方とも折れているのかもしれない。しかも、着物ににじんだ血の量はかなりのものだ。よく見れば手も血に染まっており、爪はいくつも剥がれている。顔色は悪い。荒い呼吸を繰り返し、ときおりうめき声を押し殺す様子は、どう見ても重症だ。


「まさか……」


 小姫が崖から落ちても大した怪我がなかったのは、乙彦がかばったせいだったのか。

 愕然(がくぜん)とする小姫から傷を隠すように、乙彦は体をずらした。そして、追い払うように右腕を振った。


「もう、あなたの体を補うほどの妖力も私にはない。その花をもって、さっさと家に帰るのです。……私も、これで、思い残すことはなくなった……」


 小姫は乙彦の傷に視線を移す。

 思い残すことはないと言いながら、小姫の左足は消えていない。小姫が山を抜けるまで、力を注ぎ続けるつもりなのか。


 ――自分の命が尽きるとしても。


「……その傷、妖力があれば治せるの?」

「ヒメ。ですから――」

「ごめん。私……、そんなに、乙彦が苦しんでるなんて知らなかった。お母さんの娘なのに、何にもしていなかった。もう、跡継ぎじゃないからって、妖怪のこと、何も知ろうとしなかった。……でも、何ができるかわからないけど、これから、頑張るから。……だから、乙彦も――」


 小姫は、白い花を彼の胸にそっと押し付けた。花弁が淡く光り始め、次第に輝きを増していく。

 乙彦が驚きに目を見張った。


「何を……!」

「この花の力、先に使って」


 彼は、静かに終わりを迎えたいのかもしれない。これ以上、人間に関わりたくないのかもしれない。

 だが、小姫はそんな気持ちのまま、乙彦を死なせたくないと思ってしまった。


(私は、乙彦の次でいい。花の力が残るかは、わからないけど……)


 乙彦は慌てて、まだ動く右手で小姫を引き寄せた。力の向かう先を変えようというのだろうか、花もろとも小姫の体を抱きしめる。


「――ヒメ。私は――……!」


 光に包まれ、乙彦の声も小姫の声も聞こえなくなる。

 お互いのことも見えなくなって――……。


 視界も、頭の中も真っ白になり、小姫の意識は、再び途絶えた。


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