10.
「――っ」
かすかな肩の痛みとともに、小姫は意識を取り戻した。
どうやら仰向けで気を失っていたらしい。今にも雨が降り出しそうな曇天と、さっきまで立っていた崖が見える。小姫が落ちた衝撃で岩肌の一部が崩れたようだ。あの白い花もその際に巻きこまれたのか、影も形もなくなっていた。
(……ああ。これでもう、私は……)
小姫は、悪夢を見ているような気分で左肩に目をやった。
前触れもなく、また消えてしまった左腕。乙彦と手をつないでいなかったせいだろうか。側にいるだけでは、やはり駄目だったのだろうか。
左足がまだ無事なのは、不幸中の幸いなのかもしれない。
地面が冷たかった。山でこれ以上体を冷やすのは良くない気がする。小姫は起き上がろうとして、首をぐるりとめぐらした。
崩れ落ちた岩のかけらや、土や草などが散らばる中に、白いものが覗いている。その正体に気づき、小姫は目を見開いた。
――あの、白い花だ。
「……くっ……」
起き上がろうとしたら、体が軋んだ。呻きながら、右腕一本でようやくのこと体を起こす。
立ち上がってから、体中を点検してみた。擦り傷と、もしかしたら打撲になっているかもしれない場所が数か所ある。が、それ以上の怪我はなかった。ぎこちない感じがするのは、日陰になった肌寒い地面でしばらく寝ていたからのようだ。
白い花は奇跡的に、折れたり枯れたりすることもなく、根っこごと地面に横たわっている。傷つけないよう慎重にすくいあげ、手のひらにそっと乗せる。
かすかに吹き込む風にそよぐ花びらを見て、ほっと息をついた。
花からは、不思議な温かさを感じた。これが、岩の神が長年溜めていたという力の表れなのだろうか。
だが、どうやって使うのだろう。左腕に押し付ければいいのだろうか。
(――そういえば、乙彦は……?)
周囲には見当たらない。
小姫は周りを見渡しながら少し歩いた。すると、崖上へつながりそうな道を見つけた。
道の先は見えないから、ぐるっと回りこんでいくのかもしれない。それからもと来た道を帰るとすれば、相当時間がかかりそうだ。
左腕はなく、右手には花を持っている。しかも、今にも雨が降りそうなことを考慮すると、すぐにでも山を降りなければ危険といえた。
しかし、小姫はそこを通り過ぎ、木の影や岩の裏を覗きながら周囲を捜索した。
最後に見た乙彦の様子からして、小姫を見捨てたのは間違いないだろう。山に連れてきたのも含め、彼の策略だったのかもしれない。
(……でも、花は、本物だった)
結果的に、小姫の傷は大したことなく、目的の物は手中にある。本気で彼女を害そうとしたのであれば、あまりにも杜撰な計画だ。
彼は、何を考えているのだろう。小姫をどうしたいのだろう。
彼の真意がわからない。わからないままでは、この花は使えない気がした。
岩肌に沿って歩いていた時、そこに小さな洞窟があるのに気が付いた。中に入ろうかどうか迷っていると、そこから聞きなれた声が響いてきた。
「――まさか、ヒメ……?」
(……乙彦……?)
間違いない、彼の声だ。なぜ、こんなところに。
そういえば、乙彦の家もここにあると言っていた。それがこの洞窟なのだろうか。
ためらったのは一瞬。小姫は意を決して、暗闇に足を踏み入れた。