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雷獣遊楽3

6

 ボーン、ボーン、ボーン。食堂内には時間を知らせる掛け時計が音を上げた。現在、午後7時である。


「行かなければ、風呂の支度をし始めなければ、風呂の時間に間に合わなくなる。すまない、カエラ。話は後にしよう」

そう言って、強風吹き荒れるようにドタバタと家人は行ってしまった。ポツリ、私はそこに置いて行かれた。まぁ、珍しいことも無いので今更どうと言う事は無いのだけれど。


 私は家人さんが残したグラスを持ち上げると、底に残った水分を台拭きで拭き取り、後に卓の上も綺麗に拭き上げる。

 うん、良いね。


「スケジューリングがはっきりとしてる人なんですね。東洲斎家人さんと言う人は……」

またもや、どこから現れたのか女将が姿を見せる。私は一瞬、ビクッとしたが動きに出すほどではなかった。


「はは、あの人は予定調和というのに関しては、そう関してはずば抜けてるっすからね」

ぬけぬけと家人の事を少し悪く言ったのは私にしては珍しかった。この先のことを、この続きの私と東洲斎家人との関係を想像して、敵愾心を少しばかり燃やそうとしているのかもしれない。遅めの反抗期と言う奴か。


「決まった予定に動いている事は悪い事ではありませんし、どちらかと言えば良い事のように思いますが」


「まぁ、それはそうっす」

はは…と、私はやや語尾が濁ったようになってしまった。言葉尻に女将はまずい印象のように感じたらしく、すぐさま女将は別の話を振る。


「カエラさんは噂話の内容について、東洲斎さんから聞かれましたか?」

 雷獣の話か、私は家人程の興味はその話に対して抱いてはいなかった。妖怪変化、魑魅魍魎のそれら、特に神様なんてのはもってのほかで、およそ1人で生活し続けていれば、河童のかの字も知らなかったかもしれない。


 私はその話を聞いている事にして、女将の話を終わらせようなどと少し逡巡したが、そう言った態度を取ることがとてもはばかられた。女将の目は澄んでいて、どこか寂しさを感じた。


「……雷獣の話ってことくらいは聞いたっすけど、他には何も、詳しい事は後回しにされて」


「そうですか」

艶やかに、色っぽい返答だった。見惚れた。


「よければ、聞かせてください。後で家人さんにつべこべ説明を受ける事になるのも癪なので」


「では、そうですね、時間を頂戴して、話させていただきます」

事は、19世紀ほどに遡ります。


 この旅館の近くには建御たけみ電力という電力会社が保有する水力発電所が存在するのですがそこの一昔前のお話です。


 19世紀、近辺の村に突然にその噂話は出回ったのです。

「雷獣がやってくる、雷獣がやってくる。彼奴きゃつの雷に当てられたら最後人は正気を保てない」

人々は喧伝に、喧伝を重ねる。小さな村であったこともあって、すぐさま村中にその話は広がった。大人子供問わずその話をしていたし、噂はなり止む事は無かった。

と言っても、噂話は噂話、幽霊を怖がる事はあってもその存在を信じないことがある様に、その話を怖がる事があったり茶化す事はあっても本当にその話が見に降り注ぐとは誰も考えていなかった。


 村は伝記によれば、川の中流が流れていたこともあり、上流に位置する村からの貿易商によって食べ物にも恵まれていたらしいのです。記述では当時、蝦夷の村の中でも特に裕福な村だと言われるほどでした。


 しかし、それも短い時の事でした。村が特に裕福になり始めたある時、村は突然の気の狂いに襲われる事になるのです。


 ある雷の日、悶えるように人は幻覚を訴えるようになった。村のほぼ全ての人が皆がそれぞれに気が狂い始めたのです。村の人はあの噂話が脳裏によぎりました。


「雷獣がやってくる、雷獣がやってくる。彼奴きゃつの雷に当てられたら最後人は正気を保てない」

雨に降られて、雷が落ちる。村人は雷獣に追い詰められていた。気がつけば、村の端から端までを雷の狂いを持って、自由を奪われる事になっていた。土地は雷に奪われ、侵される。


気の狂いを治そうと、村人は必死にその解決を試みようとしたが、全ては無駄に終わりました。抵抗虚しく、気がつけばほとんどの村民は泡吹き生き絶え、残った少数も雷獣に怯え、その地を去ったと言うのです。


今はその遺恨あって、近辺にある山に囲まれた川の流れる谷を雷獣谷とも言うようになったとか。



7

 これは二人でする最後の遊楽である。私はもうすぐ二十歳になる。話し方はご覧のままに昔の癖が抜けきらず歳不相応の不細工なものとなっている、モラトリアムの敗北と呼べばいいのか社会制度の敗北と呼べばいいのか。東洲斎家人も行動を事細かに制約して生活をしている。癖と言われれば、彼女の方こそ変わり者足りえるはずであるのに。この遊楽もまたそう言ったもののはずである。彼女のどこかから湧いて出てくる金銭と彼女の使用用途自由の有限の時間によって成り立つ遊楽と言う時間つぶしは彼女が変わり者である理由として十分すぎるであろう。

 繰り返すが、これは二人でする最後の遊楽である。しかし、彼女はたとえ一人になったとしてもこの遊楽と言うものを止めることは無いのだろうと思う。対して、かくいう私はこの遊楽が終われば、一人になれば必ず遊楽を止めることになるだろう。

お金も居場所も全て無くなるはずだから。私は孤児だったから。



 この旅館へ来る時よりはかなりの厚着をして私は旅館から外出する。そこまで冷え込まない山と聞いていたが、流石に夜になるとかなりの温度にまで気温が下がる。コートをさらに気持ちガバッと着る。家人は旅館に置いてきた。髪の長い彼女は風呂に入ると時間を多く要する。一緒に風呂に入った経験もないではないが、私が風呂を上がるころに彼女はようやっと体の洗い作業にかかる。髪に途轍もない丁寧さと手間をかけていることを考えれば、圧倒的に粗い体の洗い作業に移行する。まぁ、一般的な体を洗う作業であるのだが、髪の時間は非常に長い。そんなこんなで私は彼女と風呂を同時に上がるという事は無い。

してやったり、私は比較的長期で自由な時間を彼女の入浴中は得られるという事である。


「さてはて、女将に大体の場所は聞いては来たが」

 雷獣の噂、件の噂を解決せんと私は動き始める、いつまでも東洲斎家人の後ろでこそこそと働く奴にはなり下がりたくはない。いや、なり下がってはもういるから成り上がりたいが正解か。彼女の家に押し掛けた段階でもうそう言ったような立場関係は生まれているはずである。


 探偵の助手。ただ東洲斎家人が探偵だったから私はそう言った役職にあやかっている。そこにわずかな揺らぎと希望がある気がする。


「次はこっちだ」

 山道は思いのほか暗い。夜は暗くとも歩くことに不安が無いと思っているのは現代人の思考だ。舗装された土地を踏みしめない恐怖と言うのは持ち続けなければいけない動物的な本能だ。足は次の一歩を迷わせる。枯れ落ちた葉はその一歩一歩を暗闇の中にあっけらかんと映し出す。幽霊、お化けなんているとは思わないけれど、いわくつきの噂話を聞いた後ではその枯葉の喚きさえ何者かに聞かれているのではないかと憂いがよぎる。

 人の出入りの少ない旅館と聞く、その旅館のそばの抜け道は更に人っ子一人普段から通らないはずである。無論、私が発する音以外に聞こえるのは、動植物の発するものであり、それは人が発するそれとは違い耳障りのするものでそれもまた自分の心をせかした。


 『コチラ危険』と表記された看板。錆びついていてどうにも恐怖心を煽る。二手に分かれたり、左右にグネグネと曲がりくねる山道。女将からここの話を聞いた際に「絶対に行くことはおすすめしません、明け方にでもなれば道も見えてきますが夜にあそこに行くのは危険すぎます」と言われたが、その通りだ。道を間違えない人間であってもここをこの暗さで踏破しようというのが安全ではないのは明白だろう。

 しかし、明日には家人はここを去るつもりでいる。私をおいて一人でここを去るつもりでいる。


 歩いていると接着する水気の強い土が靴を掴む。無理に離すとズポッと音を上げる。

 目の前に続くはずの暗い道は私が通って初めてそこに生まれ出てくるように感じる。私がそこに足を踏み入れた段階で土は土としての性質を与えられ、枯葉は枯葉としての尊厳を思い出すように。暗闇の中に入ると私はそう錯覚する。私が前を向いている時、私の後ろには暗闇が存在しているのではないかと。その暗闇は私がそれを見た段階で、その姿と性質をまた思い出し、自分どうであったのかを理解するのだと。


 何事もそうでは無いかと私は思う。誰かが見ておかないとそれは消えてしまうのではないかと。


 暗闇の中、遠くで毛むくじゃらの何かが犬のような声を上げたのが耳に聞こえる。




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