9.イアウカと対峙するミデリー
慈悲深い。
それがイアウカへの素直な印象だった。
慈悲深い。優しい。美しい。
この三つが主な印象となる。これが本当にあの八百年も前から強者として存在し続けているイアウカか?
イアウカに関する記述が遺された書物は数が少ない。イアウカが一人残らず殺してきたからだと記されていた。それを知ったのは私が知ったのは十歳の頃だ。
私が生まれたランレイグ家では、強さが尊ばれている。強ければ強いほど、家の中の序列は高くなっていく。そういう家系だった。
小さい頃から英才教育として、三歳の誕生日に家庭教師がつけられた。
最初は体力作りと教養から始まった。毎日のように走り、棒を振った。本を読み、知識を付けた。
兄のクールントを五歳の時に抜かした。当時は怨嗟を吐いていたが、それすらも叩き潰した。
弟のバリューエルは私に追いつこうと努力していたが、届かぬ才能の差というものを見せつけて突き放した。
七歳の頃、私は家庭教師が教えてくれるものをすべて理解した。私は吸収力が高く、そして忘れなかった。
勉学の時間はとても楽しかった。知らないことを知るのは快楽を覚えるのだ。私は教師に数多くの質問をした。
教師にとっては拷問に等しかっただろう。分からぬ角度から、知らぬことを聞かれるのは。
その質問で、最も返ってこなかったのがイアウカ関連だ。問いても返って来ぬことに業を煮やしたものだ。
結果、十歳だった私は両親・教師の反対を押し切り、王城へ登城して直談判した。書を読ませてほしい、と。
そこで私は初めて知った。イアウカに関する情報の少なさを。王へ問うと、イアウカが一人残らず食ってしまうからだと聞かされた。
今日まで私はいかなる凶悪な獣かを想像した。最強でありながら最凶。短気にして浅慮。物語の悪人のそれを当てはめていた。
しかし、どうであろうか。今対しているイアウカは慈悲深く、思慮深く、温厚篤実。想起されているイメージとはまったくもって違う。別のモンスターのことを言っているのではないかと思えるほどだ。
こうして前にしても、すぐに襲い掛かってこない。きっと害をなすと思った途端に豹変することだろう。
イアウカの左前脚にある焦げ痕を見る。
コングラ・ランレイグ。ランレイグ家現当主である私の五代前の当主をしていた男だ。歴代最強との呼び声が高く、唯一イアウカへと挑んだ痕跡のある男。記録上では、コングラが銀狼へ挑んだ最後の者となっている。何で分かっているっかって? ヲイテス国の港に残っている記録書に残されているだけさ。違法で行った奴がいても分からない。
イアウカの左前脚にある火傷は、このコングラがつけたものだ。素晴らしい男だと尊敬している。
しかし、それでもがっかりしてしまう。
それだけ強いと持て囃された男でも、左前脚の火傷程度しか残せていない。最強と呼ばれたコングラでさえその程度だったのだ。
十歳の頃の私は思ったのだ。私はそれを超えて見せる、と。
そう息巻いてきたはずなのに、だ。私の体はこうして震えてしまっている。闘争を拒否しいている。
そんな気がする。してしまっている。
深呼吸を一つ。体の本能を制する。
本能は闘争に必要だ。しかし、弱気なお前は要らない。
宝剣をゆっくりと抜いて構える。
大丈夫。気持ちは落ち着いた。
いくぞ、イアウカ。いざ、私と踊ってくれ。
そこで初めて、イアウカは毛を逆立てた。




