ハイボールの兄弟盃 国王ヴィクトル・ネーダー・カテドラル①
本来であればのどかな昼下がり。昼食を腹に収め、いつもであれば公務に戻る前に茶の1杯でも口にしながらゆったりと食休みするところなのだが、今日のハイゼンは何時にも増して難しい顔をしていた。
食休みどころか、今日は昼食も摂らず、自分の執務室で腕を組みながら眉間にしわを寄せている。
理由は、机上に置いてある一通の手紙だ。
王家の封蝋が施されたこの手紙。差出人はハイゼンの兄にして国王、ヴィクトル・ネーダー・カテドラルである。
王城から手紙が来ること自体はそう珍しいことでもないが、大抵は文官たちからの公務上のもの。たまに宰相のような国王の側近からも手紙が来ることがあるが、それもやはり公務上のもの。
国王から直筆の手紙が来ることなど、滅多にあるものではない。
だが、それでも国王ヴィクトルはハイゼンの双子の兄、数年に1度くらいは手紙も来る。本来であれば眉間にしわを寄せるほど悩むようなことでもない筈なのだ。
しかしながら今回はいつもとは事情が違う。手紙に記された、その内容が問題なのだ。
「まさかこのアルベイルに、ただ酒を飲み飯を食う為だけに来るだなどと……」
もう何度目になるだろうか、机上の手紙を読みながら、額に手を当てて深くため息を吐くハイゼン。
そこに記された内容は単純極まるものである。
4月の15日、夜の時間だけだが休みが出来た。
僅かな護衛だけを連れてお忍びでアルベイルへ行く。大仰にはしなくていい。
たまには兄弟2人で酒でも飲もう。
せっかくだからストレンジャー殿が営む例の店で飲み食いさせてくれ。
と、それだけの内容の手紙。
国王の部下には、ロンダ前侯爵という、瞬間移動の魔法が使えるギフトの持ち主がいるのだが、恐らくは彼の力を借りてアルベイルまで来るつもりなのだろう。
かつて近衛騎士団を率いていたロンダ前侯爵。ウェンハイムとの戦争では、そのギフトの力を使った神出鬼没の攻撃で猛威を振るい、敵方から何処からでも現れる男、亡霊騎士と呼ばれて恐れられたものだが、もうかなりの高齢で、とっくに公務からは引退し、息子に跡目を譲って隠居した筈。
そんな老齢の前侯爵まで引っ張り出してわざわざここへ飲み食いしに来るというのだから、困ったものである。
一体、国王は何を考えているのか。大公位を賜ってより凡そ30年、ハイゼンが王都に赴くのではなく、国王が旧王都を訪れるなどと、そんなのは初めてのことだ。こんなとんでもないことを思い付きでやっている訳でもないのだろうが、そこにどういう意図があるというのか。まさか里帰りのつもりだろうか。
それにだ、いくら兄弟と言えど国王は国王。ハイゼンは王族籍を抜けて降臣したのだから、おいそれと気軽な態度で接することは許されない。護衛にしても騎士団を総動員して警護を固めるしかない。公務ではない、プライベートではあっても、相手は国王なのだから。
これは特大の厄介ごとが転がり込んで来たぞと、ハイゼンがそんなことを思いながら眉間を揉んでいると、不意に、執務室のドアがコンコンとノックされた。
「誰か?」
「閣下、アダマントでございます」
ドアの向こうから、そう声が返ってくる。別に疑ってもいないが、確かに騎士団長アダマントの声だ。
国王からの手紙を最初に読み終わった時点で、相談の為に人を使って呼んでおいたのだが、ようやく来てくれたらしい。
「よく来てくれた。入ってくれ」
「は。失礼致します……」
静かにドアが開かれ、アダマントが入室してくる。額に薄っすらと汗を搔いているのを見るに、きっと、火急の呼び出しに急いで駆け付けて来てくれたのだろう。衣服に多少の乱れもあるが、無理を言ったのはハイゼン側なのだからそのくらいは大目に見なければなるまい。
「座ってくれ。茶はいるか? それとも水の方がいいか?」
「いえ、お構いなく……」
少しだけ息が弾んでいたものの、深呼吸してすぐに息を整えるアダマント。
応接用のソファに彼が座ったことを確認してから、ハイゼンも手紙を持って執務机から立ち上がり、アダマントの対面に座る。
「突然すまんな」
「いえ。閣下がお呼びとあらば、すわ参上するのが我が役目。ご遠慮は無用に願います」
「心強いことよな。得難い部下を持ったわ」
「お褒めにあずかり恐悦至極。して、御用の向きは?」
「うむ。まずはこれに目を通してはもらえぬか?」
そう言ってハイゼンが例の手紙を差し出すと、アダマントは封蝋の紋章を見て一瞬「む!」と声を上げ、次いで恭しくそれを受け取った。
「これは、王家からの……。もしや、国王陛下ですか?」
訊かれて、ハイゼンは、うむ、と頷く。
「つい1時間ほど前に届いた。読んでくれ。それについてちと知恵を貸してもらいたい」
「私が読んでもよろしいので?」
「構わん。政の類ではない故な」
「では、失礼して……」
律儀にも手紙に対して一礼してから、アダマントは早速封筒の中から便箋を取り出して読み始めた。
そして、すぐさま読み終えるとや、首を傾げて「んん?」と唸り声を上げる。
「閣下、これは……?」
そう言って顔を上げたアダマントの表情が、明らかに困惑の色を湛えていた。ハイゼン同様、彼もまた国王の真意を測りかねているのだろう。
「こちらとしては散歩感覚で来られても困るのだがな。お忍びとはいえ陛下が来られるのだ、万全の体制でお迎えせねばならん」
「にしても、15日とは急が過ぎます」
そう、そうなのだ。普通、国王という国家の最高権力者が何処かを訪れるのならば、かなり前から下知がある筈。だが、今回は先触れが訪れてから、僅か2日後に国王が来るのだという。しかも、こちらの返事も確認せぬうちに、だ。こんなふうに強襲まがいのことをするというのは、そうしなければならない理由がある筈。
が、しかしながらハイゼンにはその理由がまるで思い当たらないので困っているのだ。
「国王陛下がお越しになるまで、あと2日しかございませんぞ?」
「恐らくはパーシー・ロンダ殿の力を借りるのだろうな」
ハイゼンがロンダ前侯爵の名を告げると、アダマントは得心がいったというふうに頷いた。
「なるほど、あの御仁ですか……」
当時、まだ若年ではあったものの、アダマントもウェンハイム皇国との戦争に参加しており、同じ戦場で現役時代のロンダ前侯爵の奮戦を目にしている。ハイゼンが教えずとも、彼もロンダ前侯爵の魔法については憶えているのだ。
「ロンダ翁のギフトならば確かに可能ではありましょうが、しかし、それにしても……」
急が過ぎる、こちらの返事も聞かぬうちとは如何なものかと、そう言いたいのだろう。そう言いたいのはハイゼンも同様だ。来訪から2日後に来るとあっては、こちらが返事を出したところで王都に届かず行き違いになってしまう。
それが分からない国王ではない筈なのだが、恐らく今回はこちらに有無を言わさずに来るという、確固たる意思のもとに動いているらしい。
国王は昔から、それこそ王になる前の少年時代から思い付きで動くことがあるのだが、今回の場合はその最たるものと言えるだろう。
国王相手に迷惑などとは口が裂けても言えないが、こちらの都合も考えてもらいたいものだ。
「まあ、フミヤ・ナツカワ殿に会いたいということは前にも言っていたからな。それは嘘ではないのだろうが……」
去年、フミヤ・ナツカワというストレンジャーを保護したことは当然国王にも報告したのだが、その折、いつか直接対面したいと、そういう返事をもらっていた。ハイゼンもいずれはそうしなければならないとは思っていたのだが、まさかこんな形でその機会が訪れることになるとは。
「国王陛下御自ら動かれるということは、ナツカワ殿に会いたいというだけではないと?」
何せ相手は国王なのだ、フミヤ・ナツカワに会いたいのなら、王都まで呼び出せばいい。ストレンジャーは確かに貴人だが、国王という国家の頂点ならば対等以上の関係にあると言えよう。隷属しろなどと命じるのではなく、あくまで謁見の為に呼び出すのならばそこまで理不尽な命でもない。
だが、今回はそれをせず国王が直接来るのだから、何か裏があると疑っているのだ。
ハイゼンの心情として、双子の兄を疑うようなことはしたくないが、為政者としては疑わねばならない。兄がそうだとは言わないし思わないが、歴史を見れば疑心暗鬼に駆られて血の繋がった親兄弟を殺した王など世界中に数多存在するのだから。
「こちらには探られて痛い腹などはない。そう思いたいのだが、本当に隅の隅まで目が行き届いているかはちと自信がない。程度の差こそあれ、どんなに清廉潔白を謳う組織にも膿は溜まるものだからな。思わぬところから突かれて、あれよあれよという間に取返しがつかぬ事態に陥ることも考えられる」
「あくまで私の肌感ではありますが、閣下の旗下に不届き者はおらんのではないかと思いますぞ? 仮にいても、周りがそれを見逃すとは思えません」
「私もそう信じたいところだが…………」
2人して腕を組み、難しい顔をしてううむ、と唸る。
1人では答えが出せないことなので、最も信を置くアダマントを呼んでみたのだが、2人揃ってもすぐに妙案が出るというものではない。だが、悲しいかな、何か素案が出たところでそれを揉んでいく時間もないのが現状である。
小細工をする暇すらない。ぶっつけ本番で国王の歓待に臨むしかない。しかも目立たぬように、それでも万全の警備体制を布いて。
話し合う前から薄々は分かっていたことなのだが、こうして自分以外の人間と情報を共有し、話し合うことで現実感が湧き、腹も据わってくるというもの。
「これまで幾度も無理難題にはぶち当たってきたが、今回のはここ数年でとびきりだの。だが、やるしかない」
誰にともなく言ったつもりだったが、ハイゼンの言葉に、アダマントも同意するよう頷く。
「目立たぬように、それでも万全の警護を……。やはり暗部を動かすしかありませんな」
街の警備、及び要人の警護も騎士団の役目である。そして、騎士団には影で働く者たち、通称『暗部』も所属している。
暗部の仕事は潜入工作や事前の危機排除など多岐に渉るが、今回のように、周囲に露見することなく要人を警護することなどはその最たるものだ。
「やはりそうなるか。今はどれだけ散っている?」
「半数ほどは。まあ、これは明日中にも大半は呼び戻せるとは思います。ただ、どうしても任務から外れることの出来ぬ者もおります故、そこはご容赦いただければ……」
それは仕方のないことだとハイゼンも頷き、言葉を続ける。
「陛下の方でも護衛は連れて来ると言っているが、お忍び故、数は期待出来んしな。やはり我々の方でやらねばならん」
「ロンダ翁の魔法で移動出来るのは、せいぜい5人が限界。陛下とロンダ翁本人を除けば、護衛は最大でも3人ですか」
風の噂では、ロンダ前侯爵はまだまだ元気で腰も曲がっておらず、今も庭で剣を手に取り孫に剣術の手ほどきをしているのだという。まあ、あくまで噂でしかないのだが、いざとなればロンダ前侯爵も国王を護る為に戦ってくれると見てよい。
だが、それでも4人。国王を警護する人数としては圧倒的に不足している。
国王もその点は理解しているだろうから、今回の警護は数ではなく質で補うつもりなのだろう。
「まあ、連れて来るのは間違いなくヴェンガーロッドであろうな」
「特務騎士ですか……」
そう、王家には直属の隠密組織、ヴェンガーロッド特務騎士隊が付いているのだ。
彼らこそは真なる闇の住人。名を捨て顔を隠し、闇に紛れ影の中で生きる者たち。アードヘット帝国の風や、教会のクザン衆とも比肩すると言われる闇の住人だ。
時に暗殺をも任務とする彼らはいずれも一騎当千の猛者である。そのヴェンガーロッドの騎士が1人でもいれば、並の襲撃者では赤子の手を捻るが如く排除されることだろう。
「もしかすると、虎の子の闇の男を連れて来るやもしれぬな」
ハイゼンがその名を口にした途端、アダマントが驚きに目を見開いた。
「ババヤガ……実在するのですか? てっきり噂話の類かと…………」
凡そ10年くらい前からだろうか。一騎当千のヴェンガーロッドの中にあって、史上最も闇に愛された男、通称闇の男が現れたと、そういう噂が上位貴族の間で囁かれるようになったのは。
10年前といえば、もう取り潰しとなったイオク公爵家とその寄子、そして協調していた貴族たちの大粛清があった時期だ。イオク公爵家は愚かにもウェンハイム皇国に内通しており、あの戦争の折もカテドラル王国の情報を売っていたことが露見したのである。
それ故の大粛清。イオク公爵家子飼いの精鋭たち、そしてイオク公爵本人を暗殺したのが、例の闇の男だと言われているのだ。
これは王弟であるハイゼンだからこそ知る事実なのだが、闇の男は実在している。顔や名こそ知らないが、2人きりになったタイミングで国王がそう言っていたので、ただの噂話ということはない筈だ。
「秘中の秘、故な。貴公もここだけの話と心に仕舞っておくのだぞ?」
信を置いているアダマントだからこそハイゼンも話したが、仮に口の軽い者にでもこの話をして、それが国王の耳にまで届けば、王弟とて消される恐れがある。しかも、世間的には病死や事故死とされて、だ。
「ははは、無論、無論。私も命は惜しいですからな」
闇の男に消される想像をしたのだろう、乾いた笑いを浮かべるアダマント。如何に豪傑であるアダマントとて、何処からどのタイミングで、そしてどんな手を使ってくるのか分からない暗殺者を撃退することは難しいだろう。
まあ、警備に関係ない話はほどほどにして、そろそろ本題の方を進めねばならない。
「さて、今日中にでも警備計画を立てんとな。ナツカワ殿にも頭を下げねば」
ハイゼンたちに残された時間は少ない。もう老齢に差し掛かっているハイゼンではあるが、今日は徹夜も覚悟しなければならないだろう。部下たちには悪いが、彼らにも同じ思いをしてもらわなければならない。
「文官連中には私が招集をかけましょう。大会議室でよろしゅうございますか?」
「うむ、頼んだ。騎士団からも数名頼む」
「ナツカワ殿の店とあらば、セント・リーコンも呼んでおきますか?」
「そうだな……そうしよう」
そうして席を立ち、慌ただしく動き始めるハイゼンとアダマント。
国王の突然の来訪、そこにどんな意味があり、どんな出来事が起こるのか。
何も起こらない、などということはまずあり得ないだろう。
波が立つにしても、どうにか小さな波で収まってもらいたいものだと、ハイゼンはそう願わずにはいられなかった。
※西村西からのお願い※
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
よろしければブックマークと評価【☆☆☆☆☆】の方、何卒宜しくお願いします。モチベーションに繋がります。




