働く人たちにこそ食べてもらいたい辻そばです
文哉が初めてギフトを発動させ、異世界初の辻そばを口にして感動していると、唐突に客が現れた。何やら豪奢な身なりの中年男性2人だ。片方の男性はごつい体格で腰に剣まで差していた。ファンタジーについてはゲームの知識しかない文哉だが、この2人が恐らく貴族と護衛の関係だろうということはすぐに分かった。店の入り口がガラス張りになっているので、外に他の護衛たちが多数いるのも見える。きっと、何処かに行く途中かその帰り道、文哉が出した辻そばの店舗をたまたま発見し、この2人が代表して店内を覗きに来たのだろう。
経緯はどうあれ、異世界に来て早々、初の来客だ。文哉は日本にいた頃と同じよう、丁寧に接客をした。
2人の客はそれぞれ2杯のかけそばを食べた。異世界人にそばが受け入れられるかどうか不安だったが、どうやらかなり喜んでもらえたようで、2人は会話もせずに食事に集中していた。
そばを食い終わり、つゆまで飲み干した2人。その顔は満足そうな笑みに満ちている。そう、この顔だ。この顔を見るのが嬉しくて文哉は辻そばで働いているのだ。
2人が食い終わったタイミングで、おかわりの水を文哉が差し出すと、貴族風の男性が文哉に笑顔を向けてきた。
「店主、馳走になった。ソバとは美味いものだな。移動続きで美食に餓えていたところにこのカケソバ。身に染みたぞ。今は腹に余裕がないので無理だが、次はモリソバなるものも食べてみたいものだ」
「いや、全く閣下の言う通り。店主よ、まこと美味であった。礼を言うぞ」
貴族風の男性に合わせ、帯剣した護衛も満足そうに頷く。
異世界ではあっても、やはり美味いものを食って満たされた人間の顔というのは変わらないものらしい。文哉も満足そうに頭を下げた。
「当店、名代辻そばのそばをお褒めいただき、まことにありがとうございます」
文哉の丁寧な対応に対し、貴族風の男性は微笑を浮かべながら頷き、口を開いた。
「私はハイゼン・マーキス・アルベイル。名前から分かると思うが、アルベイルの領主だ。そして隣のこやつがガッシュ・アダマント。アルベイル騎士団の団長だ」
言いながら、貴族風の男性、ハイゼンは隣に座る護衛を手で差す。すると、アダマントと呼ばれた護衛も呼応するように頷いた。
領主ということは、やはり貴族なのだろう。アルベイルという場所のことは分からないが、外にいる他の護衛たちが大勢いることも考えると、このハイゼンという男性はかなり上位の貴族だと思われる。そして上位貴族ということは庶民よりも舌が肥えているということ。つまり美食家だということだ。そんな美食家を唸らせることが出来たのだから、やはり辻そばは異世界でも通じるのだ。文哉はそう確信し、心の中でガッツポーズを決めた。
心の高揚が顔に出ぬよう自制しながら、文哉は丁寧に頭を下げる。
「御丁寧にありがとうございます。私は当店の店主、夏川ふみ……」
と、ここで海外では姓名逆に言うのだった、恐らくはこの西洋風の異世界でもそうなのだろうなと思い、文哉は「いえ」と自分の名前を言い直した。
「フミヤ・ナツカワと申します」
文哉がそう名乗ると、2人は何故だか驚いたような、或いは困惑したような表情を浮かべた。
「ふむ、家名があるか……」
まるでいぶかしむような顔でそう言うハイゼン。
文哉としては普通に名乗ったつもりだったが、何か引っかかるところでもあるのだろうか。
「家名? 苗字のことですか? 苗字はあるのが普通だと思いますが……?」
地球では、少なくとも日本では誰にでも苗字があるのが普通である。庶民に苗字がないというのは江戸時代までの認識だ。
だから苗字があるのが普通だと言ったまでのことなのだが、ハイゼンは更に考え込むように顔を伏せてしまった。見れば、アダマントまでもが何やら考え込んでいた。
「ふむ、左様か……」
「お客様……?」
一体何をそこまで考え込む必要があるのか。文哉が不思議そうな表情を浮かべていると、それに気付いたハイゼンが苦笑しながら顔を上げた。
「ああ、いや、何、気にせんでくれ。少しばかり考えていただけだ。してな、店主……いや、ナツカワ殿、少しばかり訊きたいことがあるのだ」
「はい、何でしょうか?」
「ナツカワ殿はどうしてまた、このようなところに店を出したのだ?」
「え?」
質問されたところで明確な理由などない。ギフトの確認をしたのがたまたまここだったというだけのこと。答えようにもどう言えばよいのか。
文哉がどうにも言いあぐねていると、それを沈黙と取ったハイゼンが更に言葉を重ねてきた。
「いや、というかどうやってこのようなところに店を建てたのだ? 私の覚えている限り、このような場所に店を出す許可は出しておらんし、無許可で出しているにしても巡回の兵の目を欺いて店を建てることが出来るとも思えんのだ」
「あ…………」
そう指摘されて初めて、文哉は自分が怪しまれていることに気が付いた。確かに、彼らからすれば昨日まで何もなかった場所にいきなり謎の店舗が建ち、その中に見た目からして自分たちとは異なる異邦人がいたのだ。言葉が通じるだけまだ少しは救いがあるものの、これで言葉さえ交わせなかったら、最悪の場合、捕まって投獄されたり、斬り殺されていたかもしれない。そう考えると言葉が通じるようにしておいてくれた神には感謝しなければならない。
ともかく、文哉は自分の現状が非常に危ういものだとようやく自覚した。ここは中世ヨーロッパのような世界なのだ。人の命は21世紀の日本よりも格段に軽い筈。ここから先は慎重に言葉を選ばなければならない。
文哉が緊張した面持ちでゴクリと生唾を飲み込むと、それを見たアダマントが苦笑しながら口を開いた。
「そう緊張せずともよい。店主よ、貴公は恐らく外国人であろう? しからば我が国の法を知らぬも道理。あまりに酷い理由でもなければ閣下も罪には問わんだろう。ここは素直に話してもらえんか?」
言いながら、同意を得るようハイゼンに顔を向けるアダマント。ハイゼンも勿論だと頷くのだが、文哉としては未だ緊張が解けるものではない。
「あ、ああ、ええ……」
何か言わなければいけないのだろうが、下手なことを言ってはいけないと気持ちが焦り、言葉にもならない声が洩れてしまう。
だが、その態度が返って否定的と取られたのだろう、ハイゼンもアダマントも少し眉間にシワが寄っている。
「嫌かね?」
答えを急かすようにハイゼンが訊いてくる。
ここで否やはない。答えなければ状況はもっと不利になるだろう。だが、どう説明すればよいものか。そもそも神によって転生したということを口外してよいものなのか。神は口外してよいとも悪いとも言っていなかったが、文哉の素直な人間性からして下手に嘘をつくとすぐにバレそうな気がする。ここは覚悟を決めて正直に言うしかない。
「あ、いえ……。お話しいたします…………」
意を決して、文哉はこれまでのことを話し始めた。
自分がそもそも異世界人だということ、自分の店で強盗に刺されて死亡したこと、あの世と思しき場所で神に邂逅したこと、その神の手によってこの世界で転生したこと、そして神から『名代辻そば異世界店』のギフトを授かったこと、そのギフトを試している最中にハイゼンたちが訪れたこと。全て話した。
「………………ということでありまして。私はつい先ほど、この世界に来たばかりなんです」
文哉が話し終えると、その場に重苦しい空気が漂い始めた。
ハイゼンとアダマントは話の当初こそ驚いていたものの、話が進むにつれて表情が険しくなっていき、今は完全に押し黙って何事か深く考え込んでいる様子。
こういう様子を見ると、どうにも気が重くなるし不安が湧いてくる。端的に言うと、気が気でない。
やがて、文哉の肺がたっぷりと重い空気で満たされた頃、ハイゼンが静かに顔を上げて口を開いた。
「………………そうであったか。まさか『ストレンジャー』だったとは」
ハイゼンが感慨深げにそう言い、アダマントも同意を示すよう深く頷く。
「ストレンジャー? ですか?」
聞き馴染みのない言葉である。文哉が聞き返すと、ハイゼンはそうだと頷いた。
「異世界からの来訪者のことをそう呼ぶ。異世界の者がこの世界に転生するというのは、珍しいことではあるが、過去にもあったことなのだ」
「え!? そ、そうなんですか!?」
驚愕の事実である。あの神様の性格からして転生させたのは文哉だけではないと思っていたが、やはりそうだったのだ。しかもハイゼンの口振りからすると、転生者は定期的に現れているようだ。
驚く文哉に、ハイゼンは、うむ、と頷く。
「我が国で最後にストレンジャーが発見されたのは今から30年近くも前のことだが、世界的に見ればもっといるのであろうな。そうであったな、アダマント?」
「は。我が国で最後に確認されたストレンジャーは、確か地球という世界のケニアなる国から転生してきたと記憶しております」
「ケニア! アフリカのですか!?」
文哉は思わず驚きの声を上げてしまった。これは文哉の思い込みでしかないのだが、転生者というのは皆、日本人だとばかり思っていた。だが、転生者を選んでいるのは神だ。地球規模で考えれば日本以外の国の者が選ばれても何らおかしなことはない。ただ、それでもケニアというのは意外だったが。
「アフリカ?」
アダマントが不思議そうな顔をしているので説明する。
「地球には、そういう名前の大陸があるんです。ケニアはアフリカ大陸の国家なんです。私は地球の日本という島国から転生してきました」
「ニホン、か。聞いたことのない国だな」
そう言ったハイゼンもアダマントも首を傾げているので、文哉は少なくともこの国で初の日本人転生者なのだろう。この国において文哉こそがそばという日本食文化の先駆者となるのだから、考え様によっては光栄なことだ。
「そのケニアの方が、地球の情報を残したりはしていないんですか?」
文哉が疑問に思ったことを訊いてみると、ハイゼンは首を横に振った。
「何でも転生した当時、そのストレンジャーはまだ12歳の子供だったらしくてな、あまり地球の情報を持っていなかったそうだ」
「ああ、なるほど……」
12歳といえば小学6年生くらいか。遠くアフリカの小学生が日本のことを知らなくても無理はない。下手をすれば大人だとて知りはしないだろう。大卒の文哉ですら地球上のあらゆる国の名前や場所を覚えている訳ではないのだから。
「で、だ、ナツカワ殿。どうだろう、良ければ我が領都アルベイルに来ぬか? アルベイルはかつての王都でな。今は旧王都と呼ばれているが、国内では王都に次いで大きな街だ。住民も大勢おる故、そなたのソバを食べに来る者も多かろう。何より、出来ればそなたを私の庇護の下に置きたいのだ」
大きな街、つまりは都会。都会で働く人たちならば、きっと大なり小なり疲れていることだろう。そういう疲れている人たちにほっと一息つく時間と明日への元気を、そして何より美味しいそばを提供するのが辻そばの仕事だ。ブラック企業時代の文哉もそうして辻そばに救われていた。都会へ行けるというのは大歓迎だが、しかし気になることもある。
「大きな街に行けるというのはありがたいのですが、しかし庇護とは……?」
このハイゼンという貴族の庇護下に入るということは、イコール傘下に入るということだろう。文哉としては出来れば誰の世話になることもなく自由にやりたいものだが、しかしそれが無理なら大人しく庇護下に入るくらいの分別はある。
文哉の疑問に対し、ハイゼンはその理由を説明し始めた。
「この世界にとって、ストレンジャーは良くも悪くも常識外れな存在なのだ。良くない輩に狙われるのを防ぐ為にもそうさせてもらいたい」
「常識外れですか?」
「うむ。神様が手ずから与えたギフトに、異世界の知識や技術。これは少なからず世界に影響を与える強大なものだ。その強大な力を狙う者たちは今も昔も絶えたことがない」
例えば火薬や銃といったものの製造技術や知識ならば脅威と捉えられるのも分かるが、しかし文哉は普通の飲食業だ。大学も文学部だったし、さしたる脅威はないように思える。それにギフトも強力なものではない、というかそもそも戦ったり武器を造ったりするようなギフトでもない。ただのそば屋だ。
「でも、私のギフトはそば屋を出すだけですよ?」
文哉がストレートにそう訊いてみると、しかしハイゼンは首を横に振った。
「そうは言うがな、ナツカワ殿。現に、何もない場所に店を現出させるギフトなど私はこれまで聞いたこともなかったぞ? それに食材を無限に補充出来るというのは、考え様によっては脅威だ。軍隊というのは動く胃袋だからな。食費のことを考えずに済むというのは将からすれば垂涎の能力だ。帝国あたりは喉から手が出るほど欲しがるだろうて。誰の庇護下にもなければ、まず間違いなくそなたの身柄が狙われることになる」
言われてみれば確かにそうだ。文哉に戦う力がなくとも、兵站ということを考えれば文哉ほどうってつけの人材はいない。帝国というのがいまいち分からないが、ともかく文哉を狙うような者に心当たりがあるということだろう。
「そうですか、だから庇護下に……」
「この国……カテドラル王国ではストレンジャーは貴人として捉えられている。そんな貴人を保護するのは貴族の務めでもある。どうだろう、税は取らぬし場所も提供する故、アルベイルに来てもらえんだろうか? そして私を含め、アルベイルの者たちにそなたの美味なるソバを振舞ってもらえんだろうか? ああ、振舞うと言っても無論、タダというわけではない。料金は相応に取ってもらって構わない」
ハイゼンはそう言って頭を下げた。それを見たアダマントはほんの一瞬だけ驚いた様子だったが、彼もハイゼンに倣って頭を下げる。これは文哉の想像でしかないが、きっと、ハイゼンは普段、人に頭を下げるということがないほどに高位の貴族なのだろう。何せかつて王都だった街の領主、下位の貴族の訳がない。
その高位貴族が頭を下げてまで文哉を庇護しようとしてくれている。対面してからこれまでの短い時間でも分かる、彼はきっと悪い人間ではない。むしろ善良な人間なのだろう。権力者特有の驕り高ぶりも感じられない。
ここまでされれば文哉の答えは決まっている。
「分かりました。旧王都、行かせていただきます。不肖の身ではありますが、何卒よろしくお願い致します」
そう言って文哉が深々と頭を下げると、ハイゼンとアダマントはほっと胸を撫で下ろし、笑顔を見せた。
※西村西からのお願い※
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