いきなり即戦力が2人も加入!? 超ラッキーです!!
文哉が営む名代辻そばの閉店時間は午後9時だが、別に9時になったら店内のお客を外へ追い出す訳ではない。もうオーダーは締め切るが、9時になってもまだ食事途中の者がいれば食べ終わるまで待つし、酔い潰れている者がいれば水を飲ませてある程度介抱してから送り出す。
また、お客の側も基本的には店のルールを守るので、午後9時までには飲み食いが終わるようにする者が殆どだ。
が、この日は珍しく違った。
午後9時の閉店時間になっても、お客が2人ほど残っていたのだ。男女のお客。しかも、どちらも酔客ではない。酒は飲まず食事に来ただけのシラフのお客だ。
もう料理は食べ終わっている筈なのに、2人は並んで席に座ったまま立ち上がろうとしない。
本日の調理作業が全て終わり、10分ばかり店内の様子を窺っていた文哉。
もう他のお客は全員帰ったというのに、頑なに帰ろうとしない2人に、文哉は不思議そうな顔を向けてる。他の従業員たちも困惑したような顔を向けるばかりだ。
こういう妙な様子のお客と遭遇するのは、この異世界においては初めてのこと。
ここは店長である自分が対応すべきだろうなと、文哉は意を決して2人に声をかけた。
「お客様方、もう閉店時間なのですが……」
と、文哉が厨房から出て来るのを見計らっていたかのように2人が並んで立ち上がる。
「あんたがここの……ナダイツジソバの店長さんかい?」
そう文哉に訊いてきたのは、牛のような耳をした小柄な女性だ。ついこの間来店したような、ビーストとの混血という人種だろうか。
まさかとは思うが、もしや文哉に何かしら文句でもあって残っていたのだろうか。或いは料理に文句でもあるのか。
辻そばの料理については絶対の自信があるものの、日本にいた頃はクレーマーのようなお客も確かにいた。
「え、ええ……左様でございます。私が店長のフミヤ・ナツカワです」
若干緊張した面持ちでそう名乗ると、2人は何故だか揃って文哉に頭を下げた。
「え!?」
いきなり何だと文哉が驚いていると、2人が同時に口を開く。
「あたしを!」
「私を!」
「「ここで働かせてください!!」」
「えええぇッ!!!!?」
予想もしていなかったまさかの事態に文哉が驚いていると、2人も何故だかお互いの顔を見つめ合って驚いている。
「えッ!? あ、あんたもなの?」
「まさか貴女もだなんて……」
「え……これ…………どういう状況?」
彼女らも困惑しているようだが、もっと困惑しているのは文哉の方だ。見れば、ルテリアら他の従業員たちも困惑している様子。
「あの……お二人とも、これはどういうことなんでしょうか?」
文哉が顔色を窺うように静かに声をかけると、2人はそれぞれ自身の事情を語り始めた。
まず、若い女性の方、彼女の名はアンナ。街の大通りにある老舗食堂、大盾亭の料理長ガンド氏の長女で、自身も料理人として日々店の厨房で腕を振るっているのだという。
彼女は大盾亭の料理に絶対の自信を持っており、それを自身の誇りとしていたらしいのだが、大盾亭という小さな世界で完結するアンナの料理に対し、父と兄が不勉強と視野の狭窄を指摘、そして勧められるがまま勉強の為に名代辻そばを訪れ、その料理の異質な美味さに驚愕したのだそうだ。
このままでは早晩大盾亭の客足が途絶え、名代辻そばの1人勝ちになってしまう。この店で初めて料理を食べた時、彼女は強くそう思い、危機感を抱いたのだという。だから名代辻そばの厨房から少しでも多くのことを学び、大盾亭の為にその技術と知識、そして経験を活かしたいとのこと。
商売敵だと分かっている人物に塩を送るような形になることは重々承知している、だが、それでも名代辻そばで働かせてほしいと、彼女はそう訴えてきた。
そして厚かましいのだが、大盾亭を辞めるつもりもないので、日数を限定するか時間帯を限定するかで働かせてもらいたいとも。日本で言うところのアルバイトやパート勤務を希望しているのだろう。
そしてもう一方、男性の方の名はアレクサンドル・バーベリ。何と彼は貴族街の超一流店、この旧王都で最も有名なレストランであるラ・ルグレイユでスーシェフ、つまり副料理長を現役で務めているのだそうだ。
彼は以前から漠然と独立して自身の店を構えることを目標にしていたそうなのだが、先代のシェフが勇退し、新シェフが他所から就任したことで独立の意思を固めたのだという。
ただ、独立するにしてもラ・ルグレイユの調理技術や知識しか自分にはないと自覚しているそうで、もっと自分の武器になるようなオリジナリティを求め、ここ最近は他店の食べ歩きをしていたのだそうだ。
そんな折、名代辻そばの料理に出会い、他の追随を許さぬ独自性に深く感銘を受けたというアレクサンドル。
彼はこの名代辻そばでなら自分にはない新たな血を取り込めると思い至ったそうで、独立前の最後の修行としてここで働きたいのだそうだ。
ちなみにアンナとは違い、辻そばで働くとなればラ・ルグレイユはすっぱり辞めるとのこと。
一流レストランのナンバーツーにまで上り詰めた男があっさりとキャリアを捨てることがどうにも勿体ないと文哉などは思うのだが、意外にも本人にはさして未練がないそうだ。
全く、思いもよらなかった従業員応募ではあるが、冷静に働いている頭の一部が、これは好機だと文哉に告げている。
文哉も含め、今現在、従業員は4人しかいない。彼らの人となりは全く知らないが、新たな従業員を雇うことはずっと考えていたのだ。
それに何より、彼らはそれぞれ飲食店での勤務を長年に渡り経験している。しかも厨房での調理経験も豊富で、そんな彼らが名代辻そばの知識や技術を渇望しているのだ。
好都合と言ってしまうと少し人聞きが悪いので、渡りに船とでも言うべきだろうか。この2人を雇えば、必ず辻そばの戦力になってくれることだろう。それも即戦力に。5年もブランクがあったチャップとは違い、彼らは現役の料理人。しかも2人とも一流の腕を持っている。
何より、厨房で調理を担当してくれる従業員が一度に2人も増えるということが良い。和食の調理は旧王都で一般的な洋食風のそれとは少し違うだろうが、この2人ならばそこまで苦もなく習得してくれる筈だ。そう遠くない未来、文哉抜きでも厨房を回せるようになるのではないだろうか。
アンナとアレクサンドル。この2人が店に加わってくれれば、必ずや今よりもっと店を盛り立ててくれる筈。
それに何より、チャップと合わせてこの2人が育ってくれれば店にも余裕が出来、待望の休日も作れるようになるだろう。厨房だけではない、彼らだけで店を回せるようになれば、店長である文哉が休日を得ることも不可能ではない。
昼まで寝るも良し、朝から酒を飲むも良し、日がな1日ゴロゴロしているも良し、これまで忙しくて出来なかった街歩きをしてみるも良し。
いずれも些細な願望ではあるが、夢は膨らむばかり。
待望の休日への道は今、開かれたのだ。
緊張した面持ちで返事を待つ2人の顔を交互に見てから、文哉は表情を正して口を開く。
「…………お2人の熱意、十二分に伝わりました」
「「………………」」
2人とも、真剣な表情で文哉の言葉の続きを待っている。
「突然のことで驚きましたが、お2人とも、是非とも私たちと一緒に働いていただきたいと思います」
文哉がそう告げると、2人は顔を見合わせて喜び、そして揃って頭を下げた。
「「よろしくお願いします!!」」
2人とも、同業だけあってちゃんと礼節を弁えている。この分であれば厨房だけでなく接客の方も問題はなかろう。心強いことだ。
「アンナさん、アレクサンドルさん、お2人の働きに期待しています。これから一緒に頑張りましょう」
「「はい!!」」
やる気に溢れた2人の返事に、文哉も満足そうに頷いた。
新たに6人体制となった名代辻そば異世界店はどうなっていくのか。
文哉自身も楽しみで仕方がなかった。
※西村西からのお願い※
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