ラ・ルグレイユ副料理長アレクサンドル・バーベリと常識を破壊するカレーかつ丼①
バーベリ伯爵家の一人息子として生まれたアレクサンドルがアードヘット帝国を追われてカテドラル王国に逃れたのは、弱冠15歳の頃のことだ。
それまでバーベリ伯爵家の跡継ぎとして勉学に励んでいたアレクサンドルだったが、ある日突如として父が捕らえられてしまい、そのまま処刑、バーベリ伯爵家は断絶となり、残されたアレクサンドルと母は国外追放となってしまった。
あまりにも突然に起こった不幸の連続に、当時のアレクサンドルは理解が追い付かなかったのだが、どうやらこの一連の出来事には裏があったらしい。それをアレクサンドルに教えてくれたのは、他ならぬ母である。
母によると、父は政敵に嵌められ、冤罪で処刑されたようなのだ。
バーベリ伯爵家は帝都に居を構え、代々法務に従事してきた文官系の法衣貴族。アレクサンドルの父は不正が疑われる貴族の内偵を仕事としていたのだが、どうも内偵中に下手を打ったらしく、内偵先の悪徳貴族に嵌められ、逆に汚職の疑いをかけられ、偽の証拠まで用意されて罪に問われたのだそうだ。
普通であればこの疑惑についても調査がされるところなのだが、どうやら当時の法務局長が悪徳貴族に抱き込まれていたらしく、まともな調査がなされぬまま処刑へと至ったらしい。御家の断絶や国外追放は、暗に見せしめとされたのだろうと。
悪徳貴族と法務局長含む抱き込まれた貴族たちの罪が明らかになり、粛清されたのは、御家断絶から10年も後のことであった。
無事に冤罪が証明され、アードヘット帝国へ帰ることを許されたアレクサンドル。しかしアレクサンドルは帰国を望んでいた母だけを帰し、自身が帰ることはなかった。
何故なら、アレクサンドルはすでに貴族ではない別の道を進んでおり、そこで骨を埋めるつもりだったからだ。
あの追放劇の当時、アレクサンドルと母が逃れたのは、隣国カテドラル王国であった。フラム公国をはじめとする属国では、父を嵌めた悪徳貴族の手が伸びる心配があり、彼らが容易に動けぬ国に行く必要があったのだ。
不幸中の幸いとでも言うべきか、追放先の国は自分たちで選べたので、母子2人は着の身着のままカテドラル王国に向かったという次第。そして流れ着いたのは、かつての王都アルベイル。
母は根っからの貴族令嬢で、労働の経験がない。授かったギフトも『冷気無効』という冷気による攻撃を無効化するもので、日常生活や仕事を得る上で役に立つものではなかった。
対して、アレクサンドルが授かったギフトは『常旬』という、触れた食材を季節に関わらず最も美味い旬の状態に変化させるというものだった。まさに料理人垂涎のギフトである。
アードヘット帝国の帝都には貴族の子弟が通う学院があるのだが、そこでは学友たちから随分と、貴族としては役に立たないギフトを授かったな、と言われたものだ。貴族など辞めて料理人になれよと、そうからかわれたことも一度や二度のことではない。
当時は笑って流していたものだが、何の皮肉か、アレクサンドルは彼らの言葉通り料理人になった。
手に職のない元貴族の少年が生活力のない母を養う為には、ギフトの力を活かす道に行くしかなかったのだ。
幸いにして、アレクサンドルはさして苦もなく職を得ることが出来た。雇われた先は、アルベイルでも1番のレストランと言われる貴族街の一流店ラ・ルグレイユ。主に裕福な上位貴族や豪商を相手にする店だ。
礼節を弁えた元貴族という経歴を考慮され、まずは下働きとして採用されたアレクサンドル。
ギフト先行で選んだ仕事ではあるが、いざ働き始めると、これが意外なほど肌に馴染んだ。
人に傅かれる貴族という立場から、人に奉仕する料理人という立場へ。しかし食材と真摯に向き合う調理という真剣勝負、これは貴族としての勉強などより遥かに面白く、お客がアレクサンドルの料理を食べて美味いと言えば、勝負に勝ったという満足感があった。
最初の頃は野菜の皮むきや仕入れの荷物持ちのような仕事しかやらせてもらえなかったのだが、それでも料理店で働くことは辛さより面白さの方が断然勝っていた。食材のポテンシャルを最大限引き出すアレクサンドルのギフトが重宝がられ、他の下働きたちよりも厨房に立つ機会が多く与えられたことも、仕事が好きになった要因として大きい。
ギフトの力もあり、若輩ながらメキメキと頭角を現し始めたアレクサンドル。
たった1年で下働きから見習いに昇格すると、その2年後には正式な調理師に昇格、そこから更に7年で厨房のナンバーツーであるスーシェフ、他の店で言うところの副料理長にまで上り詰めた。
そして、スーシェフになったのとほぼ同じタイミングで父の無実が証明され、バーベリ伯爵家は再興されることとなり、母は生まれ育ったアードヘット帝国に帰ったのだが、アレクサンドルは前述の通りカテドラル王国に残ることにした次第。
無論、母は一子であるアレクサンドルにも一緒に帰るよう懇願したが、しかしアレクサンドル自身は御家の復興と言われても今更といった感じでしかなく、アルベイルで築いてきた料理人としての生活を捨ててまで帝国に戻りたいとは思えなかった。
アードヘット帝国は確かに故郷ではあるが、正直なところ良い思い出のある土地ではない。学友たちにはからかわれ、馬鹿にされ、母には口を酸っぱく勉学を強要され。息が詰まるような日々ばかりで楽しいことなど何もなかったところへ父の謀殺と国外への追放。
とてもではないが、故郷に愛着など持てなかった。
むしろ、他国でありながらアレクサンドルを受け入れ、生きる場所と生き甲斐を与えてくれたカテドラル王国にこそ愛着を抱いているくらいだ。
だから、母には親戚から養子でも取るよう言い、自分は料理人を続ける為、1人でカテドラル王国に残った。
そして、そこから更に10年。
あれから厨房のトップ、シェフは代替わりしてオーナーの五男になったが、ナンバーツーは相変わらずアレクサンドルが務めていた。
ラ・ルグレイユのオーナーは王都を本拠地としているカシアン公爵。その公爵が、家を継ぐこともなく、また、与えてやれる爵位もない五男をシェフに据えたという訳だ。
このオーナーの五男なのだが、料理人としては特筆すべきところのない凡百の男だった。可もなく不可もなく。修行はそれなりに積んできたようだが、どうにも料理に独創性が感じられず、また、料理に対する情熱というものもあまり感じられなかった。
きっと、親に言われて望まず料理人になったのだろう。察するに、文官にも武官にも向かず、政略結婚先で肩身の狭い思いをするのも嫌、ならば親が用意してくれた料理人の道に行く方がまだマシ、といった感じではなかろうか。
料理人としての実力的にはアレクサンドルの方が圧倒的に上。
この決定に従業員たちからは随分と不満が出たのだが、オーナーの決定に否やを唱えることも出来ず、結局は腕や経歴も考慮されず五男がシェフとなったという訳だ。
長年ラ・ルグレイユの屋台骨として活躍してきたアレクサンドルではあるが、このシェフの交代劇前後から具体的に独立を考えるようになっていた。
前々から漠然とは考えていたのだ。いずれ自分の店を持ちたい、他の誰でもない自分のオリジナル料理でメニューを埋め尽くし、ラ・ルグレイユを超える街一番のレストランを作ってみたい、と。
ただ、考えてはいても、いざ実行に移すとなると容易に退職を告げることなど出来なかった。異邦人であった自分を受け入れ料理人として育ててくれたラ・ルグレイユに、そして自分に技術と料理人の心得を伝授してくれた前シェフに恩があるからと躊躇していたのだ。
だが、大恩ある前シェフは勇退、周りからは彼の跡を継ぐのはアレクサンドル以外にいないとまで言われていたのに、オーナーは経歴や技術、人間性ではなく身内であるということを優先させた。
結局のところ、この出来事が店を辞めるという決意を後押ししたのだが、しかしアレクサンドルは未だラ・ルグレイユに留まっている。いざ自分の店を構えるにしても、その準備が十分に出来ていないからだ。
無論、資金はあるし、技術もある。店を構える場所にも当たりは付けている。
だが、今のまま独立しても、アレクサンドルの店はラ・ルグレイユの支店のようなものにしかならないだろう。
アレクサンドルの技術も知識も、全てはラ・ルグレイユから得たもの。厨房のトップであるシェフならば自分のオリジナルをメニューに載せることも出来るのだが、スーシェフ止まりだったアレクサンドルはお客に出すオリジナル料理を作ったことがない。圧倒的にオリジナリティが欠けている。
ラ・ルグレイユにはない独自性を獲得する為、アレクサンドルは店に留まって働きながら、平行して暇を見つけては他店へ足を運ぶようになった。
例え同じ場所、同じ客層を狙った店だとしても、料理店にはそれぞれ大なり小なり独自性というものがある。その独自性に少しでも触れることで、アレクサンドルは自身の独自性を獲得しようと思い立ったのだ。
貴族街に店を構える他のレストランだけでなく、名物料理があると聞けば平民向けの大衆食堂や屋台にも足を運んだ。
意外なことに、レストランではない大衆食堂の方がより学び得るものが多かったのだが、中でもアレクサンドルが一発で魅了され、それからゾッコンになった店がある。旧王城の城壁に店舗を構えるナダイツジソバだ。
去年の初夏頃に開店したというこの食堂は、アレクサンドルの知識には全くない、独自性の塊のような料理をいくつも出している。
魚と海草のスープに、謎の穀物で作った麺を沈めた料理、ソバ。
数多の香辛料を練り合わせて具材を煮込み、ソバとも別の穀物と一緒に盛り付けた料理、カレーライス。
大量の食用油で揚げたコロッケやテンプラ。
また、料理だけではなく酒すらも一級品で、とてつもなく美味いラガーを出す。
しかも、しかもだ、この店は行く度に新メニューが増えているのだ。短い間に絶え間なく進化していくのだ。
現状に驕ることなく常に新たな美味を模索するその姿勢は、アレクサンドルにとっても理想的な料理店の在り方である。
先日追加された新メニュー、カツドンもまた絶品であった。
だが、同時に見つけた新メニュー、カレーカツドン。問題はこれなのだ。
カレーライスは美味い。カツドンも美味い。どちらも同じ純白の穀物を使っているし、味の下地も同じ魚と海草のスープだ。
だが、この2つは明確に味の方向性が異なっている。片や香辛料の複雑な刺激、片や肉と卵による絶妙な調和。
美味いものと美味いものを合わせたら、より美味いものが完成する。そんなのは素人の考えだ。味の方向性が異なるもの同士をかけ合わせても美味くなる訳がない。絶対に味が喧嘩をする筈なのだ。
これまでずっと独自の道を行くナダイツジソバに、そして常識を打ち破るような独創性を発揮してきた店主に敬意を抱いてきたアレクサンドルではあるが、流石にこのカレーカツドンについては我が目を疑わざるを得なかった。こんなものが美味い筈がない、店主はどうしてしまったのだ、と。
ナダイツジソバの店主はアイデアに詰まって自棄になっているのではないかと邪推したほどだ。
当然、アレクサンドルも頼もうとは思わなかったし、今に到るまで食べたこともない。
しかし、時間が経つにつれてこう思うようになってきたのだ。
ナダイツジソバの店主がメニューとして採用しているのだから、そこには余人には計り知れぬ何かがあるのではないか、大いなる意味があるのではないか、と。
日に日に大きくなっていく、カレーカツドンへの想い。
近頃では厨房で仕事をしていても不意にカレーカツドンのことが脳裏をよぎるほどだ。
このままずっとカレーカツドンのことばかり考え続けるのは絶対に良くない。カレーカツドンが美味いにしろ不味いにしろ、一度現物を食べて自分の中のモヤモヤしたものをスッキリさせなければ気疲れしてしまう。
今日は店が終わったらナダイツジソバに直行してカレーカツドンを食べる。必ず食べる。
そう心に決めて、アレクサンドルは早朝の貴族街を職場に向かって歩き始めた。
※西村西からのお願い※
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