老舗食堂『大盾亭』料理人アンナと常識を覆すかつ丼セット②
30数年前まで、アンナの父、ガンドはダンジョン探索者をしていたそうだ。
父の実家は田舎町で食堂を開いていたそうなのだが、国境線に近かったこともあり、ウェンハイム皇国との戦争によって町自体がなくなってしまったのだという。
デンガード連合からこのカテドラル王国に移住した牛のビーストの祖父と、ヒューマンの祖母が苦労して開いた食堂だったのだが、一家は戦火に焼かれる直前で町を捨て、どうにか当時の王都、今現在の旧王都アルベイルに避難し、まだ若かった父は食堂を再開する資金を得る為、ダンジョン探索者になったそうだ。
父は、本当はもっと危険の少ない堅い仕事、それこそ料理関連のそれに就きたかったらしいのだが、当時はまだ混血が色眼鏡で見られており、来る者拒まずのダンジョン探索者以外には稼ぎ先がなかったとのことだった。
アンナ自身はビーストのクォーターなので混血の特徴も薄いが、それでも子供の時分には近所の子たちに随分と牛扱いされて悪口を言われたものだ。きっと、父の時代はもっと強烈なことを言われていたに違いない。
と、それはさておき、当時の父ガンドは上級探索者パーティーに所属していたそうで、巨大な金属製のラウンドシールドを持ち、戦いとなれば誰よりも前に出て仲間たちのことを守っていたのだという。
父曰く『大盾』のガンドと言えば当時は知らぬ者のいない有名探索者だったそうなのだが、アンナにしてみればそう言っているのは父本人だけで、他人から『大盾』などと父の二つ名を聞いたこともなければ、当時の活躍を聞いたこともない。若い頃にダンジョン探索者をしていたのは本当なのだろうが、その活躍や名声については恐らくは父が話を盛っているのだろうと、アンナはそう思っている。
ダンジョン探索者時代、父はパーティーの炊事を担当していたそうで、ある時、魔物の攻撃で持っていた鍋を壊されてしまい、仕方なく自身のラウンドシールドを鍋代わりにして食材の調理をしたことがあったのだという。この逸話は父自身の口から耳にタコが出来るほど聞かされているのだが、アンナも兄もそんな話は眉唾モノだと疑っているし、すでに亡くなった母も生前に、あれは父が見栄を張って吹かしているだけだろうと笑っていた。そもそも盾を鍋の代わりになど使える訳がないし、強引に鍋の代わりにしたとして、その後はベタベタヌルヌルしてとても盾として使い続けることなど出来なかっただろうと。
今日店で使われている鍋は上記の逸話を元に大盾を模したものになっているのだが、それは多分、父が店の宣伝をする為のものだったのだろう。父の中ではあくまで自分の本職は料理人であり、ダンジョン探索者は資金稼ぎの為にやっていたに過ぎないという想いがあったに違いないと、アンナはそのように考える。そうでなければこうも計画的に大盾にまつわるエピソードを利用出来る筈がない。
十分に資金が貯まると早々にダンジョン探索者を引退し、この旧王都の大通りに今日まで続く老舗食堂、大盾亭を建てた父ガンド。ダンジョン探索者時代の野営で習得した豪快な鍋料理はお手頃な値段と気前の良い大盛りで今も店を訪れるお客に愛されている。
自分の実家、大盾亭こそがこの旧王都で1番の食堂であり、貴族街のレストランにも負けていないと、アンナはそう思っているのだが、例年に比べて去年からどうも客足が減っているように見えた。
無論、それは店が傾くほどのことではない。いつもは平日だろうが常に満席だったテーブルにいくつか空きが見えるようになってきた、という程度のことだ。基本的に客足が途切れることはないし、店の味が落ちた訳でもない。
料理人として店の厨房に立つアンナの舌に狂いはないし、次期料理長の兄も、現料理長の父も店の味に変わりや狂いはないと言っている。
ならば、この客足の減少は何なのか。店の味が落ちている訳ではないのなら、不景気で客足が若干遠のいているのだろうか。アンナはそう思って父に訊いてみたのだが、開口一番、
「馬鹿たれ」
と呆れたように言われてしまった。
その隣にいた、アンナよりひと回りほど年上で、今年30歳になる兄、ガルドも苦笑していた。
父の代わりに答えるよう、兄が口を開く。
「アンナ。最近、外食したかい?」
そう訊かれて、アンナは思わず首を傾げてしまった。
「外食? うちの料理がアルベイルで1番美味いのに、どうして他所の店で食わなきゃなんないのさ?」
大盾亭はアルベイルで1番の食堂だ。他の食堂はそれより腕も味も落ちる。また、ラ・ルグレイユのような貴族街のレストランは確かに美味いとは思うが、あれは金に糸目を付けず高級食材を仕入れ、それを惜しむことなくふんだんに使っているからであって、純粋な料理人としての腕は大盾亭の方が上だと、アンナはそう思っているし、そのことに大盾亭の料理人として誇りも持っている。
しかしながら、アンナがそう言った途端、父は明らかに落胆したような表情を浮かべた。見れば、兄までもが何とも言えぬ表情で苦笑している。
「アンナ、お前なあ……」
「な、何だよ……」
自分は間違ったことや頓珍漢なことを言ったつもりはない。だというのに、父のこの残念なものを見るような目は何だ。
アンナが大いに混乱していると、父は大きく「はぁ……」とため息をついてから口を開いた。
「ガラじゃねえから説教くせぇことは言いたくねえんだけどよう、お前、自分が小さくまとまっちまってるって自覚あるか?」
言われた瞬間、アンナは思わずムッとして眉間にしわを寄せる。
「はあ? 何だよ、それ!」
アンナはまだ18歳の若造だが、それでも店では腕を認められて正式な料理人として働いている。しかも店で唯一の女性料理人。店には他にも10代の若者たちが働いているのだが、その大半はまだ客に出す調理を担当させてもらえない、まかないなどで腕を磨く見習いだ。
言っては何だが、アンナは自分こそが最も父の色を濃く受け継いでいると思っている。それは何も性格のことだけではなく、調理の技術やその味、料理人としての思想も全て含めてのことだ。豪快な性格と、それに反する繊細な調理、求める味は1度きりのインパクトではなく、飽きの来ない、長く店に通ってもらえるような馴染み深いものを。
料理人として常に父の背を見続け、常にその背を追って来たアンナ。
店は兄が継ぐことになっているが、父の志はアンナが継ぐ。そのつもりで今日までやってきたのだ。
それなのに、父はそのことを評価するでもなく、小さくまとまっているなどと辛辣な言葉をぶつけてきた。こんなことを言われて憤りを覚えぬ訳がない。
「あたしの腕が悪いって言いてぇのか!」
アンナが語気荒く言うと、父は「そうじゃねえ」と前置きしてから言葉を続けた。
「お前は、若い割には確かに腕は悪くねえ。まあ及第点ってとこだ」
「あ、僕が18の頃よりは良い腕だと思うよ?」
言葉の隙間を縫うようにして兄がそう付け加えたもので、父が「こら!」と兄にげんこつを落とす。
「余計なこと言うな、ガルド!」
蹲って「痛い……」と呻く兄を横目に、腕を組んで鼻から太い息を吐く父。
今ので大分気勢が削がれ、沸騰しかかった心も若干落ち着いたが、それでも父の言葉は腑に落ちない。
「あたしが小さくまとまってるって、どういうことさ?」
「うちの味は確かに守れてる。お前の料理は間違いなく大盾亭の味だ。客に出しても恥ずかしくねえもんだ」
「だったらどうして……」
そんなことを言うのかと、アンナがそう言おうとしたところ、それを制するように父が先に口を開く。
「だけどよ、それだけなんだよ、今のお前は」
「は?」
「お前がやってることは、俺の模倣でしかねえんだよ」
「店の味を守ってるのに何が悪いんだよ? うちの店の味がこの街で1番なんだから、親父の味を受け継いでいくことが一流の料理人になる道で間違いない筈だろ?」
引退の迫る父に代わり、兄と2人で大盾亭の味を守っていく。それはつまり、父の味の再現に他ならないと、アンナはそう考えている。
だが、父はあたかもそれが間違いであるかのようなことを言う。アンナには意味が分からなかった。
「俺の味を受け継ぐってのは別に悪いことじゃねえさ。だがな、そこで止まっちまうのが良くねえんだよ」
「どうしてさ」
「そっから先の進歩がねえからだ。このままじゃ大盾亭っつう、小さな世界しか知らない料理人になっちまうんだよ、お前は」
「あ……」
アンナにもようやく、父が何を言わんとしているのかが見え始めてきた。
ダンジョン探索者として世界各国を旅し、様々な食材や料理に触れ、それを自分の料理に落とし込んで大盾亭という形にした父。兄も父の言い付けで20歳から5年間ほどデンガード連合に料理の修行に行っていた。
だが、アンナが知っているのは大盾亭のみだ。同じアルベイルの街の食堂にすら大して足を運んでいない。
父が言った、小さくまとまっている、という言葉。この言葉の意味するところは、アンナの料理人としての了見とでも言おうか、見識の狭さなのではないだろうか。
そのことに気付き、唖然としているアンナに対し、父は深く頷いて見せる。
「俺の模倣で止まっちまったら、お前は結局俺の複製品で終わっちまう。俺ぁよ、お前にはちゃんと自分の道を歩いてほしいんだよ。この店だけの常識に縛られず、もっと色々なことを学んで自分の歩む道を見つけてもらいてぇんだよ」
「親父……」
多少鈍感なところのあるアンナにも分かる。これは父の、滅多に見せぬ親心だ。
「親の欲目もあるんだろうが、ガルドもお前も、俺よりずっと才能がある。うち以外の味も学んで自分の血肉にしろ。もっとでっけぇ料理人になれ。うち以外にも美味い店はいくらでもあるんだからな」
父はいつもぶっきらぼうだし、言葉も辛辣だ。だが、決して理不尽なことは言わないし、今もこうして子を想う親心からアンナに説教をくれている。
これに対してまだ反論をするのなら、それはもう親不孝だ。
それに何より、アンナ自身が父の言葉に納得してしまった。自分がどれだけ了見の狭い料理人だったのかということに。
「………………」
悔しいやら情けないやら、アンナは両の拳をギュッと握って俯いている。
そんなアンナに対し、父は話題を変えるよう口を開いた。
「そういえばお前、うちの店の客足が落ちたこと気にしてたよな?」
「う、うん……」
「ありゃあな、ナダイツジソバだよ」
「え? 何て?」
「ナダイツジソバに客足が流れてんだ」
そう言われても、アンナにはそのナダイツジソバというのが何なのかが分からない。
父の言葉から察するに、恐らくは食堂か何かなのだろうが、アンナはそんな店のことなど全く知らない。最近出来た新しい店だろうか。
「あそこの店、大人気だもんね。珍しい料理ばっかりで、どれも凄い美味しいし」
ゲンコツされた頭を痛そうに撫でながら、兄もそう言う。
「兄貴もその、ナダイなんとかって店のこと知ってんの?」
「こう見えて、休みの日には勉強も兼ねて他の店に行ったりもしてるんだよ、僕?」
「そう、だったんだ…………」
今、初めて知ったのだが、デンガード連合での修行を終えた今も、兄は店の外での学びを欠かしていないようだ。
やはり、アンナは父の言うように小さくまとまってしまっているらしい。
「アンナよう、お前もナダイツジソバに行ってみろ。あそこの料理は俺らの料理とは全く違う。食えば必ずお前の、料理人としての血肉になる筈だ」
高級レストランではない、大衆向けの食堂というものにはそうそう独創的な料理など置いていないのが常識であり、大盾亭のように独自の名物料理があるという方が珍しいのだが、父や兄の言葉が本当ならば、そのナダイツジソバという店にはそんな料理がいくつも存在するということになる。
はたして、そんな店が本当にあるのだろうか。父や兄の言葉を疑う訳ではないが、実物を見ていないのでどうにも想像がつかない。
「そのナダイツジソバってのはどんな料理を出す店なんだよ?」
兄は珍しい料理ばかりを出すと言っていたが、具体的に何を出すのかということは言っていなかった。父もそうだ。
扱っている食材が珍しいのか、それとも料理そのものがアンナの知識外のものなのか。
これが高級レストランであるのなら珍しいのは食材の方だと見当が付くのだが、ナダイツジソバというところは恐らく大盾亭と同じ食堂だ。大衆向けの食堂では、基本的に値の張る食材はあまり扱わないし、そういう食材は客層にも合わない。
であるならば、やはり珍しいのは料理の方だろうか。しかし大衆食堂で父や兄を唸らせるほどの珍しい料理とはこれ如何に。
「そうさな……。とりあえず、カツドンセットってのを食ってみろ。ありゃあ俺らの常識が覆る」
考え込むアンナに、父がそう告げた。
カツドンセット。これまで聞いたこともない料理だ。恐らくは高級レストランにすらそんな料理はないだろう。
父ほどの料理人に、常識が覆るとまで言わせるカツドンセットとは何なのか。
何か途方もないものを前にしたような感じがして、アンナは思わずゴクリと息を呑んだ。
いつも拙作『名代辻そば異世界店』をお読みくださり、まことにありがとうございます。
実は本作の書籍化作業の忙しさがピークに達しておりまして、この忙しさが3月一杯まで続くことになっております。
読者の皆様には大変申し訳ないのですが、書籍化作業の締め切りを守る為、本作の更新はしばらく不定期とさせていただきたく存じます。
恐らくは4月に入れば忙しさのピークも過ぎるのでいつもの更新頻度に戻れると思うのですが、それまでは不定期更新でご勘弁ください。
筆者といたしましても大変心苦しいのですが、読者の皆様におかれましては、何卒、ご理解をいただきたく存じます。