最近お疲れ気味の騎士団長ガッシュ・アダマントとスタミナ抜群のかつ丼③
いつもの冷たい水を飲みながら待つこと数分。
盆に大きなどんぶりを4つも乗せたルテリアが厨房からやって来た。
「お待たせいたしました、こちら、かつ丼になります」
ゴトリ、と重量を感じさせる音を響かせながら、アダマントたち4人の前に待望のカツドンが置かれる。
「おお、これが……ッ!」
カツドンなのかと、アダマントは感嘆にも似た心持ちで目の前のどんぶりを覗き込んだ。
内側が朱塗りになった漆黒のどんぶり。その中に堂々鎮座するのは、はたして、半熟の卵でコーティングされたコロッケだった。
いつもより少しばかり大きいだろうか、食べやすいように切れ込みが入ったコロッケ。
立ち上る香りはソバのスープのものに酷似している。これは恐らく、味付けにソバのスープにも使われている食材が流用されているのだろう。つまりはナダイツジソバに通う者たちにとって馴染みの味だということだ。
カツドンの半分はコメだとセントが言っていたが、そのコメが見当たらない。恐らくは並々盛られたこの卵とコロッケの下に隠れているのだろう。
美味そうだ。実に美味そうだ。
が、アダマントは不思議そうに小首を傾げた。
「……すまんのだが、ルテリアさん?」
アダマントが顔を向けると、丁度セントのカツドンを配膳し終わったルテリアがこちらに向き直った。
「はい、何でしょう?」
「私は、このカツドンというものが肉料理だと聞いていたのだが、これはコロッケではないか?」
そう、気になったのはそこなのだ。
セント曰く、カツドンは重厚な肉の料理。確かにコロッケにも挽き肉が使われているが、あれは肉料理というよりもジャガイモの料理。肉料理と言うには少しばかり無理があるように思える。
アダマントが質問すると、ルテリアはほんの一瞬、何故だか、ふ、と苦笑した。
「ああ、それ、コロッケじゃないんですよ」
言いながら、どんぶりの中央に位置するコロッケらしきものを指さすルテリア。
「ん? そうなのか?」
ルテリアは違うと言うものの、見た目はまんまコロッケだ。形はいつもより多少歪ではあるが、しかしコロッケ以外のものとは到底思えない。
だが、アダマントの考えに反し、ルテリアは「ええ」と頷いて見せる。
「同じ揚げものだから見た目は似てますけどね、それはトンカツなんですよ」
「トンカツとな……?」
トンカツ。聞いたことのないものだ。
カツドンのカツの部分が、つまりはトンカツだということは何となく察しがつくものの、これがどう肉に結び付くのだろうか。
アダマントがそんなことを思っていると、ルテリアが微笑を浮かべながらその答えを口にした。
「はい。トンカツはですね、豚のお肉にコロッケと同じ衣を付けて揚げたものです」
聞いた途端、アダマントは「ほう!」と感嘆の声を洩らす。
「そうだったのか。コロッケ以外にも同じ作り方をする料理があったのだな」
細かく挽いた肉とペコロスを炒めたものを潰したジャガイモと混ぜ、パンを摩り下ろした粉を付けて油で揚げた料理、コロッケ。
まさかあのパンの粉を肉にも付けるとは、思ってもみなかったことだ。
だが、考えてみればあのサクサクと香ばしい衣は確かに肉にも合うだろう。肉だけとは言わず、魚や貝といった魚介類などにも合うのではないだろうか。
パンの粉の衣。もしかすると、これはかなり汎用性の高いものなのかもしれない。
アダマントの言葉に、ルテリアはそうだと頷く。
「卵と一緒にお出汁……おそばに使っているスープで煮込んだものなので揚げ立てのコロッケのようにサクサクはしていませんが、でも、その分衣がお出汁を沢山吸っておりますので、美味しく召し上がっていただけると思いますよ」
確かに、眼前のトンカツなるものは、時間が経ったコロッケソバのコロッケのようにふやけて見える。
コロッケもソバのスープを吸うと揚げ立てとはまた別の美味さを見せてくれるのだが、このカツドンのトンカツは最初からスープを吸わせているらしい。
揚げ立てのトンカツもさぞや美味いのだろうが、このカツドンもきっと揚げ立てに負けないものなのだろう。
アダマントは思わずゴクリと生唾を飲み込んでいた。
これは辛抱堪らない。本能が早くそれを食わせろと騒めいて止まらない。
「うむ。聞いただけで美味そうだ。注文でもないのに呼び止めてしまってすまなかった」
アダマントが言うと、ルテリアはニコリと笑顔を浮かべて頭を下げた。
「いいえ。では、ごゆっくりどうぞ」
そのまま厨房の方に行くルテリアを見送ってから、アダマントは改めてカツドンに向き直る。
「さて、では、いただこうか」
見れば、ハイゼン含む他の3人はもうとっくにカツドンに取りかかっていた。
分厚い肉を口一杯に頬張り、夢中でカツドンをがっつく3人。若者たちに負けず、ハイゼンまでもが一心不乱に肉とコメを掻き込んでいる。
ハイゼンのような初老をまでも魅了してやまないカツドンとは、一体どれだけの美味なのか。
アダマントは卓上の筒からワリバシを抜き取ると、それをパキリと割ってから、まるで未知なる場所へ踏み込むような心持ちでカツドンにハシを入れた。
何と言っても、まずは肉だ。すでに切れ目が入れられている肉を1切れ持ち上げる。
分厚い衣を纏った、これまた分厚い豚肉。断面から見える肉質からして、恐らくはロース肉だろう。衣が卵をも纏い、更には煮込んだことでスープも吸っているので肉の1切れになかなかの重量を感じる。
これは良い肉だ。ハシで掴んだだけで断面からテラテラと肉汁が溢れている。
ここまでの肉はそうそう拝めるものではない。もう若くはないというのに、否が応にも食欲が刺激されてしまう。
アダマントは恐る恐るその肉を口の中に放り込み、力強く噛み締めた。
その瞬間である。
ジュワリ!!
口内に溢れ出す濃厚な肉汁と脂に、風味豊かなスープ。更にはまろやかな卵と、その下に隠れていたのだろう、甘みを感じるペコロス。それらが複雑に絡み合い、混ざり合った旨味が極上の美味として舌の上で激しく波打っている。美味さの荒波だ。
「美味い!!!」
つい先ほどまで感じていた疲労も何のその、アダマントはカツドンのあまりの美味さに吠えていた。
何と美味いのか。噛めば噛むほど旨味が溢れ、感動的な美味が口内を満たす。
これだけの美味が詰まったものであるだけに、やはりひと口が格段に重い。さっぱりしたそばとは真逆だ。が、この重さが不思議と嫌にならない。むしろ、噛み締めて飲み込んだトンカツが活力として己の内に溜まっていくような感じさえある。
そしてこう思うのだ。はやく次のひと口が食べたい、と。
トンカツをひと切れ食べたことにより、その下に埋まっていたコメが露になる。
卵とトンカツから溢れ出した、濃厚な旨味を含んだスープと脂が染みてキラキラと輝くコメ。
貴族として少々はしたなくはあるが、アダマントはどんぶりを持ち上げ、その縁に口を付けてコメを掻き込み、もぐもぐと咀嚼した。
「うむッ!!」
これもやはり美味い。
スープを吸って幾分かサラサラとした食感になったコメがサラサラと入ってくる。
だが、それでいて特有の粒立った噛み応えも死んでおらず、微かな甘みにスープの塩気と肉の旨味が溶け出した脂が加わり、重厚な美味へと変貌している。カレーライスとはまた別の力強さ、所謂野趣だ。
卵を纏ったトンカツだけでも美味い。スープを吸ったコメだけでも美味い。
ならば、この2つを一緒に食べればどれだけの美味になるのか。
先ほど生唾を飲んだばかりだが、ここから先に待ち受ける美味を想像しただけで再びゴクリと喉が鳴る。
「…………ッ」
若干震える手でどんぶりにハシを入れ、トンカツ、卵、ペコロス、コメをいちどきに掻き込み、存分に噛み締めるアダマント。
瞬間、あまりの美味さに鼻孔が広がり、カッと目を見開いた。
「ううんッ!!」
野太く唸る。
そう、唸るほど、そして身震いするほどに美味い。トンカツの力強い美味さをコメが受け止め、卵が包み込み一体となる。調和だ。味の掛け算だ。どんぶりの中の全てが合わさると単体で食べる何倍も美味くなる。
本来であれば重い筈なのに、しかしくどさを全く感じない。まだまだ食べたいという気持ちが治まらない。むしろ早く次が食べたいと気持ちが逸る。猛る。これは料理人の魔法だ。
何処にそんなものが眠っていたのか、身体の奥底からどんどん活力が溢れてくる。
がっつく、がっつく。
肉と卵とペコロスとコメ。
勢いのまま、本能のまま、欲望のまま、口一杯に頬張り、食べる、食べる。
肉汁が溢れ、美味さが溢れ、活力が溢れる。
何ということだろう、食べれば食べるほど、疲労したアダマントの老体に力が漲ってくる。
これがカツドン。スタミナ抜群の謳い文句は伊達ではなかった。
「………………美味かった!」
コメの1粒まで残らずたいらげ、すっきりと空になったどんぶりを、どん、と卓上に置くアダマント。
あれだけの肉を、そして脂を残らず腹に収めたというのに、胃が極端に重かったりムカムカするような様子はない。あるのはただただ美味いものをたらふく食ったという満足感だけ。
そしてカツドンを収めた腹を中心に、まるで湧き上がるようにして身体に活力が満ちている。
とても不思議だ。まるで気持ちまで若返ったようで、これからいくらでも働けるような心持ちになっている。そう、まさしくスタミナが漲っているのだ。
スタミナ抜群のカツドン。その謳い文句に嘘偽りは微塵もなし。流石、ナダイツジソバである。
「ううむ、カツドンとは何と美味いものなのだ! 堪らぬ!!」
アダマントとほぼ同時に食べ終えたハイゼンが、横で感嘆の声を上げる。
その言葉に、アダマントもさもあらんと頷く。
見れば、護衛の若者2人も食い終わり、満足そうに腹を撫でながら水を飲んでいる。
若者は勿論のこと、アダマントやハイゼンのような初老にすらも、この一見重い料理をペロリとたいらげさせるナダイツジソバの魔力。
もしかすると、カツドンを食べ続けていれば、案外に苦もなく引退の時期まで働けるかもしれない。むしろ、年若い跡取りに手取り足取り指導をし、楽隠居とはいかぬ現役さながらの働きをしているのではなかろうか。
そんなふうに埒もない妄想を巡らせながらアダマントは苦笑し、若者たちに倣い、締めとばかりに水を飲む。
「ふぅ……」
良く冷えた美味い水を飲み干し、ひと息つくアダマント。
すると、アダマントが水を飲み終わる頃合いを見計らっていたかのように、ハイゼンが声をかけてきた。
「ナダイツジソバの新メニュー、カツドン。どうであった、アダマントよ?」
「いや、流石でございました。疲れた時、スタミナが欲しい時はカツドン。これは我が定番になりそうです」
ナダイツジソバの料理はどれもこれも美味だが、カツドンという料理は、ここぞ、という時に食べたいものだと、そう思わせてくれる何かがある。勝負に勝ちたい時、負けられない何かがある時、くじけられない時。スタミナをつけるという意味でも、縁起を担ぐ意味でも食べていきたい。何しろ名前が『勝つドン』なのだから。
アダマントの言葉に、ハイゼンも同意するよう頷いた。
「我々のように全盛期を過ぎた人間でも、このカツドンは苦もなく食べられる。そして全てたいらげたところで苦しいとも思わん。素晴らしいことよな」
「はい。腹に詰まっておるのは充実感のみですな」
「私は若返ったような気持ちになったぞ、アダマント」
空になったどんぶりを見つめながらそう言うハイゼン。きっと、彼も老いた自分がこのように重い料理をペロリとたいらげたことが嬉しかったのだろう。まだ老け込むには早いと、このカツドンにはそう思わせてくれるだけの説得力があるのだから。
「左に同じ。これで今日も1日無事に乗り越えられそうです」
アダマントが言うと、ハイゼンも「うむ」と頷いた。
「領民の為、国民の為、今日も元気に働こうぞ、アダマントよ。そして騎士たちよ」
そう言って立ち上がったハイゼンに続き、アダマントと護衛の騎士2人も立ち上がる。
「「「は!!!」」」
カツドンによってスタミナをつけた4人の姿は何とも凛々しいもので、他の客たちも思わずといった感じで、そのピンと真っ直ぐ伸びた広い背を見つめていた。
本来であればもの言わぬ背が、4人が背負う責任を、このアルベイルという大きな街の守護者だということを語っているようだったと、その場に居合わせた客たちは後に語っている。
この日を境に、週に1度はカツドンを食べに来るようになったアダマントとハイゼン。
彼らのその習慣は現役を退いた後の老後も続き、生涯老け込むこともなく矍鑠としていたのだという。
「若者たちよ。どうしても勝たねばならぬ時はナダイツジソバのカツドンを食え」
引退するまで、ことあるごとにアダマントが部下たちにそう語り続けたことにより、アルベイル騎士団ではナダイツジソバのカツドンがここぞという時の勝負飯として定番化するのだが、それは今よりもう少しだけ先の話である。
※西村西からのお願い※
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