最近お疲れ気味の騎士団長ガッシュ・アダマントとスタミナ抜群のかつ丼①
他がどうかは知らないが、アルベイル騎士団は1年を通して暇な時というものがない。
城の警備に街の警備、街道の巡回。街を治めるハイゼン大公が他領や王都へ赴く時は大人数で警護もする。それに加えて日々の訓練も欠かさず行い、新兵などは実戦訓練の為にダンジョンにも赴くのだが、冬になると更に除雪という大仕事が追加される。
この除雪というものが何とも曲者なのだ。
雪というのは、言ってしまえば粉状の氷である。1掬い程度なら軽いものだが、もっと集まればそこそこに重いものだし、溶けて固まれば明確にズシリと重くなる、何とも厄介なものなのだ。これが国土を埋め尽くすほど天から降り注ぎ、僅か1夜にして街が白く染まる。
通りが雪に埋まってしまうと、人の往来が途絶え、結果として街の機能が停止してしまう。街を人の身体として見た場合、行き交う人々は言わば体内を巡る血液のようなもの、これが正常に回らず滞れば、人などたちどころに死んでしまうことだろう。
これを予防する為、騎士団は大勢の兵士、そして騎士までも動員して、街が目覚める前、つまりは陽が昇る前の早朝から通りの除雪を開始するのだ。
大陸を南北に分けた場合、カテドラル王国は北側に位置する国。最北の国ほどではないが、冬になれば毎日ひっきりなしに雪が降る。ということは、騎士団は毎日出ずっぱりで除雪をしているのだ。
アルベイル騎士団に籍を置く者たちは口を揃えてこう言う。
「1年のうちで1番忙しいのは間違いなく冬だ」
と。
騎士団の陣頭指揮を執るのは、無論、騎士団長であるアダマントの仕事である。毎日毎日深夜のうちに登城し、防寒具を分厚く着込んでテキパキと指示を飛ばす。
そして陽が昇る頃にどうにか除雪を終えると、騎士団長としての通常業務に戻るのだ。
はっきり言って、休む暇がない。冬になると睡眠時間すらまともに取れなくなる。
騎士たる者常在戦場の心構えが求められるものだが、人間は不眠不休で働き続けられる生き物ではない。本当にそれをやると死んでしまう。
若い頃はそれでも無理を押して働いたものだが、流石に年齢が50も超えると無茶は出来なくなる。
まだ伯爵家を継ぐ前、アダマントはウェンハイム公国との戦争にも参加していた古強者なのだが、正直アルベイルの冬は戦場と比するほど休まる暇がない。
老骨に鞭打つという言葉があるが、アダマントの骨は鞭で叩き過ぎてボロボロだ。もうそろそろ、それこそ今年あたり砕けてしまうかもしれない。
今日も辛い除雪作業を終えると、アダマントはすぐさま執務室に戻ってソファに身体を投げ出した。
「ううむ……」
思わず、口から疲労の色を含んだ唸り声が洩れる。
ただ突っ立って指示を出しているだけではない、アダマントは若者たちに混じってシャベルを振るうので、余計に疲労が溜まるのだ。
やはりもう若くはない。それはそうだろう、アダマントは今年で55、所謂初老というやつだ。普通の貴族であればとっくに子供に跡目を譲っている年代である。
しかしながら、アダマントはある事情から、あと数年は現役で働かねばならない。
その事情とは、アダマント伯爵家の跡目相続に関するものだ。
アダマントには2人子供がおり、1人が息子、1人が娘なのだが、息子はもう30も過ぎており、娘も他家に嫁いで久しい。
本来であれば、この息子に跡目を譲り、アダマントは引退して悠々自適な老後を送っているところなのだろう。だが、息子は長らく王都で暮らしており、たまの里帰りを除き、もう10年以上もアルベイルには戻っていない。それは王太子の側近をしているからだ。
親の欲目もあるのだろうが、アダマントの息子パルパレオスは優秀な男である。貴族の子弟は10歳から5年間王都の学園に通う義務があるのだが、ここで優秀な成績を収めていたパルパレオスは、偶然同じ学年だった王太子の目に留まり、側近の1人として徴用されることになった。
本来であれば、それは光栄なことである。王族の、それも将来は国王となる人を直に支える役目をいただいたのだから。
しかしながら、パルパレオスはアダマント伯爵家のたった1人の跡取りであり、領地もアルベイルの隣、更に言えば寄り親はアルベイル大公だ。
普通、王族の側近として徴用されるのは王都の法衣貴族の息子か、地方貴族でも家を継ぐ予定のない次男や三男である。いくら成績が優秀でも、地方貴族の跡取り息子が召し上げられるということはまずない。
だが、王太子は、優秀な者は出身地など問わず登用すべきだという考えを持っており、学年でも1、2を争う成績を収めていたパルパレオスがそれに引っかかった形である。
アダマントは当初、学園を卒業したパルパレオスは領地に戻って来ると思っており、その後は自分の手元で鍛えて次期騎士団長にするつもりだった。だが、彼が王太子の側近となったことによりその願いが叶うことはなくなり、伯爵家の跡目を継がせることも出来なくなってしまった。
実は、王太子の方からパルパレオスを叙爵させるという話が出ているのだ。
これも本来であれば名誉な話ではあるのだが、パルパレオスが独自に爵位を得てしまうと、アダマント伯爵家の跡目が空席になり、伯爵家が断絶する恐れがある。
だから他家に嫁に出た娘の次男を養子として引き取り、その子を次期アダマント伯爵とすることにしたのだが、彼はまだ10歳にもなっていない少年だ。早々に親元から引き離すのはあまりにも可哀そうだということで、養子にするのは王都の学園を卒業してからということになった。
つまり、アダマントは少なくとも彼が学園を卒業するまでは伯爵家の当主として頑張らねばならないということである。
孫に跡目を継がせる時、アダマントは少なくとも60を過ぎている計算になるのだが、はたして、この重労働をそんな歳になるまで続けられるものだろうか。それに60ともなれば、老化によって身体は今よりも更に衰えていることだろう。その時の体力的なことを考えるとかなり不安だ。
将来のことを考えていると、どうにも暗澹たる気持ちが広がってくる。
アダマントがソファの上で眉間を揉んでいると、不意に、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
「疲れているところすまんな、アダマント。私だ」
この声はハイゼンのものだ。
ハイゼンがアダマントの執務室を訪れることはそう珍しくもないが、先触れもなくいきなり来るというのは珍しい。
アダマントは急いでソファから跳び起きると、すぐさま部屋のドアを開けてハイゼンを招き入れた。
「閣下! 突然どうされたのですか?」
ハイゼンは共に来た警護の騎士に部屋の外で待機するよう言い付けると、先ほどまでアダマントが寝ころんでいたソファにどっかりと腰を下ろし、ふう、と息を吐いてからおもむろに口を開いた。
「いや、何、どうにも心配になってな」
言いながら、指を差してアダマントにも座るよう伝えるハイゼン。
本来であれば茶のひとつも入れるべきなのだが、ハイゼンはそれよりも自分の話を優先したいようだ。
「心配……でございますか?」
ハイゼンの対面に座りながらアダマントが言葉を返すと、彼は「うむ」と頷いた。
「先ほど、城の窓からたまたま除雪作業中の貴公の姿が見えたのだが、随分と疲れた顔をしていたのでな」
そう指摘され、アダマントは思わず「あ……」と声を洩らす。
騎士団の長たる者、団員皆の範となるよう、何時如何なる時でも背筋を伸ばし表情を引き締め、矍鑠とした姿を見せねばならない。
それが疲れた顔を無様に外で晒し、あまつさえ人に見られていたとあっては恥である。戦場に身を置き、命がけで戦う騎士として、高齢だ何だという言い訳は出来ない。これは大いに自分を戒めねばならないだろう。
「これは、何とも情けないところを……」
お見せしてしまったようだと、アダマントがそう頭を下げようとしたところで、ハイゼンが片手を上げて、皆まで言わずとも分かると首を横に振る。
「いやいや、謝るな。我らはもういい歳だ。周りが若者ばかりだから忘れがちだが、疲れて当然なのだ」
別段怒るでも呆れるでもなく、にこやかにそう言うハイゼン。
「閣下……」
アダマントの方が少しだけ年上だが、ハイゼンも同年代、そろそろ身体に無理をさせるのも辛い年齢だ。程度の大小はあれど、彼もきっと、アダマントと同じような悩みを抱えているに違いない。
ハイゼンは乾いた笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「かく言う私も最近は疲れ気味でな。そろそろ跡目のことも真剣に考えねばならんと毎夜頭を悩ませておってな、寝不足の日が続いておるわ」
言ってから、ハイゼンは自嘲するように苦笑した。
アダマントは1人息子を王太子に召し上げられて後継者を失ったが、ハイゼンの場合はこの歳まで独身を貫いたことで後継者がいない。
結婚しようがしまいが、息子がいようがいまいがお互いに後継者問題に直面するのだから皮肉なことである。
「跡取りのことではお互いに苦労致しますな」
アダマントが苦笑しながらそう言うと、ハイゼンは「ははは」と声を立てて笑った。
「そうだな。誰かに跡目を譲るにしても、お互いにまだまだ現役でおらねばならん」
「左様ですな」
「高齢の我らが現役を続ける為には、若者にも負けぬスタミナが必要だとは思わぬか、アダマントよ?」
唐突にそう問われて、アダマントは思わず首を傾げる。
「スタミナ、ですか?」
スタミナ。即ち持久力。必要といえば確かに必要だろうが、別に高齢者でなくともスタミナは必要なものだろう。特に肉体労働をする者にとっては。
ハイゼンの真意や如何に。
アダマントが不思議そうに顔を向けると、ハイゼンは「如何にも」と頷いて見せた。
「ところでアダマントよ、貴公、最近はナダイツジソバに行っておるか?」
問われて、アダマントは首を横に振る。
「いえ、ここ10日ばかりは忙しく、外食をする時間も作れませなんだ」
近頃は朝、昼は宿舎の食堂で摂り、夜は屋敷で食べるか遅ければ抜くという生活を送っている。朝、昼は時間がなく、夜は疲れて外食に行くような元気もないといった有様だ。
アダマントも時間さえあればナダイツジソバに行きたいのだが、今言った通りその時間が取れないでいる。
渋面を作りながらそう答えたアダマントに対し、ハイゼンは何故だかニヤリと唇の端を歪めて見せた。
「そうか。ならば丁度良い。貴公、今日の昼は私に同道せい。ナダイツジソバへ行くぞ」
「え? それは別に構わないのですが……」
自身の寄り親でもある大公閣下に誘われれば、どれだけ忙しかろうと流石に時間を作らない訳にはいかない。
ここで否やはないと分かっていたのだろう、ハイゼンは満足そうに頷いている。
「私もここ数日は行けなかったのだがな、若い文官たちから良い話を聞いたのだ」
「はあ……」
「どうやら、つい先日、ナダイツジソバにおいて今の疲れた我らにピッタリの新メニューが追加されたそうだ」
「新メニュー、でございますか?」
ナダイツジソバの店主であるフミヤ・ナツカワのギフトがレベルアップすることでメニューが増えていくことはアダマントも知っている。
あの店の料理はいずれも美味極まるもので、不味いものというのが一切ない。
メニューが増えたと聞けば確かに興味はそそられるが、それははたして強引に仕事に空きを作ってまで食べに行くようなものなのだろうか。
アダマントはその点いささか疑問なのだが、ハイゼンは何故だか自信たっぷりに「うむ!」と頷いた。
「アダマントよ、今日の昼はナダイツジソバの新メニュー、スタミナ抜群だというカツドンを食いに行くぞ!」
「カツドン…………」
カツドン。恐らくはソバではない、不思議な名前の新メニュー。
一体どんな料理が出て来るというのか。
アダマントは想像すらつかず、呆然とその名を復唱していた。
※西村西からのお願い※
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