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名代辻そば従業員ルテリア・セレノとまかないの豚の生姜焼き定食

 正月三が日があっという間に過ぎ、1月4日の新年初営業。

 この日は早朝から、大勢の人たちが行列を成して名代辻そばの開店を待っていた。


「ああ~、早くナダイツジソバのソバが食いてぇ……」


「3日も食えないなんてどんな苦行だ!」


「カレーライス、カレーライス、カレーライス……」


 店内にいても聞こえてくる、外のお客が名代辻そばの料理を求める声。

 これは最早、このアルベイルにとって名代辻そばは欠かせない存在になったということの証明と言って過言ではない。

 もう、開店前から今日は修羅場確定である。

 ルテリアは苦笑しながら自動ドアの鍵を開けた。


「お待たせいたしました! 開店です!!」


 そうルテリアが告げると、客たちがワッと歓声を上げる。ここはそば屋だというのに、集まった人の数と言い熱気と言い、まるで人気ミュージシャンのライブ会場のようだ。


 開店するや否や、この3日間ずっと名代辻そばを待ちわびていた人々が大挙して店内に詰めかけ、ルテリアたち店員はそのまま怒涛のような勢いで忙しさに流されてゆく。

 注文を取り、配膳をし、待機中のお客を案内する、その繰り返しを5時間も続け、忙しさのあまりいつもより3時間も遅れた昼のまかない。

 正月三が日に溜めた筈の精も根も尽き果て、ヘロヘロの状態で厨房に入ると、店長の文哉もかなり疲労した様子で、苦笑しながらルテリアに水を出してくれた。


「お疲れ様。しっかし今日はまた凄いね。これまでで1番お客さん来てるんじゃない?」


 店長に礼を言ってから渡された水をゴクゴクと飲み干し、ぷはぁッ、と息を吐いてからルテリアも答える。


「でしょうね。うちのおそばは美味しい上にお手頃価格ですから、皆さん、三が日の間ずっと待ってらっしゃったんでしょうね」


「この街って、他にも美味しい店あるんでしょ?」


「ラ・ルグレイユとかですか? ああいう店は高級店ですからね、お貴族様か儲かってる商人さんくらいしか行けませんよ」


 地球よりもずっと食文化が進歩していないアーレスではあるが、それでも高級店の料理は確かに美味い。高級食材を使っているだけあって、舌の肥えた現代地球人でもまず不満はない味と言えよう。だが、ああいう店は基本的に資産家が行くものであって、日々切り詰めた生活をしている平民が気軽に行けるようなところではない。

 その点、名代辻そばは高級店もかくやというほどの美味しい料理を驚くほど安く提供している。ともすれば自炊するよりも安く済む場合すらある。まさしく庶民の味方。

 そんな庶民の味方が3日も休業していたのだから、名代辻そばを贔屓にしてくれている人たちがこのように押し寄せるのも無理はない。


 ルテリアの答えを聞き、ふうむ、と唸る店長。


「でも、庶民派の老舗もあるんじゃなかったっけ? あの……大通りにあるでっかい盾の店」


 大きな盾の店と言えば、あの店しかない。ルテリアは「ああ」と頷いた。


「大盾亭ですね。あそこはまだ平民でも行けますけど、でも、1人前頼むだけでうちより何倍もお金かかるんですよ?」


 文哉に出会う前、ルテリアも何度か大盾亭に行って食事をしたことがあるのだが、1度の食事で凡そ3000コルくらいはかかった記憶がある。大衆向け飲食店の値段としてはまだ良心的な方なのだが、それでも1食で3000コルというのはなかなかの出費だ。ラ・ルグレイユほどではないにしろ、やはり気軽に行けるようなところではない。


「へえ、そうなんだね」


「店長、それより……」


 雑談も結構なのだが、今はそれより何より腹がペコペコで、早く昼食を摂って活力を補充しないとぶっ倒れてしまいそうだ。


「ああ、ごめん、ごめん。まかないね」


 ルテリアの切実な訴えに苦笑しながら、店長は昼のまかないをルテリアに出してくれた。


「はい、お待たせ。今回は豚の生姜焼き定食だよ」


「わあッ!」


 店長が出してくれた料理を目にした途端、ルテリアは満面の笑みを浮かべて歓声を上げる。


 豚バラ肉の生姜焼きに、たっぷり盛られたごはん、スープはワカメとネギが具になったシンプルなそばつゆだ。

 店長はまだ店が開く前の早朝、シャオリンを八百屋まで使いに出し、わざわざ根生姜を仕入れていたのだが、あれはどうやらこの為のものだったらしい。

 匂い立つ醤油と生姜の香りが鼻孔を満たし、ダイレクトに食欲を刺激してくる。

 豚の生姜焼きなど何年振りだろうか。日本で大学生をやっていた頃以来ではなかろうか。あの頃は学食でよく食べたものだが、このアーレスでも、またこうしてお目にかかれるとは思ってもみなかった。本当に店長様々である。


「食べ終わったら次はシャオリンちゃん呼んで来といてね?」


 そう言ってまた仕事に戻る店長の背中に「はい!」と声を返し、改めて豚の生姜焼き定食に向き直るルテリア。

 生姜焼きと言えばハンバーグやからあげと並び定食の定番、やはりごはんとスープと一緒に食卓に並んでいると貫禄がある。ロース肉ではない、脂身の多いバラ肉を使っているからだろう、蛍光灯の光を受けて肉がテラテラと輝き、実に美味そうにルテリアのことを誘っている。


 ゴクリと、ルテリアは思わず生唾を飲み込む。

 このような強烈な誘惑、並の人間に耐えられるものではない。


「いただきます……!」


 早く食べたいという衝動に駆られるまま、ルテリアはパキリと割り箸を割って、早速豚の生姜焼きに箸を伸ばす。

 長めに切られた1枚の肉を、欲望のまま口の中に放り込み、存分に噛み締める。

 途端、ジュワリと口内に溢れるジューシーな肉汁と、生姜が利いた濃厚なタレの風味。

 美味い。何と爆発力のある味だろうか。

 これは堪らないと、ルテリアは急いでごはんを掻き込み、もぐもぐと咀嚼した。

 すると、ごはんが生姜焼きのパンチある味を受け止め、上手いこと調和を始める。


「んんん~ッ!!」


 思わず、言葉にならない感動の声が洩れてしまった。

 肉というものはやはり良い。野菜や穀物にはない野生の趣を、力強い生命の美味を感じる。生姜焼きという和風の味付けも手伝ってか、穀物であるごはんと合わせると途端に美味なる調和を見せてくれる。

 口内のものをこれまた和風のそばつゆで流し込むと、また舌がリセットされて次の1口へと箸が進む。


 肉、ごはん、そばつゆ。肉、ごはん、そばつゆ。


 まるで永久機関のように飽くことなく箸が進む。口内の幸せな美味が止まらない。

 だが、どんなに幸せな時間であっても、どんなにそれが続いて欲しいと願っていても、終わりというものは必ず来るものだ。

 勢いのままがっついていた豚の生姜焼き定食は、もう全てなくなってしまった。皿の上には米粒の1つすらもない。綺麗さっぱり、全て自身の腹の中だ。


「あーあ、なくなっちゃった……」


 空になった皿を見つめたまま、寂しそうに呟くルテリア。

 食べようと思えばもっと食べられるが、あまり食い過ぎると腹が苦しくなって働くのに支障が出てしまう。それにごはんはおかわり出来ても、肝心の生姜焼きがおかわり出来ないのだからおかず無しになってしまい、食べるのに少々侘しいことになる。

 名残惜しくはあるが、この幸せだった時間はもう終わり。次はホールで悪戦苦闘しているであろうシャオリンに譲らなければならない。

 ルテリアは空になった食器を持って席から立つと、流しに食器を突っ込んで手早く洗い物を済ませ、厨房にシャオリンを呼び込む。


「シャオリンちゃん、代わるわ! 次、まかない行って!」


「はい!」


 シャオリンとバトンタッチする形で再びホールに赴くルテリア。

 名代辻そばの仕事はいつもいつも忙しいが、しかしダンジョン探索者時代よりもずっと充実した毎日を送れているし、何より心から笑える日常が送れるようになった。これも共に働く仲間たちの、何よりあれほど恋焦がれた地球の、日本の料理を提供してくれる文哉のおかげだろう。

 ダンジョンに潜って魔物を殺す日々よりも、生命の糧となる美味しい料理を提供している今の生活の方が、ずっと生の実感がある。

 去年は思いがけず文哉という同じ地球出身のストレンジャーと出会い、奇跡的に今のような生活を送れるようになった。出来ることなら、今年も充実した年としたいものだ。そして、こんな日々が末長く続いてもらいたいと、心からそう願っている。

 その為にルテリアが出来ることは、ともかく店の為に一生懸命働くことだ。至極当たり前のことではあるが、それしかない。


「いらっしゃいませ! 名代辻そばへようこそ!!」


 豚の生姜焼き定食でエネルギーをチャージしたルテリアは、元気にお客を呼び込んだ。


※西村西からのお願い※


ここまで読んでいただいてありがとうございます。

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