大晦日の年越しそば
年内最後の更新です
12月31日、午後9時。
「ありがとうございました! また来年もお越しください!」
そう言って本日最後のお客を送り出すと、文哉は自動ドアの鍵を閉めて営業を終了した。
この後、本来であれば店内の掃除をしてから厨房の火を落とし、ルテリアとチャップを帰して自分とシャオリンも2階に引っ込むのだが、今日は2人にも店に残ってもらうことになっている。皆で年越しそばを食べる為だ。
ルテリアによると、異世界では殊更に年末年始を祝ったりすることはないそうなのだが、日本人の文哉としてはやはりそういう昔からの国民的行事は大切にしたい。ここが日本、いやさ地球ですらなくとも、12月31日に年越しそばを食べるという行為は日本人としての魂に染み付いた根源的な行いなのだから。
夏川家の年越しそばは必ず具なしのかけそばと決まっているのだが、その分おかずは豪華なものを用意する。
今日のおかずはコロッケ、肉辻そば用の豚肉とカレーライス用の野菜、それにほうれん草を使った肉野菜炒め、半熟卵用の卵を使って朝から仕込んだ和風煮卵だ。それに加えて、ごはんが好きなシャオリンの為に、冷しきつねそば用の油揚げを使ったいなり寿司も用意している。それにビールも飲み放題だ。
これだけあれば、ちょっとした宴会になるだろう。異世界にはそういう習慣がないということで今年は忘年会もやっていなかったのだが、今回は丁度良い機会だと言えよう。
ちなみに正月三が日は文哉の英断で休みとした。だから今日はどれだけ深酒しても大丈夫だ。辻そばのそばを楽しみにしてくれている異世界の人たちには申し訳ないが、流石に正月くらいは大目に見てもらいたい。
「じゃあ、俺はそろそろ料理の準備してくるから、みんな悪いけど掃除の続きよろしくね」
「「「はい!!」」」
ルテリアたちに断りを入れ、文哉は1人で厨房に入り、料理を作っていく。コロッケ、肉野菜炒め、いなり寿司、それにかけそば。煮卵についてはそばつゆ用のかえしに漬けておいたのを取り出すだけだ。
手際良くパパッと料理を作り、ルテリアにも手伝ってもらって厨房からホールにそれらを運ぶ。チャップとシャオリンはもう席に着いて今か今かと料理を待っている状態だ。
「お待たせ! これ、年越しそばと……料理ね!」
目の前にずらりと並ぶ豪華な料理の数々に、チャップもシャオリンも興奮した様子で目を輝かせている。
「うおお! 御馳走だ!!」
「変わったオニギリ……ッ!」
「シャオリンちゃん、それね、おにぎりじゃなくていなり寿司って言うのよ?」
「イナリズシ……」
御馳走にしては少々頼りないラインナップかとも思ったのだが、どうやらみんな喜んでくれているようだ。彼らが喜んでくれるのなら作った文哉としても嬉しい。
「さ、そんじゃ食べよっか!」
文哉がそう促すと、3人もニコニコと頷いた。
「「「「いただきまーす!!」」」」
皆、箸と小皿を手に思い思いの料理に手を伸ばす。
ルテリアは煮卵に。
チャップは肉野菜炒めに。
シャオリンはいなり寿司に。
そして文哉はかけそばに。
見事に最初の選択がバラけたが、そこにそれぞれの性格が出ているのが面白い。
「これ美味しいです、店長! とっても味が染みてる!!」
「美味いなあ、ちゃんと火が通っているのに野菜がシャキシャキだ! 肉も美味い!!」
「イナリズシ、コメなのにジューシー」
本当に美味いのだろう、3人は笑顔を浮かべながら夢中で料理をがっついている。
「良かった良かった。美味しいみたいだ……」
誰に聞かせるのでもない、小さな声でそう独り言ちながら、文哉はずるずるとそばを啜る。
手前味噌ではあるが、やはり辻そばのそばは美味い。
辻そばにおける基本中の基本、かけそば。全てはここから始まったのだ。
日本で強盗に刺されて死に、神の手によって異世界に転生した文哉。その神からいただいた能力でどうにかこうにか今日までやってこれたが、アルベイル大公と出会ったあの日、このかけそばがなければ今頃はどうなっていたか。
様々な人たちと縁が結び付き今日に至るが、この異世界における1番最初の縁を結んでくれたのは間違いなく辻そばのかけそばであり、その最初の縁から次々に様々な縁へと結び付いていったのだ。
今年の正月には、まさか自分が刺されてファンタジーの異世界に転生するなどとは夢にも思っていなかった。人の縁とはつくづく不思議なものである。こんな、地球ですらない異世界でも縁を紡いでいけるのだから感慨もひとしおだ。中には奇縁と呼ぶべきものもあるが、それも含めて縁である。
騎士や兵士が大勢店を出入りしていることに加え、悪人を弾く能力の特性もあってか、今のところ明確な悪縁はない。この良き縁には感謝しなければならないだろう。
今年は本当に色々あったが、本当に充実した1年だった。何せ、かねてからの目標であった辻そばの店長になれたのだから。その場所が日本ではない異世界であっても、全く文化の違う土地であっても、そばを食べてくれるお客様方の笑顔は変わらない。美味いものに国境はなく、世界の隔たりも関係なく、人種すらも関係ない。そのことをつくづく思い知らされた1年であった。
何せ、異世界のお客は普通の人間ばかりではない、地球では創作上の存在でしかなかったエルフだドワーフだといった人たちが毎日食べに来るのだ。しかも彼らは飽くことなく美味い美味いと大量の料理と酒をたいらげる。彼らにしてみればただ美味いものを食いに来ているだけに過ぎないのだろうが、そのことが異世界で飲食店をやっていく上でどれだけ文哉の自信に繋がったか。異世界でも辻そばのそばは通用すると、そう思わせてくれたのは他ならぬ彼らのおかげだと言えよう。
「イナリズシ、カケソバにも合う……」
いなり寿司とかけそばを交互に食べながら満足そうに頷くシャオリンも見つめながら、文哉もまた満足そうに頷く。魔族である彼女が美味いと言ってくれるものは、獣の姿をした人たちのような、異世界にしか存在しない人種のお客にも通用するという自信をくれる。
「お! 本当だ、イナリズシ、合う! 美味い!!」
そう言っていなり寿司をそばつゆで流し込むチャップ。実家が食堂で実務経験があり、かつ料理人志望で確かな舌を持つ彼が美味いと言ってくれるものは、貴族を筆頭に異世界の美食家たちとも渡り合えるという、シャオリンのそれとはまた違う自信をくれる。
「やっぱり店長のかけそばが1番美味しいですね!」
かけそばを啜りながら笑顔を浮かべるルテリア。同じ地球出身、しかも実は身内だった彼女の存在が、どれだけ文哉の心の支えになっているか。この右も左も分からない異世界で折れずにやっていけるのも、ルテリアの存在があったればこそだ。こんなに心強い味方は他にはいないだろう。
願わくば来年も誰1人欠けることなく彼らと、そしてもっと多くの仲間たちと同じようにこの名代辻そば異世界店で働きたいものだ。
来年はどんな1年になるのか。出来ることなら飛躍の年になってもらいたいものだ。まだ追加されていないメニューが沢山あるし、同じ街にいながらまだ辻そばに来たことのないお客も大勢いることだろう。来年はそういう人たちにも辻そばのそばを食べてもらいたい。先にも触れたが、新しい従業員も確保して休日を設けなければならない。出来ることならチャップのように厨房に入って調理の手伝いが可能な人材が良いのだが、はたしてどうなるものか。
より良き未来への展望が尽きることはなく、同じように燃えるような野望も尽きず。
何にしろ、名代辻そば異世界店は始まったばかりだ。まだまだ上を向いて頑張らねばならない。
数時間後に迫った来年のことを思いながら、文哉はコロッケを齧りつつビールを呷った。
いつも名代辻そば異世界をお読みくださり、まことにありがとうございます。
本作を読んでくださった皆様のおかげで、今年は自分にとっても飛躍の年となりました。
より良いエピソードが書けるよう、そしてより良い発表が出来るよう、来年は一層頑張って参ります。
読者の皆様におかれましては、来年も名代辻そば異世界店にお付き合いくださいますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。




