元ウェンハイム皇国貴族イデオ・ペイルマンと刺激的な冷し肉辻そば③
たまたま発見した奇妙奇天烈な食堂、ナダイツジソバ。
混んでいるという理由で、ここまでの道々発見した大盾亭なる食堂もスルーして来た筈なのに、イデオの瞳はこの混雑極まるナダイツジソバに釘付けになっていた。
親切にもイデオにこの店のことを教えてくれた女性曰く、ナダイツジソバは今、このアルベイルの街で最も勢いのある飲食店らしく、この街に来たのなら1度は足を運ぶべき店なのだという。
さして大きな店ではないが、しかしその造り自体は何とも異質にして豪奢、人目を引くとはまさにこのことと言わんばかりの佇まい。
人数にして2、30人は並んでいるようだが、これは待ってでも店に入る価値はあるだろう。空きっ腹はとっくに我慢の限界を迎えているが、あと1、2時間くらい待っていたところで死にはしないだろう。仮にここで死んだとしてもワーデンス公国の土になるよりは遥かにマシである。何故なら、ワーデンス公国での死は、父の傀儡として死ぬことと同義だからだ。
父の為に死ぬなどまっぴら御免。これからは自分の為に生きてやる。簡単に死んでなどやるものか。
そして、生きる為にはものを食わねばならない。父の為ではない、自分の人生を生きる為の食事、その最初の1皿をこのナダイツジソバで摂る。
イデオは確固たる意思を以てナダイツジソバの列、その最後尾に並んだ。
「………………」
当初は1、2時間、下手をしたら3時間くらいは待たねば入店出来ないと思っていたイデオだったが、想定以上のスピードで並んだ客が掃けてゆく。
どうも、この店は普通の食堂とは違い、かなり客の回転率が良いらしい。一体どんな料理を出す店なのだろうか。
どうにも気になったイデオは、自分の前に並んでいる、先ほどの親切な女性にもう一度声をかけた。
「あの、度々すみません……」
「あら、何?」
「この店の名物料理は何なのですか?」
イデオが訊くと、女性は不思議そうな顔で首を傾げた。
「え? ソバよ。店名にも入ってるじゃない」
「ソバ、ですか?」
ソバ。確かにナダイツジソバという店名にその文言が含まれているが、しかしイデオの知らない料理である。冷遇されていたとはいえイデオも貴族の生まれだ、平民よりは色々と変わったものも食べたことがある筈だが、ソバというものの名前は今の今まで聞いたことすらなかった。
謎の料理、ソバ。それは一体どんなものなのだろうか。
イデオが不思議そうな顔をしていることで察したのだろう、女性は苦笑しながら簡単にソバの説明をしてくれた。
「ええ、ソバ。ここでしか食べられない麺料理。スープに麺が沈んでいてね。温かいのもあるし、冷たいのもある。どっちもとっても美味しいのよ」
「麺をスープの具にしているんですか?」
麺といえばパスタというのが常識だが、普通はパスタをスープの具にするようなことはない。そんなことをすれば折角の麺が伸びてしまう。
具が麺のスープ。聞いただけで随分と変り種の料理だということが分かる。
このソバとやら、確かに斬新だし他にはないものなのだろうが、しかし肝心要の味の方はどうなのだろうか。まさか見た目だけ奇抜で味はイマイチなどということはないだろうか。
「ええ。変わってるわよね。私もここ以外でそんな料理を出しているところは見たこともないわ」
女性の言葉に、イデオの不安が一気に広がっていく。
今は人生においてかつてないほどの空腹状態。見た目の派手さはどうでもいいので、せっかく覚悟を決めて長蛇の列に並んだのだから、出来ることなら美味いものを食べたい。
「………………」
声もなく押し黙っていると、女性はイデオの内心を見透かしたかのように、ふ、と笑った。
「……とっても不安そうな顔ね?」
「あ、いえ……」
表情を取り繕う余裕もなく、心情が顔に出ていたらしい。
だが、イデオの表情を見ても、女性は余裕そうに口を開いた。
「でも安心していいわよ。ここの料理、どれを食べてもとっても美味しいから。全部当たりで外れなし。凄いわよね」
「は、はあ…………」
別にナダイツジソバの店員という訳でもなかろうに、女性は何だか自信あり気だ。恐らくは本当にどんなメニューを頼んでも美味いのだろう。
未だ一抹の不安は残るものの、そう悲観しないでもいいのかもしれない。
と、イデオが女性と話し込んでいると、いつの間にか自分の順番が回って来た。
「お席空きましたので、次のお客様、どうぞ!」
そう言ってイデオを呼び込んだのが、書物でしか存在を知らなかった魔族らしき少女だったので一瞬驚いてしまったのだが、その動揺をどうにか心の内に押し止め、店内に足を踏み入れる。
その瞬間である。
「!?」
店内に流れる謎の歌に出迎えられるイデオ。
全く聞き覚えのない、しかし妙に耳馴染みのする歌。恐らくは魔導具を使って流しているのだろうが、この狭い室内、それも平民向けの食堂に優雅にも音楽を流すとは、何とも豪奢なことをするものだ。
店内は隅々まで清潔に保たれており、初めて目にするU字のテーブルも背もたれのない丸い椅子も洒落た雰囲気を漂わせている。
立地から考えてアルベイル大公が出している店なのだろうが、彼の御仁は随分とこの店に力を入れている様子。
平民を軽んずることのない真摯な姿勢、これがウェンハイム貴族にもあったのならどれだけ良かっただろうか。他国には普通に存在するこのような姿勢が、どうしてウェンハイムには欠けているのだろうか。同じヒューマンの国で、地理的にも近く、文化的にも共通のものが多いというのに。
一体、どうすればウェンハイムもこのような国になれるのだろうか。
「…………お客様?」
入り口付近で考えごとをしたまま佇むイデオを不思議に思ったのだろう、魔族の少女給仕が首を傾げたままこちらを見上げていた。
イデオはハッとして我に返ると、照れ隠しとばかりに苦笑いを浮かべて見せる。
「あ、ああ、すまない。少しボーッとしていた……」
イデオがそう言うと、それで納得した訳でもないのだろうが、少女はとりあえずといった感じで頷いた。
「……そうですか。あちらの方のお席、空いておりますのでどうぞ」
そう言って彼女が案内してくれたのは、先に店に入っていた、あの親切な女性の隣の席だった。
彼女とはよくよく縁があるらしい。
イデオは苦笑しながら席に着いた。
「隣、失礼します」
イデオがそう声をかけると、女性はほんの一瞬だけ驚いたような顔をした後、すぐさま微笑を浮かべて口を開く。
「あら、さっきぶりね」
「はい」
「これも何かの縁かしらね。私はレイン。ダンジョン探索者をやっているわ」
彼女、レインはそう自己紹介してくれた。
入店待ちの列に並んでいる時は気付かなかったが、よくよく目を凝らしてみると、衣服から覗く彼女の手足は確かに引き締まっており、女性らしからぬ筋肉の隆起が見て取れる。イデオも手習い程度だが貴族の嗜みとして剣の稽古を受けていた。だから彼女の身体が戦う人間のそれだということは何となく分かる。
彼女は武器も防具も身に着けていないようだが、今日は恐らく休養日なのだろう。
普段は命懸けの仕事をしている者が、たまの休日に美味いものを食べに人気店に来たというところか。
「レインさんですか。僕はイデオ……」
ペイルマンと、イデオはいつもの習慣でうっかり家名を名乗ろうとしたのだが、ハッとして慌てて口を押さえる。
ウェンハイム皇国の密偵が何処に潜んでいるか分からない以上、迂闊に家名など名乗っては命取りだ。
「?」
一体何をしているのだろうと、不思議そうにこちらを見つめるレインに対し、イデオは伏目がちに頷いた。
「……イデオです。家を出たばかりで、仕事はこれから探すところです」
これまでは貴族として仕事もせずに家の中にいたイデオではあるが、これからは自分の力だけで、自ら稼いで生きていかねばならない。
自分にどんなことが出来るのかは自分自身まだ分からないのだが、とりあえずは誰にでも門戸を開いている仕事、それこそダンジョン探索者あたりで稼いでゆくことになるのだろうか。
腐った祖国を変えたいという気持ちもあるにはあるのだが、そんな大きなことを考える前に、まずは自分の面倒を見られるようにならなければいけない。
イデオの言葉や様子に何か思うところでもあるのか、女性は「ふうん……」と頷いた。
「…………そう。何か変わってるね、貴方?」
「あ、すいません。これまであまり人と話してこなかったものでして……」
「そうなんだ。もしかして、家出した貴族のお坊ちゃまとか?」
「そんな、まさか」
と、イデオは苦笑して見せるのだが、その心中は穏やかではなかった。
このレインという女性、随分と鋭いところを突いてくる。これが女の勘というやつだろうか。それともダンジョン探索者として培ったものだろうか。
ともかく、このまま彼女と話していると、そのうちボロが出そうで何だか怖い。
と、丁度良いタイミングで先ほどの給仕の少女が水を持って現れた。
「こちら、サービスのお水です。おかわりもありますので遠慮なくお飲みください。それでは、注文が決まりましたらお呼びください」
言いながら、少女はイデオの眼前に水を置いて去って行く。
「あ、ああ、ありがとう……」
いきなりのことに唖然としながら、イデオはまじまじと水の入ったコップを見つめていた。
一切濁りも歪みもなく、均整の取れたガラスのコップ。ともすれば芸術品としての価値すらあろうそれになみなみと注がれた、これまた濁りのない透明な水。一体どれだけ煮沸や濾過を繰り返せばこのように濁りのない水が出来るのだろうか。しかもその水には氷まで浮いている。氷の形が全て同じキューブ状に揃っているのは、恐らく専用の魔導具を使って作られたものだからだろう。魔法使いの氷魔法ではこうも整った形の氷を作ることは出来ない。
何と豪華な1杯の水だろうか。ウェンハイム皇国のレストランであれば、この水1杯で銀貨2枚、2000コルは取られることだろう。それがサービスでおかわり自由とは、カテドラル王国というところは何と豊かな国なのだろうか。
震える手でコップを掴み、ぐい、と冷たい水を呷る。
「ッ!!」
美味い。
一切雑味のない冷えた水が、喉を通って乾いた身体に染み込んでゆく。まさしく命の水であると、そう感じるほどの清々しさだ。
「ここのお水、美味しいでしょ?」
隣で麺を啜りながら、レインがそう訊いてくる。
イデオはぎこちない動作で顔を向けると、やはりぎこちない動作で頷いた。
「え、ええ。恐ろしく美味い。こんなものがタダだなんて……」
俄かに信じられるものではない。
「でもね、ここの料理はもっと美味しいのよ? 初めて食べる人なら、絶対に感動する筈だわ」
「………………」
流石に絶句するしかない。
この水は余計なものを全て取り除いた、美味の極致と言って過言ではないもの。
そんな水より美味い料理というのは想像がつかない。
一体、この店ではどんな料理が出されるのか。
イデオは卓上のメニューを手に取ると、食い入るように目を通した。
どういう料理かという絵が添えられたメニューは分かり易くて良いが、しかしこの絵の精度たるや凄まじいものがある。まるで本物が目の前にあるように写実的で緻密だ。恐らくは相当名うての画家に描かせたものだろう。
この絵の細かさには驚かされたが、ともかく、今はメニューを吟味することが先決である。
濃い茶色をしているのに、しかし何故か透度のあるスープに沈む灰色の麺。なるほど、これがこの店の基本、ソバというやつなのだろう。冷たいソバの欄にあるモリソバ、トクモリソバというメニュー、そしてカレーライスという麺ではないメニュー以外は、全てスープに麺が沈んでいる。
灰色の麺というのは見たことがないが、これはどういう小麦を使っているのだろうか。病気にかかった小麦が黒くなることは知っているが、まさかそんなものを使っている訳もあるまい。となれば、ウェンハイムには流通していない新種の小麦か、もしかすると小麦ですらない未知なる穀物が使われているのか。
イデオの知る限り、ウェンハイム皇国とカテドラル王国で食文化にそこまでの差異はない筈なのだが、このメニューに載る料理は何から何まで知らないものである。実際に食べたことがないのは勿論のこと、文献でそれらしき記述を見たことすらもない。イデオが無知なだけで、カテドラル王国というのはこんなに未知に溢れた国だったのだろうか。
基本のソバだけではない、その上に乗る具材もまた知らないものばかり。ワカメ、テンプラ、コロッケ、冷しキツネ、いずれも見たことがないもので、使われている食材も分からず、味の想像がつかない。ホウレンソウというのがサヴォイだというのが辛うじて分かるくらいだ。が、サヴォイは苦いので好んで食べたいものではない。
そんな中で目についたのが、冷し肉ツジソバ。もう寒い時期なので冷たいメニューはどうかと思ったのだが、たっぷり盛られた肉の上に佇む真っ赤なペーストがイデオを引き付けて放さなかった。この赤いペーストは、温かいメニューの肉ツジソバにはない、冷し肉ツジソバだけのものだ。
亡き母が大事にしていたルビーのネックレスが如き深紅のペースト。このペーストが何なのかは分からないが、しかしイデオの心はこれを求めている。顔を見たことすらもない母を想起させる、この深紅を湛えたものを。
「すいません! 注文したいのですが!!」
混雑して賑わう店内の環境音に負けぬよう、声を張り上げて給仕を呼ぶイデオ。
「はい、只今!」
先ほどの給仕の少女がペンとメモを取り出しながら小走りで来たので、イデオはすぐに注文を告げた。
「冷し肉ツジソバをください」
「冷し肉ツジソバですね、かしこまりました。店長、冷し肉ツジ1です!」
メモを取りつつも、少女は厨房にいるのだろう店長に向けて注文を通す。
「あいよ!!」
打てば響くといった具合に、厨房から威勢の良い男性の声が返ってくる。
「それではお料理出来上がるまで少々お待ちください」
ペコリと頭を下げてから、他の席へ注文を取りに行く給仕の少女。
彼女の背中を見つめながら、イデオは思いがけず他国で出会った、母のルビーを思わせる深紅のペーストに想いを馳せていた。
私のような者でも生意気に師走は忙しいので、更新頻度が落ちております。
恐らくは12月一杯まで今のような更新頻度が続くかと思われます。
読者の皆様におかれましては寛大なお心でご容赦いただけますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。




