元ウェンハイム皇国貴族イデオ・ペイルマンと刺激的な冷し肉辻そば②
初めて訪れる異国の街並みを見つめながら、イデオは静かに口を開いた。
「ここが、カテドラル王国の旧王都、アルベイルか……」
眼前に広がる大都会に圧倒された様子で、イデオは誰にともなくそう呟く。
今現在、イデオはアルベイルの中央を走る大路の上で立ち尽くしている。
街道で目を覚まし、朝焼けの中に佇むその威容を見た時から随分と立派な都市だとは思っていたが、まさかここがかつての王都、今現在のアルベイルだとは思ってもみなかった。
市壁に設けられた門で入市税を払う時、門番の兵士に「旧王都へようこそ!」と言われた時は随分と驚いたものだ。
思えば、昨日の山風は随分と強く吹き荒んでいた。質量などほぼ無いに等しい霧になっていたとはいえ、随分と遠くまで流されたものである。
同じカテドラル王国内とはいえ、イデオが意識を失ったイシュタカ山脈は北西の果て、ウェンハイム皇国との国境のあたりだ。対してアルベイルは国の中央よりやや東に位置している。馬車を使ったところで1日2日で辿り着けるような距離ではない。もしかすると、イデオは1日だけではなく、数日もの間、意識を失っていたのではなかろうか。
「よく生きてたな、僕……」
半ば自嘲するように苦笑しながら、イデオは用心深く外套のフードを深く被り直す。
ここは他国とはいえカテドラル王国有数の大都会。きっと、ウェンハイム皇国だけと言わず周辺各国の密偵たちが潜んでいることだろう。せっかく父の元から逃げ果せたというのに、こんなところで捕まっては逃げて来た意味がない。
「行くか……」
ともかく、いつまでもここで突っ立っていても意味はない。それに天下の往来で立ち尽くしていては通行人の邪魔になるし、何より悪目立ちする。そんなことになっては本末転倒だ。
土地勘などまるでないが、イデオはともかく人の流れに従って大路を歩き出した。
初めて訪れた、ウェンハイム皇国の息がかかっていない国の街並み。
人々の顔は概ね朗らかで、気落ちした様子で顔を俯けているような者はそう多くない。無論ゼロではないが、しかしイデオが暮していたガダマニアのそれとは比ぶるべくもない。
イデオは押し込められるようにしてペイルマン家の別宅で暮していたのだが、そんな生活の中でも年に一度くらいはペイルマン家の本宅に呼び出されることがあり、街の様子を見る機会があった。
ガダマニアで暮す人々は貴族から平民に到るまで侵略行為の恩恵を享受しているが、しかしそれを当たり前だと思っているのは貴族やその周囲の人間ばかりで、平民はどちらかというとあまり浮かない顔をしている。
他国のいち平民でしかなかった者たちが訳も分からず捕えられ奴隷にされ、貴族にペット扱い、或いは消耗品扱いされている現状。同じ人間が首輪を着けられ手を鎖で縛られ、まるで囚人が如く連れられ、些細なことで殴られ蹴られ殺される。そんなことが衆人環視の中で毎日のように行われるのだから、まともな神経の持ち主であれば朗らかに笑っていられる筈もない。これを喜ぶ平民というのは、そのほとんどが貴族に取り入っている者たちであった。
直視出来ない光景に嫌気が差していたとしても、まさか平民が貴族に意見出来る訳もなく。そのようなことをすれば明日は我が身だ。実際に、貴族の蛮行を見かねて反対行動を起こした平民の地下組織が摘発され、メンバーは残らず処刑、その親類縁者も奴隷として捕えられたこともある。
こんな状態で平民の顔に笑顔が浮かぶ筈もない。
だが、このアルベイルの人たちはどうか。皆、前を向いて歩き、笑顔を浮かべている者も多い。周囲にはちらほらと貴族らしき者たちの姿もあるが、偉そうに我が人の上に立つ人也、といった感じも見受けられない。何より、奴隷の姿が全くないのが良い。本から得た知識で、ウェンハイム皇国以外に奴隷を容認している国がないことは知っていたが、こうして実際に奴隷がいない光景を見ると、祖国とは全く違うことを現実として理解出来る。
ただ街並みを見ているだけでも、イデオは感動して目に涙が滲んでいた。これこそが本来あるべき国の姿なのだと、そう思えてならないのだ。無論、カテドラル王国の1から100まで、全てが賞賛すべきものだと言うのではない。この国にも改善すべきものや取り除くのが難しい悪しきものがあることも理解はしている。だが、それでも、ウェンハイムの出身者としてこの平和な光景、良くも悪くも人が人として生きているこの光景を目にして感銘を受けない筈がないのだ。
自分の祖国が、ウェンハイム皇国がこの街のようだったらどれだけ良かっただろうと、そう思わずにはいられない。
「く……ぅ……ッ」
どうにか嗚咽を噛み殺し、目元の涙を拭って歩き出す。
そうしてしばらく歩いていると、ふと、とある商店が目に入った。恐らくは貴族向けにオーダーメイドの衣服を売る店なのだろうが、店頭に仮面舞踏会で使うような、目元鼻筋だけ隠して口元は露出しているマスクが陳列されている。
もう冬本番も間近だが、雪が降るようになるまでにはもう少し時間がかかる。顔を隠す為にいつまでもフードを被っているのも鬱陶しい。ならばあのマスクなど丁度良いのではないだろうか。
イデオは意を決して商店に足を踏み入れた。
「失礼します……」
煌びやかな衣服を売る店だけあって、店内も随分と煌びやかである。まるでペイルマン本宅の客室のようだ。
イデオが入店すると、すぐさま店員らしき恰幅の良い中年男性が出迎えてくれた。身なりの良さや年齢から見て、恐らくはこの店の番頭あたりだろう。
「いらっしゃいませ。本日はどういった御用向きでしょう? 御召し物の御新調ですかな?」
言いながら、遠慮のない視線をイデオに向ける店員。
イデオは外出用の上等な服を着ているので彼にも貴族とは分かるだろうが、しかし何日も着替えておらず、おまけに野宿紛いのことまでしているので服の痛みや汚れが酷い。
これが平民であれば1も2もなく追い出されていたところだろうが、どうにかギリギリ客として相手をしてくれるようだ。
苦笑しつつも、イデオは店の出入り口付近に陳列されたマスクを指差した。
「いえ、あれを売っていただきたく……」
「ああ、マスクですか? かしこまりました。どれも職人が丹精込めて作り上げた逸品でございますぞ」
「ええ……」
頷きながらも、イデオは陳列されたマスクに目を通していく。
店員の言う通り、どのマスクも手の込んだ職人仕事でこさえられた、イデオのような素人にもひと目で分かる上等なもの。陽光を反射する煌びやかな絹に金糸、派手な鳥の羽根、小粒ではあるが怪しく輝く宝石。いずれも見事な装飾である。
そんな見事な逸品揃いの中、一際イデオの目を引くマスクがあった。それは、金糸で縁取られた漆黒のマスクなのだが、眉間のあたりに深紅のルビーがあしらわれたものである。
血のように真っ赤な、怪しく輝く大粒のルビー。顔も知らぬ母ではあるが、屋敷には彼女の私室と共に遺品が保管されており、その中に深紅のルビーがあしらわれたネックレスが残されていた。
屋敷でイデオの面倒を見てくれていた老夫婦によると、母は赤い色が好きな人で、祖母の形見だというルビーのネックレスをとても大切にしていたのだという。
イデオにとって、深紅のルビーは母を象徴するもの。目を引かれるのはある意味当然とも言える。
「どうでございましょう、御気に召すものはございますかな? もし、他にも……」
と、店員の言葉の途中ではあるが、イデオはそれを遮る形でルビーがあしらわれたマスクを指差した。
「いえ、これをください。この、真っ赤なルビーがあしらわれたこれを」
ここまで気になってしまうと、もう、これ以外のマスクは目に入らない。大粒の宝石があしらわれているので他のマスクよりも多少値は張るが、幸いにして今のイデオは懐が膨れている。支払いに問題はない。
その答えを聞いた店員は、思わぬ太客が現れたとでも言うように満面の笑みを浮かべた。
「御目が高い! このルビーは最近になって発見されたノルビムのダンジョンから産出されたものになります」
ノルビムという土地のことは知らないが、ダンジョンの宝箱から宝石が見つかることがあるのはイデオも知っている。品質に多少のバラつきはあるものの、ダンジョン産の宝石は概ね悪いものではないと、イデオが読んだ書物にはそう書いてあった筈だ。
「そうですか。では、支払いはこれでお願いします」
イデオは懐から財布を取り出すと、金貨を3枚ほど取り出して店員に手渡した。
金貨を受け取る際も店員はニコニコ顔である。
「はい、ありがとうございま……おや? これは……」
受け取った金貨をまじまじと見つめながら、店員は先ほどの笑顔が嘘のように神妙な面持ちをしている。
「……何か問題でも?」
まさか偽造貨幣でも混じっていたのだろうか。
イデオがそんな心配をしていると、店員は何故だか苦笑を浮かべて首を横に振った。
「いえ、問題はございません。しかしウェンハイム皇国の金貨とは珍しゅうございますな。もしや、彼の地から来られたので?」
そう言われて、イデオはやっと問題を理解した。
イデオが店主に渡したのは、ウェンハイム皇国の造幣局で製造された金貨だ。硬貨の中央には分かり易く初代皇王ガダマー・ウェンハイムの横顔の図柄が施されており、ひと目でウェンハイム皇国製だと分かるようになっている。
イデオが誕生する前の話だし、もう終戦を迎えてはいるのだが、ウェンハイム皇国はほんの数10年前にカテドラル王国に対して侵略の手を伸ばしたことがある。
前述の通り、戦争が終結してから少なくない時間が経ってはいるものの、カテドラル王国の市民にとって、ウェンハイム皇国は未だ敵国という認識だというのは想像に難くない。それにウェンハイム皇国とカテドラル王国の間には未だにまともな国交がなく、貿易も行われていない。
だからここでウェンハイム皇国の金貨が出て来たことが不思議なのだろう。
無論、ウェンハイム皇国の貨幣だからと、外国で使えないということはない。そこらへんは北方協定で保証されているから問題はないのだ。
が、それと感情や印象といったものとは話が別だ。確かに金は金だが、敵国の金では店員も良い顔は出来まい。
それに加えて、彼の中にはイデオがウェンハイム皇国の人間なのではないかという疑惑が生まれている筈。国交がない筈の敵国の人間が何故、このカテドラル王国にいるのか。きっと、そう思っているに違いない。
「…………いいえ、たまたまでしょう。ウェンハイム皇国の属国に行ったこともありますから、恐らくはその時に僕の財布に紛れ込んだのではないかと」
内心の動揺を努めて顔に出さぬよう、微笑を浮かべながら首を横に振るイデオ。
勿論これは嘘だが、馬鹿正直にそうだと頷いて兵士や役人を呼ばれても敵わない。仮に権力側の人間に捕まれば、イデオは最終的には正式な手続きを経てカテドラル王国に亡命することになるだろう。そうなれば公的な書類にイデオの情報が残ることになり、ウェンハイム皇国側に居所がバレる可能性がグンと高まる。出来ることならそういう事態は避けたいのだ。
店員がそれで納得してくれたかは怪しいところだが、彼も面倒な事態は避けたいのだろう、再びニコニコ顔で頷いた。
「左様でございますか。変なことを訊いてしまい、申しわけありませんでした」
「いえ、お気になさらず。では、僕はこれで……」
目深に被っていたフードを下ろし、購入したばかりのマスクを装着して店を出たイデオ。
街中でマスクなどしているのに、あからさまな視線を向けてくる者はそう多くない。往来をゆく者たちの中には、奇抜という言葉では収まらないほどの珍妙な恰好をしたダンジョン探索者の姿も珍しくはない。だから少しくらい変な恰好をした者がいてもさして珍しくはないのだろう。流石は大都会である。
ちなみにだが、ウェンハイム皇国の首都ガダマニアにはそもそもダンジョン探索者ギルドがないのでダンジョン探索者の姿もない。ガダマニアの法衣貴族たちが野蛮な者たちだとダンジョン探索者のことを嫌い、ギルドの支部を置くことを認めなかったからだ。ダンジョン探索者の活動は国の経済にも少なからず影響を与えているというのに愚かなことである。
通りに出たイデオはまた人の流れに合流し、そのまま街を歩いているのだが、唐突に良い匂いが何処かから漂ってきた。その匂いを嗅ぎ取るのとほぼ同時に、ぐぅ~と腹の虫が鳴る。
都会に圧倒されてすっかりと失念していたが、イデオはもう何日も食事をしていない。
「この匂いは……?」
きょろきょろと匂いの出所を探していると、通りに面した大きな食堂が目に入る。
看板に大きな盾をあしらった店で、店名は大盾亭というらしい。
見れば、店内だけでなく軒下にも席が設けられており、客が大きな鍋を突いて美味そうに肉やら野菜やらを食っている。
「美味そうだなあ…………」
口内に溢れる唾液を飲み込みながら、名残惜しそうにその場を後にするイデオ。
金はあるので食事は出来るのだが、しかしあの大盾亭という店の混み様は半端なものではない。何せ店の外にまで順番待ちの行列が出来、自分の番が回ってくるまでに恐ろしく時間がかかりそうだったので諦めるしかない。
そのまましばらく歩いていると、いつの間にか城の前まで来てしまった。
「この城は……」
無駄に金ばかりかけた、如何にも成金趣味的な、街の景観と全く合っておらず浮いた印象のウェンハイム城とは違い、古城然としてドッシリ落ち着いた佇まいのこの城。ここは確か、アルベイル大公が住むかつての王城だった筈だ。
風光明媚な古都の中心、まさに積み重ねたこの街の歴史、その要と言って過言ではない城である。軽薄極まるウェンハイム城では持ち得ることのないこの重厚感は流石だと言えよう。
城壁に沿うように、ここからは通りが左右に別れるのだが、何故だか人の流れは一方に向かっている。
この先に何かあるのだろうかと、イデオは不思議な心持ちで流れに従う。
そしてしばらく歩いたところで、イデオの目に奇妙な光景が飛び込んで来た。
「んん……?」
何故だかは分からないが、長大な城壁に沿って人々が列を成して並んでいる。
あれは一体何なのだろう。城壁のあたりで大道芸人が芸でも披露しているのだろうか。
最初、イデオはそんなふうに思っていたのだが、いざ列に近付いてみると、その考えが見当違いも甚だしいことに気が付いた。
「な、何だ、あれ……?」
驚きに背中を押されるようにして人の流れから飛び出したイデオは、それを目にした途端、唖然としてしまい、あんぐりと大口を開けた。
城壁に埋まるようにして建っている1軒の店。1階部分は前面が総ガラス製で、しかも濁りも歪みもない一枚ガラス。出入り口もガラス戸になっているのだが、手も触れていないのに人が来る度に勝手に開閉している。恐らくは魔導具なのだろう。
立地も佇まいも明らかに異質。こんな店はどんな国の様式にも一致しない。これは一体何なのだろうか。
「あの、すみません……」
思わずといった感じで、イデオは行列の最後尾にいた若い女性に声をかける。
「はい?」
「この店は、一体何なのですか?」
振り返った女性にそう問うと、彼女は一瞬だけ不思議そうな表情を浮かべ、すぐに得心がいったというふうに頷いた。
「あー、そっか。貴方、アルベイルに来るのは初めてなのね? もしかしてダンジョン探索者?」
逆にそう問われ、イデオは少々面食らいながらぎこちなく頷いて見せる。
「え、ええ、まあ、そんなようなものでして……」
実際はウェンハイム皇国からの逃亡者だが、しかし彼女の言うようにアルベイルに来るのは初めてだ。彼女には分からぬことだろうが、言葉尻を濁しているところについては大目に見てもらいたい。
しどろもどろな様子のイデオに苦笑しながら、女性は店の方を差して口を開いた。
「ここはね、食堂よ」
聞いた瞬間、イデオは驚きのあまり目を見開いた。
「食堂!? これがですか!!?」
この贅を凝らした造りの店が、まさか大衆向けの食堂だとは。そんな考えは頭の片隅にすらなかった。というか、飲食店だとすら思っていなかった。
普通に考えれば、あの板ガラス1枚だけで家が1軒建つだけの価値がある。飲食店だとしても貴族向けの高級レストランだと言われた方がしっくり来るくらいだ。
驚愕しきりのイデオが面白いのだろう、女性はけらけらと笑ってから頷いて見せた。
「そ、食堂。初めて見た人は大抵貴方みたいに驚くけどね」
「あ、そ、そうなのですか……」
赤面してぎこちなく頷くイデオ。マスクをしていて良かったと心底思う。
傍から見れば、今のイデオは田舎者丸出しのおのぼりさんといったところか。奇抜な恰好をして精一杯背伸びしているように見えて、彼女からしてみると微笑ましいのだろう。
「ここはナダイツジソバ。今、このアルベイルで一番勢いがある食堂なんだから。貴方もアルベイルに来たのなら、一度はナダイツジソバで食事をしていくべきだと思うわよ?」
「ナダイ、ツジソバ………………」
女性が教えてくれたその名を呆然と復唱するイデオ。
イデオ・ペイルマンとナダイツジソバとの出会い。それは後にウェンハイム皇国崩壊のきっかけとなるのだが、今のイデオにとって、そんなことは知る由もない。
※西村西からのお願い※
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