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元ウェンハイム皇国貴族イデオ・ペイルマンと刺激的な冷し肉辻そば①

 まだ少年の時分、イデオ・ペイルマンは自らの祖国が腐っていることを早々に悟った。

 ペイルマン家はウェンハイム皇国において侯爵位を授かった上位貴族だが、領地を持たず、皇都ガダマニアに館を構える法衣貴族の家系だ。

 イデオはこの家の三男、側室の子として生まれたのだが、父親は見本のような悪徳貴族だった。

 自分の志や意見というものがなく、皇王のイエスマンに徹し、どんなに無茶苦茶な政策を提案されても「名案でございます!」と褒めそやす。

 理のない侵略戦争を繰り返しているのに、地方貴族に戦いを命じるだけで、自分たちは戦うどころか戦場にすら行かず皇都で贅沢三昧。公金の横領などは当たり前で、民に重税を課すことなど屁とも思っていない。

 皇都にいる上位貴族は概ねそんな感じで、下位貴族は上位貴族のイエスマンに徹する。上位貴族とはつまり、皇王の劣化版のようなものなのだ。

 他国の資源を略奪し、制圧した土地の人間を捕えて奴隷にする。そして奴隷に労働をさせ、自分たちは働かない。

 他者の血と脂を絞り、甘い汁を啜るダニの如き者たち。それがイデオから見た皇国の法衣貴族だ。


 母親は父親が強引に手を付けたメイド、下位貴族の娘だったのだが、ただ一度の手付きでイデオを妊娠し、子を産むやその日のうちに儚くなった。

 父親にとってイデオはどうでもよい存在だったらしく、本妻やその子供たちが住む本宅とは違う別宅に押し込められ、世話は全て使用人たちに任せ切りという有り様。その使用人というのも、通いで来る年老いた老夫婦2人だけである。あとは貴族として最低限の体面を保つ為だけの、さして熱心でも親切でもない家庭教師が週に1、2度来るくらいか。

 家族の愛情を全く受けてこなかったイデオではあるが、この時はこれでよかったのだと、後に本人はそう述懐している。最初から父親と距離があったことで、かえってその様相を客観視出来たからだ。

 前述の通り、家庭教師は教育に熱心な人間ではなかったが、それでも必要最低限の読み書きは学べたし、彼が持参する書物には目を通すだけの意味があった。特に歴史書、それも政治について記されたものには大いなる意味が。

 ウェンハイム皇国の前身だと言われている神聖ウェンハイム国。その神聖ウェンハイムが行ったという良き政治の形。長らく続いた平和は炎の巨人スルトというイレギュラーによって砕かれたが、その砕かれた欠片を再び結集して創ったとされるウェンハイム皇国は、神聖ウェンハイムとは似ても似つかぬ典型的なならず者国家になり果てている。


 この国の在り様はおかしいのではないか。

 自らに宛がわれた小さな邸宅だけが世界の全てだったイデオ少年は、教育を受け、知識を蓄えたことでそういう疑問を持つに到った。ただ、教師に言ったところで怪訝な顔をされることは想像に難くなく、また、平民で文字も読めない使用人夫婦に言ったところで理解されることなどないと分かっていたので、この煩悶はイデオの中で燻り続けることになる。


 そして15歳になった頃、イデオは唐突に父親から他国への留学を命じられた。行き先はワーデンス公国。当代皇王の弟、ヨルド・ウェンハイム・ワーデンス大公が治める皇国の属国だ。元はウェンハイム皇国が侵略した亡国の土地であり、かつ、この皇王の弟に領地を与える為だけに侵略された場所であった。

 イデオは18までこの公国の貴族学園で学び、卒業の後、大公の次女と結婚し、大公が所有する爵位を授かりワーデンス公国の侯爵となるよう命じられた。つまりは政略結婚である。

 ウェンハイム皇国だけと言わず、貴族家であればどの国でも政略結婚などさして珍しくもないが、イデオは父親にとって道具としてしか見られていなかったことを、この件で改めて悟った。母を性欲の捌け口にして使い捨て、側室とはいえ血の繋がった実の息子をも人間として見ず道具として一切の情もなく使い捨てる。

 凡そ血の通った人間のすることとは思えなかったが、父親だけでなくウェンハイム皇国の法衣貴族全体がこのような者たちばかりなので、イデオは文句を言うこともなく、しかし腹に一物抱えたまま諾々とこれに従った。


 ウェンハイム皇国の属国だけあり、ワーデンス公国の貴族も相応に腐っていたが、それでも外側から見るウェンハイム皇国の歪さ、そして腐敗の具合というのは想像以上のものであった。

 イデオは当初、何故、地方貴族たちが、無能でさしたる武力も持たない中央の法衣貴族たちに従うのか疑問だったのだが、これに理由があることが分かった。地方貴族たちを纏めるトップ、ガリウス辺境伯が苛烈な人物だったのだ。

 先王の兄、ソグム・ウェンハイム・ガリウス辺境伯。彼は蛮族と呼んで差し支えないほど残忍で血に餓えており、皇王から侵略行動の全権を与えられているのをよいことに周辺国への侵攻を繰り返し、配下の者であっても恭順を示さなかったり、行軍に難色を示す者を問答無用で処断していた。そして厄介なことに、彼は中央の貴族たちほど馬鹿ではなく頭も回り戦上手で、危険を感じ取る嗅覚には特に長けており、どんな戦場でも絶妙に引き際を弁えていたのだ。

 イデオが見る限り、地方貴族たちはこのガリウス辺境伯が恐くて従うしかないように思えた。

 高齢のガリウス辺境伯がまだ当主を務めており、しかも現場に出て陣頭指揮を執っていることからも次代が育っていないことは明白、このガリウス辺境伯さえ倒れれば地方貴族は中央からの命令に従わずとも良くなるのではないだろうか。


 ウェンハイム皇国の貴族たちは頭と心が腐っている。そして、ウェンハイムに恭順を示す属国の貴族たちも同様にまともではない。

 イデオも貴族の生まれではあるが、こんな腐った連中の仲間入りがしたいとはとても思えなかった。だから、ウェンハイム皇国からワーデンス公国に向かう旅の途中、従者たちの隙を見て逃げ出し、そのまま姿を眩ませたのだ。

 イデオが授かったギフトは肉体を霧に変える『シャドウミスト』というもの。父は、他者の肉体に干渉して能力の行使を阻害する『ジャマー』というギフトを持っているのだが、彼さえ近くにいなければ逃げ出すのは簡単だった。父も従者たちも、まさかイデオが貴族の暮らしを捨ててまで逃亡するとは端から思っていなかったのである。貴族であるならば死んでもその座は手放さず、最後の一滴まで甘い汁を啜ろうとする。それがウェンハイム貴族の常識だからだ。

 父は腐った貴族で、半分だけ血の繋がった兄弟たちも父に毒され腐った貴族への道を歩んでいる。母は物心ついた時にはすでに儚くなっていた。祖国に対する未練は最初から一切ないから、逃げ出すことに躊躇もない。


 危険な夜の闇の中を真っ白な霧となって進むイデオ。外の世界に頼るべき存在などいないが、それでもワーデンス公国で傀儡として生きるより遥かにマシだ。


 恐らくはもう、従者たちも宿の部屋からイデオがいなくなったことに気付いた筈。であれば、父から追手が放たれたことは明白である。

 休まず眠らず食事すらも摂らず、イデオはただひたすら南西に進む。一歩でも前へ、少しでも遠くへ。目指すはカテドラル王国に聳える霊峰、イシュタカ山脈。

 神聖ウェンハイム国の時代から聖地と崇められるあの場所ならば、如何に父といえど迂闊に手は出せまい。イシュタカ山脈は禁足地であり、そこに住むエルフたちに手を出すことも御法度。横暴極まるウェンハイム貴族でも、何故だかこれだけは鉄の戒律として守るので、イデオはそれを利用して逃げ果せることにした次第。


 3日3晩、不眠不休で霧となって進み続けたイデオは遂に追手に捕まることなくイシュタカ山脈まで辿り着いたのだが、しかしエルフの集落に辿り着く前にあまりの疲労で意識を失い、霧に変じる能力を解除する間もなく倒れてしまった。

 この時期のイシュタカ山脈では北方から強い風が吹くのだが、霧になったまま意識を失っているイデオはこの山風に流され、知らぬ間にカテドラル王国の内側へと流されていた。時間にして丸1日は流れ流れていたのだが、意識のないイデオ自身にその自覚は一切ない。


 そうして目を覚ました時、イデオは全く場所も分からぬ何処かの街道の上にいた。時刻は早朝らしく、東の空では顔を出したばかりの太陽が燃え、夜の闇の中で冷えた大気が切り付けるように頬を薙いでいる。まだ早い時間なので辺りに馬車や人の姿はない。街道の先、遥か遠くに大きな都市が見えるのみだ。

 明らかに知らぬ、見覚えのない場所だが、しかしイシュタカ山脈ではないし、恐らくはウェンハイム皇国でもない。

 意識を失う瞬間のことは覚えているから、霧になったまま風に流されてしまったのだということは分かる。

 霧になる能力を解除したイデオは、しくじったと天を仰いだ。イシュタカ山脈ならばウェンハイムの者たちも手出しは出来ないが、しかしそれ以外の場所では他国であろうと影の者たち、つまりはウェンハイムの密偵が潜んでいる可能性がある。

 ウェンハイム本国やその属国よりは安全だろうが、それでも安心は出来ない。

 イシュタカ山脈に戻るにしても、ここが何処なのか把握しなければ動きようがない。となれば、まずはあの街道の先にある都市を目指すべきだろう。大きな街であれば地図も売っている筈だ。最初から逃げ出すつもりだったので、財布には可能な限り金を入れて来ている。あまり贅沢をしなければ1月か2月くらいは働かずとも飲食寝床に困ることはないだろう。


「………………よし」


 懐にずっしり重い財布が入っていることを確認したイデオは、彼方に見える都市を目指して歩き始めた。

 身体には澱の様に疲労が溜まり、腹は綺麗にすっからかん、頭もガンガン痛むが、それでもイデオには希望があった。人生において初めて手にした自由という名の希望が。

 膨れた財布と小さな希望だけを胸に、イデオは都市に向かってずんずん歩みを進める。


 今の彼は知らぬことだが、その歩みの先、彼方に見える都市の名はアルベイル。カテドラル王国内で旧王都と呼ばれ、名代辻そばが店を構える街だ。


※西村西からのお願い※


ここまで読んでいただいてありがとうございます。

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