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コロッケそばは巡る チャック編⑤

 チャックの眼前でしきりに湯気を立てる謎の料理、コロッケソバ。

 兄はこれを食べれば自分の気持ちが分かると言っていたが、それは一体どういうことなのだろうか。

 兄の真意を探るように、チャックはコロッケソバの器を覗き込んでみた。


 真っ黒な器に満たされた茶色く澄んだスープに沈む灰色の麺。そして、その麺の上には何かの野菜の輪切りひと掴み、深い緑色を湛えたペラペラしたものひと掴み、それと中央にキツネ色の楕円が乗っている。

 チャックも一応は料理人なのだが、見た目からではこれが何なのか全く分からない。

 こんな濃い色に見えるスープが濁りもせず澄んでいるのは何故なのか、灰色の麺に使われている穀物は何なのか、付け合わせらしき野菜とペラペラしたものは何なのか、そしてキツネ色の楕円はどういったものなのか。徹頭徹尾、なにひとつ分からない。チャックの知識のなさを嘲笑うかのように全てが謎に満ちている。

 だが、そこから立ち昇る湯気は、その中に濃厚に漂う香りは実に芳しい。恐らくは魚のものと思われる主張の強い香りに、それと調和する別の香り。これは植物性のものだと思うのだが、それが何であるのか断定が出来ない。少なくともチャックがこれまで嗅いだことのない香りだ。そして更には、その2種の香りの中に良質な植物油のものらしき香りも混じっている。

 チャックも料理人の端くれ、香りを嗅げば料理の味は何となく想像がつく。このコロッケソバなる料理、これはチャックが当初考えていたものより遥かに美味なるものだ。

 そしてこの1杯の中には、料理人としての技術や知識がこれでもかと凝縮されている。何をどうすればこれが作れるのか、現物が目の前にあるというのに、チャックにはそれが一切分からない。まさしく秘伝と言えよう。


 兄の意図を探ることとはまた別に、チャックは1人の料理人としてこのコロッケソバに向き合うことにした。でなければ、この見事な料理に、何よりこれを作ってくれた料理人に失礼だ。


「そんなにジーッと見てたら冷めるぞ? せっかくアツアツなんだ、冷める前に食えよ」


 チャックがコロッケソバを真剣に観察していると、兄が苦笑しながらそう言ってきた。確かに湯気が立つほど温かいスープなのだから、熱いうちに食べてしまった方が良いのだろう。最も美味しく食べられる時を逃しては料理人として一生の不覚だ。

 器を両手で持ち上げ、そのまま熱いスープを音を立てて啜り込む。


 ず、ずずず……。


 温かな液体が舌の上に滑り込んで来た瞬間、チャックは驚きに目を見開いた。


「……ッ!」


 美味い。口にものを含んでいるので喋ることが出来ないのだが、それでも声に出して言いたい、これは何と美味いスープなのだろうか、と。

 まず始めに香るのは、主張の強い魚の香り。それもチャックが慣れ親しんだ川魚のものではない、恐らくは海の魚。だが、ただ魚の干物を煮出しただけではないのだろう、特有の生臭さが一切出ていない。そして、それを包み込む丸い風味。これにも微かな海産物の滋味を感じる。所謂、磯の香、というやつだろうか。そのふたつの風味が調和することで極上の旨味を醸し出すことに成功している。

 更には、このスープに適切な塩味を付加している調味料がどうやら別にあるようだ。察するに、それはスープの色をこの濃い茶色に染めているものではなかろうか。これの風味もまた独特だが、これが妙に舌に馴染む。初めて口にするものだというのに、初めてという感じがしない。やけに安心感があるというか、何だかほっとする味だ。


「う……美味い! 何だこれ!?」


 チャックは極上のスープを嚥下すると、信じられないというふうに器を覗き込む。

 認めたくはないが、認めるしかない。このスープはチャックのこれまでの人生において最も美味いものだ。父が作る伝統のスープよりも、祖父がギフトを駆使して作った貴重な調味料をふんだんに使った特製スープよりも美味い。


「な? 美味いだろ?」


 きっと店の味を実の弟が美味いと認めたことが嬉しいのだろう、兄が笑いながらそう訊いてくるので、チャックは驚愕冷めやらぬといった感じでぎこちなく頷いた。


「あ、ああ、めちゃくちゃ美味い……!」


 これまで飲んだことのあるどんなスープとも方向性が異なる新たな美味であった。しかも、使われている食材がほとんど分からない。こういうものを口にすると、自分の未熟さ、そして料理というものの奥深さを改めて思い知らされたような気になってしまう。


「でも、どうやってこの味を出しているのか分からない。そうだろ?」


 まるでチャックの考えを見透かしているかのようにそう言い当てた兄。

 チャックが驚いて顔を上げると、兄は苦笑しながら「やっぱりな」と頷いた。


「俺も最初に食べた時はそうだったよ」


「兄ちゃんも?」


「ああ。それはな、スープの下地にカツオって海の魚を干して作ったカツオブシってものと、コンブって海草を干したものを使ってるんだ」


 その言葉を聞いて、チャックは衝撃を受けた。

 故郷ノルビムは内陸の町だから海産物を口にする機会はほとんどない。だが、それでも保存用に干した海の魚や貝を食べる機会はあるし、そういうものが使われているというのはまだ想像がつく。

 しかし、問題は海草だ。読んで字の通り海に生える草。兄の話を聞く今の今まで、チャックは海草が食材として使えるものだとは知らなかった。というか、想像すらしていなかった。魚の他に何か植物性のものが味のベースとして存在しているとは思ったが、まさか海の草を使っていたとは。

 

「海の魚も海草も……こんなに美味いものだったのか…………」


 きっと、海には内陸の料理人にとってまだまだ未知の食材が眠っているということだろう。料理人としては勉強になるが、これまで海の食材に目を向けてこなかったことが悔やまれる。

 チャックがそんなふうに反省していると、兄が更に言葉を付け加える。


「特に海草なんてのは、漁師町でもあんまり食べられてなくて、ほとんど雑草扱いされてるらしいぞ? そんなふうに見向きもされていないものをこんな極上のスープに仕上げるんだから、本当、凄い話だよ」


 兄の言葉が本当なら、何処かの漁師町で、ナダイツジソバで使う為だけにコンブなる海草を干して乾物を作っている者がいるということだ。誰も見向きもしないようなものをわざわざ長期保存用に加工し、あえて食材として使う。数寄者とでも言うべきか、ある意味でこんなに贅沢なことはないだろう。


「…………兄ちゃん、これは貴族が飲むための特別なスープか?」


 ここまで珍しい食材を使った極上の逸品だ、恐らくは兄チャップの弟だということで店長が気を使ってくれたのだろうと、チャックがそのように思って顔を向けると、しかし兄は苦笑しながら首を横に振った。


「貴族だろうが平民だろうが、ここじゃみんなその美味いスープを飲む。店長の方針でな、お客の貴賎は問わない店なんだよ、ここは」


 言ってから、兄は更に、


「それどころか、貴族でさえも普通に並ばせるし、平気で平民の隣の席に座らせたりするぞ、この店は」


 と付け加える。

 兄の言葉ではあるが、チャックは俄かに信じられなかった。

 普通、貴族に対してそんなことをすれば不敬だとして罰せられることになる。捕まって牢に入れられるか、その場で無礼討ちにされるか。確かに人格者の貴族もいるにはいるが、その他大勢の貴族たちは基本的に選民意識の塊だ。自分たちが人の上に立つ特権階級だと思っている。チャックが知る貴族であれば、平民と同じように扱われればまず間違いなく怒り狂う筈だ。


「う……嘘だろ…………?」


 チャックが唖然としてそう言うと、しかし兄は大真面目に「嘘なもんか」と返してきた。


「本当だよ。ここじゃ大公様ですら平民と同じテーブルに着いて食事をするんだ。それより下位の貴族がふんぞり返れるわけがない。それより麺も食え。せっかくの茹で立てが伸びちまうぞ?」


「………………」


 料理といい、店の流儀といい、悉くチャックの常識を破壊されているようだ。

 これは考えるだけ無駄だ、今は料理に集中すべきだと、チャックは一端頭を空っぽにして再びコロッケソバと向き合うことにした。


 さて、次はやはり、兄の言うように麺を食べてみるべきだろう。

 側に置かれたフォークを手に取り、スープの中に沈む麺を掬い上げる。

 存分にスープが絡んだ灰色の麺がキラキラと輝いている。麺といえばチャックにとってはパスタという認識なのだが、これは到底パスタだとは思えない。そもそも、灰色の小麦粉などあるのだろうか。少なくともチャックはそんな品種の小麦など見たことも聞いたこともない。然らばこれは何なのかと問われると、それは全くの謎だ。見た目だけでは判別が出来ない。


 謎に対する答えを求めるよう、チャックはずるずると音を立てて麺を啜り込んで咀嚼し、嚥下した。


「美味い……ッ!」


 最初見た時、チャックは麺をスープの具にするのはどうかと思っていたのだが、これは見事にスープと調和している。というか、このスープとしか調和しないのではないかと、そう思える。チャックも料理人、頭の中で他にこの麺に調和する味付けを想像してみるのだが、このスープ以上のものが思い浮かばない。

 スープがよく絡んだコシのある麺は、噛み締めれば確かな弾力と共に僅かに歯を押し返し、独特な香気を発してそれが鼻に抜けてゆく。僅かに小麦の風味も感じるのだが、それよりもこの独特な風味の方が遥かに強い。割合としては、この独特な香りが7で、小麦が3といったところか。何処か牧歌的な香りがするのだが、一体、どういう穀物を使っているのだろうか。


 その疑問が表情に出ていたのだろう、兄は微笑を浮かべながら答えを口にした。


「その麺こそがソバなんだけどな、使っている穀物の名前がそもそもソバって名前らしいぜ。ソバの実を挽いてソバ粉にして、そのソバ粉を打って麺にしたもんがソバってわけだ」


 言ってから、兄は「まあ、小麦粉も3割くらいは繋ぎとして混ぜてるらしいけどな」と付け加えた。


「ソバ? 都会じゃそういう穀物が出回ってるのか?」


 馴染みはないものの、海の魚や海草は存在自体は知っていた。だが、このソバなる穀物は存在さえ知らなかったものだ。

 ノルビムのような田舎とは違い、人も物も集まるアルベイルのような都会ではそういうものも普通に出回っているのだろう。


 しかし、チャックの予想に反し、兄は首を横に振った。


「いや、どうもソバってのはかなり珍しい穀物みたいでな、カテドラル王国含めてこの周辺の国じゃそもそも栽培すらされてないみたいだ」


「じゃあ、そんな珍しいものをどうやって仕入れているんだ? というか何処で作っているんだ?」


 だが、兄はこの質問にも「さあな」と首を横に振る。


「店長もそれについては教えてくれないんだ。ルテリアさん……俺の同僚はそこらへん何か知ってるみたいだけど、それでもやっぱり教えてくれない。従業員の俺から見ても不思議なことの多い店だよ、ナダイツジソバは」


「…………店長さんは秘密主義なのか?」


「まあ、大公閣下の敷地内に店を出しているんだ、色々と言えないこともあるんだろうよ。俺も詮索するような真似したくないし」


「ふうん……」


 チャックだったら気になって根掘り葉掘り訊いてしまいそうだが、それをしない兄は自分より大人だということなのだろう。

 1人の料理人としてチャックもソバ粉という未知の食材を手に入れてみたかったのだが、兄ですら知らないのなら諦めるより他はない。


「そんなことより、コロッケも食え」


「コロッケって、この丸いやつでいいんだよな?」


 器の真ん中に、我が主役とばかりに鎮座する楕円形のもの。これは最初から気になっていたが、これこそがコロッケだったようだ。


「そう。スープが染みてしなっとしたやつも美味いけど、まずは揚げたてサクサクを食わないと」


「アゲタテサクサク?」


「それも後で教えてやるから、まず食え。早く食わないとそろそろしなる」


「………………」


 兄に言われるまま、チャックはそのコロッケとやらにザクリとフォークを突き刺して持ち上げてみる。

 ホコホコとした湯気と共に油の香ばしい匂いを立ち昇らせるコロッケ。獣臭さを一切感じないということは植物油を、それもかなり良質なものを使って作られたものだということだろう。植物油のような高価な食材を使って作られているということは、このコロッケなるものはかなり贅沢な料理ということになる。先ほどの兄の言葉とは矛盾するが、それこそ貴族の食卓に出されてもおかしくないくらいの贅沢なものだ。

 だが、いくら贅沢でも味が伴わなければ意味がない。

 このコロッケとやら、味は如何ほどのものか。


 チャックはあんぐりと大口を開けると、勢い良くコロッケにかぶりついた。

 その瞬間である。


 ザクリ!


 と、まるで薄いビスケットでも齧ったかのようなザクザクとした食感と、馴染みのあるジャガイモの味が口の中に広がった。


「……ッ!!!」


 これは美味い。極上だ。噛めば噛むほど小気味良い音を立てるザクザクとした食感の真新しさに、しっかりと下味をつけられた甘くまろやかなジャガイモの味。鼻に抜ける上質な植物油の香気。


 まさかジャガイモだとは、これは完全に虚を突かれてしまった。

 全世界でありふれた食材、ジャガイモ。チャックたち兄弟の故郷、ノルビムでも名産品として毎年数多く栽培しているものだ。人々の腹を満たす為には欠かせないものだが、前述の通りやはり世間にありふれたもので、別に高価であったり貴重な食材という訳ではないし、料理人がわざわざ技巧を凝らして手をかけるようなものでもない。それが常識の筈なのだ。

 が、このコロッケはどうか。

 恐らくは茹でるか蒸かすかして火を通したジャガイモを、あえて食感が残るよう半分ほど潰し、ネットリした食感とホコホコした食感を両立させている。そこに混ぜられているのは、みじん切りのペコロスと細かく挽いた豚肉を炒めたものだろう。それらを混ぜ合わせて楕円形に形を整え、そこに塩胡椒で下味をつけている。塩はまだ分かるが、胡椒という貴重な香辛料をジャガイモのような食材に使うなどと誰が思うだろう。植物油にしてもそうだ。

 それに、中のジャガイモを覆うこのサクサクとした食感の皮だ。これは恐らく小麦粉由来のものだろうが、しかし食べた感じは小麦粉を水で溶いたようなものではない。そこにチャックでは想像もつかない工夫がされている。


 決して高価でも高級でもない、ありふれた食材に惜しげもなく手間と貴重な素材を注ぎ込み、一流レストラン顔負けの逸品に仕上げる。そして、そんな極上の逸品を平民が躊躇せず手を出せるほど安く、そして大量に作る。それが情熱によって為されているものなのか、それとも常軌を逸した狂気や執念の末に為されたものなのかは部外者であるチャックには分からない。

 分かっているのは、このコロッケなる料理が貴族をも唸らせるほどの美味であり、そこにチャックでは想像もつかない未知の技術が使われているということだ。


「コロッケ美味いだろ?」


 呆然とコロッケを見つめるチャックに対し、兄がそう訊いてくる。

 だが、すっかりとコロッケに心を引かれたチャックはそれにはどうという言葉を返すこともなく、緩慢な動作で兄の方に顔を向けた。


「これ……何なんだこれ…………? こんなもの、どうやって作るんだ………………?」


 チャックとて若輩でも料理人、日々磨かれたその舌は確かにコロッケに使われている食材を探し当てた。だが、その作り方、調理法が全く分からない。見当もつかない。料理人として生きてきた今の今まで、こんなことはなかったのだ。食材が分かれど調理法が分からないなどということが。父や祖父が工夫を凝らして作った料理だったとしても、食べれば食材も調理法もそれとなく分かったものだった。

 だが、この店の調理法は、いや、この店の流派とでも言おうか、これはチャックの血の中にはまるっきり存在しないものだ。明らかなる異文化。


 そんなチャックの動揺が分かるのだろう、兄は楽しそうに笑っている。


「中身のタネの方はどうやって作るか想像は出来るだろ?」


「潰したジャガイモにペコロスと挽いた豚肉を炒めたやつ、あと塩胡椒……」


 分かるのはそこまでで、それ以上のことが何も分からない。このコロッケという料理の肝とでも言うべきサクサクの食感に、食欲をそそる香ばしさを生み出している皮のことが何も。たったそれだけのことでは、この料理に対する理解度として正味3割にも達していないのではなかろうか。

 己の不明を恥じるようにチャックが難しい顔をして唸っていると、兄がやはり、こちらの考えを見抜いているかのように疑問の答えを口にした。


「それを覆ってる皮はな、パンなんだよ」


「パン!!!?」


 チャックは驚きのあまり声を上げてしまった。

 まさかの答えである。この大陸に住む人間ならば、いやさこのアーレスに住む人間ならば誰しもが主食として食べるもの、パン。パンを使った料理というものは古来より数多存在しているが、その多くはパンに切れ目を入れて具材を挟んだり、薄く焼いたパンで具材なりソースなりを包むといったものだ。パンを煮込んだパン粥のようなものもあるが、あれはサクサクの食感とは対極にあるドロドロとしたもの、コロッケには似ても似つかない。

 兄はこの皮がパンだと言うものの、実際に食べたチャックをして、これがパンだとは到底思えない。仮に薄焼きにしたパンで中のタネとやらを包んで焼いたとしても、このようにサクサク香ばしいものになるだろうか。いや、ならない。薄焼きにしたところでパンのふわふわだったり、或いはもっちりした感覚がなくなるということはないのだから。仮にその食感がなくなるまで念入りに火を通したとして、末路は黒焦げの食べられないパンでしかない。

 これは、これに潜むカラクリは一体何なのだ。

 俄かに思考の深みに嵌り出すチャック。

 

 そんなチャックを見かねたものか、兄がここで助け舟を出す。


「パン粉って言うらしいんだけどな、乾燥して硬くなったパンを摩り下ろして粉にしたものを、生卵を使って周りに纏わせてるんだ」


「パンを粉に!!?」


 再度の驚き。

 焼いてから日にちが経ち乾燥したパンは硬くなって食感が悪くなり、当然味も落ちる。常識のある飲食店ならば基本的にそういうパンをお客に提供することはない。普通ならば従業員のまかないにでも回すものだ。

 それがまさか、粉にして再利用するとは。硬くなったパンを粉にする。こんな発想、一体誰が他に出来るだろうか。天才でなければ狂人の発想だ。それでなければ子供のいたずらがたまたま良い方向に転んだとしか思えない。


 驚愕のあまりわなわなと震え出したチャックに対し、兄はそうだと頷いて見せる。


「ああ。そのパン粉を纏わせたタネを大量の油に入れて、泳がせるような感じでカリカリになるまで火を入れるんだよ」


「油の海で泳がせるのか!?」


「結構上手いこと言うな、お前? 揚げるって調理法なんだが、普通に考えれば王族とか上位貴族の家でしか出来ないやり方だろうなあ」


 胸元で腕を組み、そう言いながらしみじみと頷く兄。

 貴重な植物油を日常的に使うというだけでも贅沢だというのに、まさか投入した食材が泳ぐほど大量の油を使うなどと誰が思うものか。

 何という常識外れで、そして何という斬新な料理なのだろう。油以外はどれもありふれた食材だというのに、どういう考え方をすればこんなに斬新な料理が思いつけるのだろうか。

 

 そしてふと、こんなことを思った。素材がありふれているだけに、作り方が分かればチャックもコロッケが作れるのではないか、と。


「それは……植物油じゃなきゃ出来ないのか?」


 チャックの中で、点と点が線として繋がり始めていた。

 ノルビムの名産品ジャガイモ。ダンジョンで獲れるタイラントボアの肉。卵くらいはノルビムでも手に入るし、パン粉とやらも自作は可能だろう。残りは油の問題だが、これは絶対に植物油でなければ駄目なのか。


 チャックの問いかけに対し、兄は顎に手を当ててしばし考えた後、口を開いた。


「……質が良いラードとかでも出来るんじゃないか? 肉屋とかで売ってる普通の獣脂じゃ臭くて無理だろうけど」


 兄のその答えで、全ての点が繋がった。

 上質なラード。それは豚の倍は脂を蓄えるタイラントボアから取れるだろう。


「………………」


 あまりにも斬新で衝撃的な料理、コロッケ。

 ここまでの完成度のものは望めないだろうが、チャックにも再現は可能だろう。

 チャックは頭の中で、コロッケが大樹亭のメニューに追加される未来を描いていた。コロッケによって店が繁盛し、もっと大きな店を構える未来を。幼い頃に口にした自分の夢が叶う未来を。


 黙ったままコロッケを凝視するチャック。兄はそんなチャックの様子に苦笑しながらコロッケソバの器を指差した。


「それより、次はコロッケを齧ってからスープで流し込んでみろ。コロッケソバはその食い方が最高に美味いんだ」


 あれだけ美味いコロッケに、まだ更なる美味な食べ方があるというのか。

 チャックはすぐさまコロッケを齧ると、すぐさま器を手に取り口の中にスープを流し込む。


 口内で咀嚼したコロッケとスープが混ざり合ったその時であった。

 

「ッ!!!」


 美味い。恐ろしく美味い。あまりの美味さにカッと目を見開くチャック。


 ネットリホクホクと甘いコロッケに塩味の強いスープ、コッテリとした揚げものにさっぱりとしたスープ、サクサクの固形物にサラサラの液体。これは調和ではない、まさに渾然一体、全てが混ざり合って複雑な美味へと昇華している。


「美味い!!!!!」


 口内のものを嚥下し、持っていた器をドンと豪快に机に置いてから、チャックは思わず吼えた。あまりにも美味くて、勝手に声が出てしまったのだ。


「だろ?」


 そう言って嬉しそうに笑う兄。

 兄の言葉に頷きながらも、チャックは我慢出来ずに凄まじい勢いでコロッケソバをがっつき始める。

 もう、認めざるを得なかった。この料理は、コロッケソバはあまりにも美味すぎる。兄はこの味に、この斬新さに、この技術に魅了されてしまったのだ。大樹亭とは全く流儀の異なる、この店のやり方に。そしてこの店の流儀を自分の中に取り込み、大樹亭が歩む道とは異なる道へ歩み出そうとしているのだ。

 だから、これは実家へは帰らないという兄なりの宣言なのだろう。それも実家を出た時とはまた別の決意を持った。


 気が付けば、チャックは泣きながらコロッケソバを食べていた。もう、完全に分かってしまった。兄がノルビムに、大樹亭に戻って来ることはない。もう、家族皆で大樹亭を営むことは叶わない。皆が揃って笑いあっていたあの時間は戻らない。


「おいおい、泣くほど美味いのか?」


 苦笑しながらそう訊いてくる兄に、今のチャックは頷きを返すことしか出来ない。


「うん……」


「そうか。まあ、今日は俺のおごりだ。たんと食え」


「うん……うん…………」


 こんな時でもチャックのことを気遣ってくれる兄の優しさが心に染みる。涙のせいでしょっぱくなったスープを啜りながら、チャックは何度も何度も頷いた。


 この1年後、チャックとチャップ兄弟の実家、大樹亭で『大樹風コロッケ』なる新メニューが売り出されることになり、それが爆発的人気となってノルビム第二の名産とまで言われるようになるのだが、それはまた別の話。


※西村西からのお願い※


ここまで読んでいただいてありがとうございます。

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